松戸の古絵葉書

松戸風景絵葉書(松戸 福岡書店発行)

タトウ 松戸の古絵葉書
松戸観光絵葉書 タトウ 松戸福岡書店発行
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松戸の古絵葉書
松戸風景絵葉書(松戸 福岡書店発行)

(松戸風景)松龍台より市街 昭和10-12年発行、 発行者:福岡書店

松龍台より市街

松戸観光絵葉書
松龍台より市街
松戸福岡書店発行

この松龍台とは現在の戸定が丘の事

(松戸風景)松戸駅前通り 昭和10-12年発行、 発行者:福岡書店

絵葉書

福岡書店発行
松戸風景絵葉書
松戸駅前大通り

道の右側が、手前から葛西屋、三菱銀行(現松戸公産)、加藤履物店(現フジカ)、ナベシン

道の左側が遠州屋薬局(現本町クリニック)

(松戸風景)春雨橋 昭和10-12年発行、 発行者:福岡書店

春雨橋

福岡書店発行
松戸風景絵葉書
春雨橋

(松戸風景)角町通りより 昭和10-12年発行、 発行者:福岡書店

絵葉書角町

福岡書店発行
松戸町名所:絵葉書
角町通りより

(松戸風景)松戸神社 昭和10-12年発行、 発行者:福岡書店

松戸神社

松戸神社
松戸風景絵葉書
松戸福岡書店発行

(松戸風景)葛飾橋より 昭和10-12年発行、 発行者:福岡書店

葛飾橋より

松戸風景絵葉書
葛飾橋より
松戸福岡書店発行

レトロなバスがなんとも言えないね!

(松戸風景)陸軍工兵学校正門 昭和10-12年発行、 発行者:福岡書店

陸軍工兵学校

松戸観光絵葉書
陸軍工兵学校
松戸福岡書店発行

ここは現在の松戸中央公園。

(松戸風景)千葉県高等園芸学校 昭和10-12年発行、 発行者:福岡書店

千葉県高等園芸学校

松戸観光絵葉書
千葉県高等園芸学校
松戸福岡書店発行

これは講堂からフランス庭園を撮影したもの。

(松戸風景)千葉県東葛農商学校 昭和10-12年発行、 発行者:福岡書店

千葉県東葛農商学校

松戸観光絵葉書
千葉県東葛農商学校
松戸福岡書店発行

千葉県東葛農商学校は風早神社付近の土地に建っていたが、1950年に農業科は県立東葛高校に統合され、商業科は県立松戸高校に統合された。

(松戸風景)千葉県立松戸高校女学校 昭和10-12年発行、 発行者:福岡書店

千葉県立松戸高校

松戸観光絵葉書
千葉県立松戸高校
松戸福岡書店発行

現在の千葉県立松戸高校は中和倉に建っているが、この当時は上矢切にあった。現在、同地には、まつど市民活動サポートセンターなどが建設されている。

(松戸風景)排水川の釣り 昭和10-12年発行、 発行者:福岡書店

排水川の釣り

松戸観光絵葉書
排水川の釣り
松戸福岡書店発行

排水川とは何処だろうか?樋古根川に掛かっている橋の一つが排水橋と書かれていた。この樋古根川が排水川なのか、であるとすると現在の状況とは全く違ってみえる。絵葉書にコメントを書いてくださった”うしとら”様によれば、やはり樋古根川が排水川だったらしい(2021年11月16日)

(松戸風景)古ヶ崎小僧弁天 昭和10-12年発行、 発行者:福岡書店

古ヶ崎小僧

松戸風景絵葉書
古ヶ崎小僧
福岡書店発行

川が坂川、坂川の先に橋が見えるが多分弁天橋、右の鬱蒼とした所に小僧弁天があったのだと思う。この写真を見る限り、水郷の一部という感じがする。自然豊かな場所だったのだろうと思う。

(松戸風景)東京市八柱霊園正面 昭和10-12年発行、 発行者:福岡書店

八柱霊園

松戸風景絵葉書
八柱霊園
松戸福岡書店発行

ウィキペディアの八柱霊園によれば「本霊園は1935年(昭和10年)に、東京市が東方墓地として開設した」とある。

(松戸風景)六実ゴルフ 昭和10-12年発行、 発行者:福岡書店

ウィキペディアの武蔵野カンツリー倶楽部によれば、ここは武蔵野カンツリー倶楽部、六実リンクスと呼んだようだ

六実ゴルフ

松戸観光絵葉書
六実ゴルフ
松戸福岡書店発行

六実ゴルフ場

松戸観光絵葉書
六実ゴルフ場
松戸福岡書店発行

(松戸風景)松戸飛行場 昭和10-12年発行、 発行者:福岡書店

松戸飛行場

松戸観光絵葉書
松戸飛行場
松戸福岡書店発行

松戸飛行場と書いてあるものの、これは写真から江戸川堤防内の河原のようだ。河原でも、グライダーの練習をしていた事があったようなので、その風景だと思われる。

ただ、うしとら様より、これは現在の松飛台(松戸飛行場)ではなかろうか?とのご意見もありました。その為、グライダー付近の拡大したものを下に貼っておきます。

グライダー練習

グライダー練習の拡大写真 
右方向

滑走路なのか、江戸川なのか判断が付きませんが、右前方にあるのが、同様にグライダーなのか、はたまた、桟橋であるのか、判断が難しい

グライダー練習

グライダー練習の拡大写真 
左方向

人がグライダー周辺に集まっているのが分かります。

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あとがき

この絵葉書は2010年頃、発表し、何度かの内容変更を経て、2021年11月にWordpressの新しいフォーマットに合わせ掲載した。

写真絵葉書の著作権について

注:当サイトで掲載している写真絵葉書の著作権について
免責事項→”当サイトで掲載している写真絵葉書の著作権について”を御覧ください。この考え方に基づいて公開します。

コメント

  1. うしとら より:

    お久しぶりです。うしとらです。
    リニューアルされていてびっくりしました。
    見やすくて、記事も充実していて、素晴らしいです。
    私は子供の頃からマブナ釣りが好きで、
    大人になってもマブナ釣りが大好きで、
    マブナ釣りに関する古書を収集しています。
    「排水川の釣り」の写真。非常に興味深いです。
    樋古根川の写真だと思います。
    水神橋のあたりから排水橋み向かって撮影した写真だと思います。
    確かに今の風景とは大分異なりますが、
    昭和17年の釣り場案内(関東百万人の鮒釣場案内)を見ると、
    松戸駅周辺の鮒釣り場として坂川、弁天堀、六間堀、排水堀が紹介されており、
    排水堀は松戸の遊郭の裏手にあって十銭を徴収することから十銭堀と呼ばれている。と書いてあります。
    また、この写真を見ると冬枯れした河原に厚着をして釣りをしているので、
    寒鮒釣りの風景だと思うのですが、
    昭和13年の別の釣り場案内(東京近郊フナ釣場案内)を見ると、
    松戸水郷の川は全体的に水深が浅いのですが、
    排水堀は掘り込みで深場になっていたので、
    寒の時期には排水堀に鮒が集まり、絶好の寒鮒釣り場になっていたそうです。
    寒の時期には浅場には魚がいないので、釣り人の恰好からも排水堀ではないかと思うのです。
    昔の本を見ると今とは大分異なり驚きますが、それが面白いです。

    • うしとら様、
      コメントありがとうございます。お久しぶりです。お元気でしょうか?
      コロナ禍で個人の時間が増えた事もあって、表の家の脱皮と言いますか、一から作り直してみる事にしました。Wordpressという無料のプラットホームで、何年か前から注目されている方法です。排水川についての場所の特定ありがとうございます。それにしても樋古根川の現状は全然違ってしまっていますね。もっとも坂川も新坂川も川の氾濫を防ぐためと考えてますが、相当浚渫しているようですので、少なくとも私の子供の頃に比べても聳え立つ護岸の部分が増えて、川に降りられる箇所は少なくなってしまいました。
      マブナの事について:
      私が子供の頃は四つ手網専門で魚捕りでしたが、たまに延べ竿を垂れる事もありました。ある日父の友人(多分ヘラブナの釣り師だったと思う)が釣りをしに来ないかというので、父と行ったことがありました。場所はよく覚えていません。記憶する雰囲気は伝兵衛新田の先の地域だったような気がしますが、なんとも言えません。練り餌で、ヘラブナ用の浮きだったのは覚えています。結局父は坊主でしたが、私が何故か20cm程度のマブナを釣り上げました。その結果をその父の友人にほめられて、嬉しかったのを覚えています。
      昭和17年の釣り場案内という本も見てみたいですね!今度図書館で探してみます。
      そういえば、十数年前に国会図書館で松戸の釣り場に関する本を見たことがありました。それは確か赤入橋付近の案内だったと思いますが、コピーしたものがあったような記憶もありますので、探してみます。あ、そうそう、個人的なニュースがありますので、メールしておきますね。

      • うしとら より:

        こんどは松戸飛行場の写真にロックオンしています。
        この写真は私にも江戸川の土手から見た風景に見えるのですが、
        飛行場といいながら、滑走路が見えないので、
        川に見えている部分が滑走路かも・・と思うのです。
        私は仕事で富山県に住んでいたことがあるのですが、
        富山空港は神通川の河川敷にあり、空港デッキから眺めると
        川が二本流れているように見えたことを思い出しました。
        松戸飛行場=松飛台とすれば、
        かつて滑走路の一部が陸自:松戸駐屯地の運動場となっている部分です。
        この滑走路は南北方向に延び全長1200mの滑走路で、
        (太平洋戦争時の一般的な滑走路の長さです。)
        現在の海自:下総基地の滑走路とほぼ平行です。
        となると、西側(八柱霊園側)から東側の滑走路を眺めているのかなと思うのです。
        八柱霊園の周辺には近年まで掩体壕が残っていたと聞いたことがあります。
        どんなもんでしょうか?

        小僧弁天、北部小出身者には馴染み深い場所ですね。
        私の時代にはこの写真の右側あたりに「とめ吉さん」
        というホームレスのお爺さんが住んでいました。
        毎々子供たちがバカにすることに腹を立て、
        学校に抗議に訪れ、授業中の子供たちを震撼させたことがありました。
        この坂川に並行して東側に弁天堀が流れていた様なのですが、
        ぺんぺん草さんご記憶ありますか?
        私の時代は既に跡形もありませんでした。

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