レジャー

昔日の松戸

我が遊びの師匠”黒縁メガネ君”-松戸市古ケ崎

魚捕りが大好きだった。一番の遊び場は先ずは古ヶ崎であったと答える。古ヶ崎には黒縁メガネ君が住んでいたし、いろいろな意味で思い出の多い場所だ。黒縁メガネ君にはその古ヶ崎を拠点に、私を伝兵衛新田、主水新田、旭町など色々な場所に連れて行ってくれた
つれづれなお話

プロレスに夢中になった昭和40年代

昭和40年代に何故か夢中になってしまったプロレス、あんまり夢中になっていたので、友達のプロレス同人誌も一緒に書いたり、蔵前国技館にミル・マスカラスの試合があって、父に連れて行ってもらったことを思い出す。でも、小学生の頃はあまり好きではなかった
ゲーム

メダルゲームにハマってしまった頃:我が黒歴史

20代、30代の頃メダルゲームにはまってしまった。この遊びは一度も経験のない人にはわからない。ゲームメーカーでその最高峰にあったのはやはりシグマ社だったと言いたい。そのくらい私はシグマ社の直営店のゲームファンタジアに通い詰めてしまった。
レジャー

松戸でも流行”切手収集”

生まれてはじめて入手した切手はグリコのおまけか、駄菓子屋のくじか、家に届いた封筒に貼ってあった10円の桜切手(普通切手)だった。その後、日本郵趣協会や日本郵便切手商共同組合の主催する催しに訪れたり、通販を中心に切手収集の範囲は広がった。
昔日の松戸

一度は行きたかった!松戸市民の保養施設”ブーゲンビリア(八丈島)”

昭和47年から昭和51年まで八丈島に存在していた松戸市民の為の保養所、アイデア市長で有名だった故松本清市長が個人資金で作ったと聞いた八丈島市民保養所”ブーゲンビリア”について振り返る。今更ではあるが行ってみたかったと思っている市民保養施設。
レジャー

スロットカーの流行した時代:根本、松戸駅近のスロットカーレーシング場の事

昭和40年代の頃、スロットカーと呼ばれる自動車のプラモデルをレース場で走らせる遊びが流行ったことがあった。これはコースにスロットと呼ばれる溝があり、ここから通電することによって車のプラモデルを走らせる。今は新橋のタミヤでミニ四駆の時代です。
レジャー

伝書鳩の流行

昭和39年東京オリンピック後、全国的な伝書鳩の流行があり、松戸でも同様に伝書鳩の流行があった。同級生の多くが鳩を飼うために知恵を絞り奔走していた。鳩小屋造りは、子供なのでお金もなく家電の梱包材で作った。そしてレース鳩アラシ0777のブレーク
ゲーム

アーケードゲームの事:昭和の頃にハマったゲームセンターのテレビゲーム達、私のベスト10

昭和の頃は街の盛り場にあるゲームセンターでよく遊んだ。その中でアーケードゲームという存在はゲームセンターの花だったと思う。実はインベーダーゲームの流行った頃は好きではなかった。主に1980年代以降良く遊んだ私のゲームベスト10を選んでみた。
ご意見箱

過去のご意見箱2009年1月

松戸に関する"表の家"ホームページ開設の2003年9月から現在に至るまでにいただきました、当ページへの大変貴重な皆様からのご意見箱を記録のために、残してあります。改めて読み上げますと皆様も松戸に強い思い出をお持ちなのだと感心するばかりです。
ご意見箱

過去のご意見箱2007年11月

松戸に関する"表の家"ホームページ開設の2003年9月から現在に至るまでにいただきました、当ページへの大変貴重な皆様からのご意見箱を記録のために、残してあります。改めて読み上げますと皆様も松戸に強い思い出をお持ちなのだと感心するばかりです。