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松戸のお宝

松戸市の昔の案内パンフ:まつど 観光と産業

松戸市観光協会が昭和35年頃作成、発行した”まつど 観光と産業"というパンフについて、公開したい。松戸市企業誘致条例要旨という項目があり、これは多分企業誘致の一貫で、発行されたものだと考えている。昭和35年代の自分が子供の頃の松戸を思い出す
昭和の松戸を歩く

松戸旧市役所通りについて

松戸市役所は元々は松戸三丁目にあった。現在のキテミテマツドの駐車場。母が松戸にお嫁に来た頃は三丁目のキテミテマツド用の駐車場ビルの場所に市役所があった。松戸税務署もあり、所謂官庁街だった。昭和の松戸の元官庁街にあった建物について調べてみた。
昔日の松戸

松戸の工業地域と縫製工場「興洋」と縫製の内職`まとめ`と根本地区について

北松戸工業地帯だけでなく、松戸市根本から平潟までの准工業地帯にも色々な工場が存在。島村俊商店、川光物産、雪印種苗、興洋、金沢縫製、日本スイフトなど、今回はその内の一つ服飾工場「興洋」の研究を行う。過去「興洋」の仕事を請け負った方からのお話。
昭和の松戸を歩く

かつて竹ケ花踏切以東にあった松戸市竹ケ花商店街(旧水戸街道)

常磐線複々線化によって閉鎖された竹ケ花の踏切以東には松戸市竹ケ花商店街があった。そのお店を一つ一つ思い出していきたい。我が実家はかき氷販売から始まった。かき氷は缶ジュースの出現で衰退したという人が居たが冷房設備と冷蔵庫の出現によって衰退した
昭和の松戸を歩く

松戸市道の商店・飲食店・会社

昭和30年代前半に、市役所が根本に本館を建てた事で、竹ケ花には松戸市道が開通する事になった。旧水戸街道から胡録台まで。この松戸市道が出来たことで、市役所に行くことや竹ケ花のお墓にいくことが便利になりましたし、小規模ですが、飲食店や商店が出来た
昭和の松戸を歩く

昭和時代の松戸市立北部小学校あれこれ

昭和の頃の松戸市立北部小学校やその周辺について、思いだす限り書いています。中には父から聞いた話も書きました。私が小学生だった頃と現在の北部小学校及びその周辺は激変しています。新坂川は水辺に降りられる川でしたが、治水の為に護岸工事されてしまった
昭和の松戸を歩く

戦後の竹ヶ花根本南花島一帯とヤマザキパン工場

昭和30年代とはすっかり変わってしまったヤマザキパン工場周辺、竹ケ花、南花島、根本を中心にして、昭和22年の国土地理院の空中写真を使用しつつ、私が子供の頃(昭和30年代ではあるが)を思い出し、果たしてどんな風に変わったのか、記録として残したい
表の家の周辺

表の家ホームページを作ろうと思ったきっかけ

自分の歩んできた路を振り返った時に、色々なイベントやニュースがあった。でも本当に自分にとっての思い出というのは、特別派手なことでも何でもなく、近くの商店買い物をしたり飲食店で食事をした。そんな地味な日常に起こっていた些細な出来事の積み重ね。
松戸行脚

金山神社と清水講-金山神社を支えた人々

金山神社は大変魅力のある場所で、奥が深く私の大好きな神社の一つです。その神社の魅力について独自の調査を行い、独断と偏見でこのページを作ってみました。もし間違っている部分等、ご意見、ご指摘がありましたらご一報いただけましたらありがたいです。
つれづれなお話

続:コンピューターとの出会い-インターネット編

コンピュータは素晴らしい進化を遂げてきた。とても追いつけるものとは思わないが、気がつくとドンドン変化、進化している。特に通信面では恐ろしいくらいの変化を遂げている。この回ではコンピュータ通信、インターネットについての経験や思ったことについて