66 スーパーボールが流行した時代と春雨橋のおもちゃ屋さん、東府屋

東府屋昔日の松戸
マンションが建つ前の東府屋さん

おもちゃ屋と言えば、春雨橋の東府屋

子供の頃、おもちゃ屋と言えば、春雨橋の東府屋だった。昭和四十年頃、米国産のスーパーボールなる製品が大流行した。テレビCMでその存在を知ったのだと思う。弾力性が抜群で二三度弾んでいるうちに妙な回転が加わりとんでもない方向に飛ぶ。これがおもしろい。松戸でこのスーパーボールを扱っていたのは東府屋だった。ワラソウが昭和四十五年前後に開店するまでは松戸のおもちゃ屋と言えば東府屋しかなかったように思うがはっきりとした記憶ではない。

スーパーボールが欲しかった

当時のスーパーボールは現在、ガチャガチャや縁日で手に入るような安物ではない。直径五~六センチと大きく重量感があり立派なスーパーボールだった。Wham-O社の製品である。紺色で地味で濃い色をしていた。中身は単なるゴムの固まりの筈なのに、大きくて立派なところに、あこがれの米国の匂いを感じた。

当時のアメリカにおけるWham-O社のCMが見つかったのでご参考まで

確か価格は150円だったと思う当時の一日のお小遣いが20円の私にとって8日程お小遣いを貯めれば、買えた金額だが、やはり高級品だった。同級生のHA君が

古ヶ崎のHA君
古ヶ崎のHA君

スーパーボールは東府屋に売っているから来週買うぞ

と熱っぽく語っていたのを思い出す。もっとも発売当初は品薄で、すぐには手に入らなかった様だ。HA君は当時としては年齢に見合わないお金を持っていて、必ず取り巻きがいた。駄菓子屋のくじ引きを一つ一つ買うのではなく、一式丸ごと買ってしまう。そして自宅に取巻き連中を集め、駄菓子屋ごっこをする……そんな子だった。

多くの子供達はお金がなかった

子供達はお金が無くてピーピーしていた。お金を持っていた子は目立つし、何かおこぼれは無いかと取り巻く。彼は結局甘やかされて育った。その浪費癖は大人になっても改善する事は無かった。それが二十代のある日悪さをして新聞沙汰になってしまった。以降彼の姿を見かけていない。

人間は一度経済的に満たされた生活に慣れるとそれがスタンダード(つまり当たり前)になってしまい、中々抜け出せない。貧しくても分相応に生活する事が人間にとって一番幸せだという事に中々気がつかないものなのかもしれない。

スーパーボール

paktasoさんのフリー素材

さて、子供の頃の話に戻す。HA君がやっとスーパーボールを手に入れ学校に持ってくるとスーパーボールはクラス中の話題になった。我々も実物を見たのは初めてだったのだ。いつの間にかクラスから学校中に大流行し私も暫くして買った。スーパーボールの需要は急上昇し、ニセモノ・スーパーボールが出回った。本物との見分け方を友達から教わった。ニセモノ・スーパーボールは多分駄菓子屋を中心に広まったのではなかったかと思う。

東府屋さんの現在

東府屋さんのご主人とは、ある日、日暮商店さんの「盃の会」でお会いした。東府屋さんのご主人と同席されていたのが、安藤豆腐屋さんだった。トウフヤ(東府屋)&トウフヤ(豆腐屋)で、「こちらは本当の豆腐屋さん、こちらはおもちゃの東府屋さん」本人たちも面白がっていた。ただし、2021年現在は東府屋さん店舗は無く、同地はマンションになっている。

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