自分で考えろはタイパが悪いか
前回の続きです。
一応前回と同じリンク先を下に記します。
”転ばぬ先の杖”は教える側のタイパが悪くなる
私が、前職場を退職する直前、社内では、新人相手に、何でもノウハウを教えよう・・・という風潮になっていた。腫れ物に触る様に、転ばぬ先の杖作戦である。私も教えようとして努力した。この様に教えられれば、確かに新人側にとってはタイパが良いと感じるかもしれません。一方、建築設計業界はやる事なすこと全て応用問題で、同じ状況の同じ悩み何てものは皆無と言ってよかった。
新人に教えたこの難関突破方法はある特殊な状況下で、無い知恵を絞りだし、これしかないという方法で解決出来た方法で、万能な解決方法とは言い難い。従って、将来遭遇する全く別の難関に対処できるとは限らない。いや出来ない、或いは通用しないものだ。その結果、”それも教えろ、あれも教えろ”では、大きな赤ちゃんを抱えている様なものです。
それこそ、教える側の我々の作業タイパが悪くなるのだ。はっきり言ってやっていられない
自分の身についていない事ではなかろうか?と思う。
悪銭身に付かず
悪銭身に付かずという言葉がある。
https://domani.shogakukan.co.jp/832923
これは基本的にはあぶく銭等は身に付かないよ・・・という意味で使われるが、似たような英語表現にこんなものがある。
- Easy come,easy go.(楽して手に入れたものは簡単になくなる)
- Lightly comes, lightly goes.(楽して手に入れたものは簡単になくなる)
これはどちらかというと「簡単に手に入ったものなのだからなくなっても仕方がない」と考えてしまう状況に近い。つまり簡単に手に入れたノウハウは簡単に忘れてしまう。そして身につかないことも意味する。
現職の支店の若者たちと最近飲んだ
つい二週間くらい前だったが、ほかの支店の若いスタッフと一緒にパエリアを食べ、酒を飲み話した。私は恐る恐るだが、タイパが悪いという意味の話をかなり遠回しに会話の中にエッセンスだけ軽く盛り込んでみた。それは反応を見るためだった。彼らにとって、私はやはり年上という事でかなり気を使っていたように見えた。余計なことは言えないだろうし、流石に本音は話さなかったね。
マニュアル労働の場合
ただ、私の身近には盛んに「教えてくれないと分からない」という人がいる。昭和で鍛えられた私は、つい聞き耳を立ててしまう。しかしながら、仕事には色々とあって、私の前職の場合は建築設計であった事から、全てが応用問題の毎日だったのに比較して、例えば物販の様に決まったルール、ノウハウがあって、それに従うという労働の場合もある。
いわゆるマニュアルに従っていく労働の場合だと思う。マニュアルが本になっているのであれば、それを読めば良いし、本になっていなければ、聞きながら覚えていかなければならない。こういった場合は働き始めた初期の頃が大切で、そのころにしっかり覚えていないと「あの人ダメね」状態になってしまう。それはそれで理解できる。
かといって、随分前に世にも奇妙な物語で玉置浩二が主演をした「マニュアル警察」という面白い話があった。あの話の様になると違和感があるが、過度にマニュアルに依存するとああなってしまうのかな?と思った。
この記事を振り返って
とここまでは私の人生の生き方について一方的に書いてきたが、話はそれほど単純では無さそうだ。しかし、同時に、簡単に会得したノウハウは、身に付かないというのは真実であろうとも思う。ひろゆきも言っているが、今後はAIに仕事を奪われ、今までの仕事の考え方、職種では、食っていけない世の中になるらしい。
自分の娘にどういう職業が良いのかアドバイスもしずらい。最も彼女もいつか自分で自分の道を切り開くのだろうと思うけれど
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