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つれづれなお話

電気製品への憧れを持っていた昭和の頃

小学生だった昭和の頃自宅にあった電化製品も今現在に比べれば貧弱だったが、それでもあるというだけで幸せだったように感じる。高校生の頃サンヨー電気のOttoを買って世界観が変わった。主に昭和の頃にあった、音響製品について、思い出し、書いてみたい
昔日の松戸

松戸の紅屋(ベニヤ)さん

かつて昭和の時代で、あまり一般のお店が広告で売出しを積極的にやっていなかった頃、松戸駅前通りでドンドン広告を打ち出し、割引セールなどしながら、服飾生地や服をドンドン売っていた人”紅屋の松本忠男さん”が居た。その記事を掲載させていただきます
昔日の松戸

社会科見学の今昔

社会科見学は大好き。小学校の時は次はどこの見学に行けるのか楽しみで仕方がなかった。行ったのは、春雨橋近くにあった頃の松戸郵便局本局と野田のキッコーマン工場だった。どちらも新鮮な刺激で楽しかった。特に郵便局は仕分作業が最高に面白かった。
つれづれなお話

昭和の遊び:2B、かんしゃく玉など・・・花火

昭和30-40年代に駄菓子屋で買ったおもちゃの内、火薬を使う玩具は遊びの王者だったように思う。よく使ったのはかんしゃく玉で、後に禁止された2B弾、平玉拳銃や巻玉拳銃、それほど危なくない蛇玉や金魚花火など、子供の頃どんな花火で遊びましたか?
昔日の松戸

我が遊びの師匠”黒縁メガネ君”-松戸市古ケ崎

魚捕りが大好きだった。一番の遊び場は先ずは古ヶ崎であったと答える。古ヶ崎には黒縁メガネ君が住んでいたし、いろいろな意味で思い出の多い場所だ。黒縁メガネ君にはその古ヶ崎を拠点に、私を伝兵衛新田、主水新田、旭町など色々な場所に連れて行ってくれた
昔日の松戸

松戸市栄町商店街、昭和40-50年代は歩くのに苦労するほど賑わっていた

栄町の商店街、特に活気があったと言われる中央通り商栄会を2021年現在歩いてみると、営業している店が数えるほどしか無くて、その面影があるやなしや・・・寂しいばかりである。過去の松戸の情報誌、或いは広報まつどの記事を通して、振り返ってみる。
昔日の松戸

笹屋さんと御用聞き、その他引き売りなど

昭和の時代までは個人商店がもっとも活気のあった時代だと思う。自分のお店でお客を待つだけでなく、引き売りをしながら、積極的に食材、商品を売っていた時代だ。それが、バブルの時代に入った頃からか、或いは大型店が出来た頃からか、引き売りを見なくなった
昔日の松戸

ペリカン、シャンテリ、モンクトン:かつて松戸にあったケーキ屋さん

シャンテリ・モンクトン・ペリカン、松戸にかつて存在した素敵なケーキ屋さん。私が小さい頃、ケーキというとクリスマスの時に食べるデコレーションケーキ(しかもバタークリームのです)であったが、この小さなケーキ屋さんの登場でケーキの美味しさを知った
松戸行脚

松戸市栄町を中心とした商店、モール、そして流山街道の将来

昭和40年代から松戸で大型物販店の進出が始まった。私に馴染み深いのは扇屋、長崎屋、奈良屋など。当初は松戸の発展と感じた。これら大型物販店は徐々に精力的になり、小売店に影響を与えた。松戸市栄町を中心に流山街道沿いの商業の展望や可能性を考える
昭和の松戸を歩く

松戸市栄町の商店街(栄町3丁目編)Bゾーン

昭和40年代初頭出現した新興エリア、松戸市栄町。古ヶ崎と北松戸工場地帯に挟まれた陸の孤島的なゾーン。同級生によると栄町の商店街で商売を始めていた人達は東京下町の商店街の人達が移り住んできた人も少なくないらしい。今回は栄町三丁目を取り上げる。