昭和11年発行古しおり:伸び行く松戸(松戸付近ハイキング)
伸び行く松戸のちらしは情報量がえらく多い、全部一気に掲載するのは労力を要する為、分散させて投稿したいと思います。今回は松戸付近ハイキングです。
松戸付近ハイキング
松戸付近ハイキング其ノ一(御家族向)
所要地図五万分ノ一 草加松戸
上野-(電車十九分)金町-(一キロ強 ニ十分)-柴又帝釈天-(0.五キロ半 五分)-京成柴又-(一キロ半 四分)-京成金町-(バス 七分)-松戸-(電車二十三分)-上野
上図はこの説明に従い、現在の地図に落とし込んでみたルートです。フルスクリーン表示をクリックしますと全体が見られます。ご参考まで!
御家族向けには極好適の「コース」としてお勧め致します。先ず上野又は鶯谷より省線電車にて金町に下車左に折れて江戸川堤に出で南に凡そ一キロ強帝釈天の屋根が見えます。この堤は桜堤といひ陽春開花の頃は非常に雑踏する。又堤外の河原は摘草の好適地である。
扨て(さて)帝釈天は柴又題経寺の管理で尊像は日蓮上人の刻み給へし物にして都人士の信仰が非常に厚い。又庚申の命日には善男善女の参詣多く池上や堀の内に劣らない。ここから京成柴又駅に出で、京成金町下車バスに乗ればやがて江戸川堤に出る。
此の辺は東京市の風致地区で非常に景色が良い。堤を右に橋を渡れば松戸町である。角町停留場にて下車右に二丁十字路を左に折れてつき當りの丘が戸定ケ丘で千葉高等園芸学校・徳川子爵邸がある。同校は園芸に関する学術技術教授する文部省直轄の学校で其の敷地の広大なる設備の完備せる事は本邦一である。
其の温室・果樹園・花卉類殊に牡丹に至っては正に本邦無比である、更に整然たる様式庭園を散策し芝生の青々たる見晴台に立てば眺望絶佳関東平野の大半を一眸に収むといっても過言ではない、御帰りはもとの大通に出て右に凡そ八丁で松戸駅に至る事が出来る。
桜堤
江戸川の金町側が花が咲いているのが分かると思う。
園芸学校(現千葉大園芸学部)
松戸付近ハイキング其ノ二(御家族向)
上野-(電車二十三分)-松戸
上図はこの説明に従い、現在の地図に落とし込んでみたルートです。フルスクリーン表示をクリックしますと全体が見られます。ご参考まで!
このコースは御家族向、殊に御婦人御子様向として御推薦致します。先ず電車を松戸駅にて下車大通りに出て左に八丁程進み更に左に折れると前にせいぜいとした森に包まれたる丘がある。ここに千葉高等園芸学校がある。これは前に詳しく述べましたから省略し同校農場側の坂を下り斜めに右を見ると又美しい丘がある。
この丘が相模台で陸軍工兵学校の所在地である。此丘は北条長時の古城址で又天文の昔小田原の方丈氏綱と房総の主権者足利義明の古戦場である。義明父子はこの地に戦死されその墓は現在「けいせい」塚として立派に残っているが陸軍用地内で参観は一寸六ケ敷しい(ちょっとむずかしい)。
此の物語は裏面に詳しく書いてあるから省き、且つ此所は御婦人方には興味が少ないと思いますから見物は止とし鉄道線路に沿って駅前広場に出て流山行バスに乗り排水橋向に下車すると此の辺は一帯に松戸町の水郷で誠に野趣に充ち満ちたる昔ながらの農家が散在し筑波や富士山が見え景色は中々よい。
坂川堤を一丁程北に進むと小僧弁天という小さい祠がある。それも裏面に詳しく書いてあるからご覧を乞う事として先ず半日の美しいハイクは此の辺にて打切りもとのバスにて駅へそして御家庭へ
排水橋
排水橋は排水川にかかっている橋で、現在の樋古根川を指す。実際、古ケ崎五差路付近から樋古根川にかかっている橋を見ると排水橋と書かれている。戦前はもっと浅く、魚釣りの盛んな場所だったらしい。今、あの界隈に立ってみて水郷というイメージはない。
小僧弁天
写真はまだ小僧弁天の周辺が水郷だった頃の風景です。こんな素敵な場所でしたら、当時行ってみたいと思うかもしれませんね。
松戸付近ハイキング 其ノ二(御家族向)の感想
この当時の排水川と現状とは違いすぎる事、又、水郷だと言われたこのパンフ当時の古ケ崎の姿というものを是非この目で見てみたい。
松戸付近ハイキング 其ノ三(健脚向)
上野-(電車二十三分)-松戸-(4キロ五十分)-東部霊園-(二キロニ十分)-猪見塚-(バスニ十分)-松戸-(電車)-上野
上図はこの説明に従い、現在の地図に落とし込んでみたルートです。フルスクリーン表示をクリックしますと全体が見られます。ご参考まで!
松戸駅下車国道に出て一キロ二分右折して松や杉の茂る丘を右に見つつ坂を上り左に農商学校・風早神社を望みつつ東に進み畑の間に農家の点在する部落を過ぐれば右に広々たる練兵場が見える。是は陸軍工兵学校の作業場で本邦唯一の工兵戦術研究所である。
一寸横寄して壮烈なる大爆破戦車の驀進(ばくしん)坑道戦の実況等を見学するも非常時に適はしい事である。さらに鋪道を東に坂を下れば東京市東部霊園の参道である。此の霊園は東京市が五年の日子と莫大の経費を投じて造り上げたる広袤(こうぼう)二十三万坪に垂々たる(なりなんたる、なんなんたる)一大公園墓地で
多摩墓地と好一対のものである、否寧ろ其の優雅なる点は遥かに優れているとの評がある。ここを一巡して県道に出て右に凡そ一キロ半善光寺という古刹の土塀に添って右に半キロ猪見塚がある。幕末鹿狩の節将軍家の野立場で此の辺一帯は春は蕨(わらび)狩、秋は茸狩の好適地である。
更に進んで六実ゴルフ場に行くには少し困難と思うから先ず県道に出てバスにて松戸駅へ。
猪見塚
猪見塚とは将軍様が御鹿狩(おししがり)の際に御立場(おたつば)になるところで、高台になっている。現在当地は見る影もない。非常に残念な事だ。まだ、この伸び行く松戸が発行された頃まではあったという事でしょうね。
善光寺
松戸付近ハイキング 其ノ三(健脚向)の感想
書かれているコースが果たしてどんなコースなのか地図上で確かめてみたが、これを歩いていくのは大変なのではないか?と感じた。結構な距離がある。
終わりに
戦後相当変わってしまった松戸。多くの大切なものを失ってしまったという事だろうか?考えてみれば残念でならない。
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