つれづれなお話

つれづれなお話

昭和の遊び:2B、かんしゃく玉など・・・花火

昭和30-40年代に駄菓子屋で買ったおもちゃの内、火薬を使う玩具は遊びの王者だったように思う。よく使ったのはかんしゃく玉で、後に禁止された2B弾、平玉拳銃や巻玉拳銃、それほど危なくない蛇玉や金魚花火など、子供の頃どんな花火で遊びましたか?
つれづれなお話

プロレスに夢中になった昭和40年代

昭和40年代に何故か夢中になってしまったプロレス、あんまり夢中になっていたので、友達のプロレス同人誌も一緒に書いたり、蔵前国技館にミル・マスカラスの試合があって、父に連れて行ってもらったことを思い出す。でも、小学生の頃はあまり好きではなかった
楽しみ

伝書鳩の流行

昭和39年東京オリンピック後、全国的な伝書鳩の流行があり、松戸でも同様に伝書鳩の流行があった。同級生の多くが鳩を飼うために知恵を絞り奔走していた。鳩小屋造りは、子供なのでお金もなく家電の梱包材で作った。そしてレース鳩アラシ0777のブレーク
つれづれなお話

犬のお話-1 犬の気持ち

虎ノ門ヒルズが出来る数年前、西新橋側に自転車修理屋さんがあった。そこでは犬を飼っていて、犬の名前をコテツと言った。とても大人しい犬で私になついた。そのコテツに会うことが日課になったのだが、コテツは最終的には修理屋のご主人が一番好きだった。
つれづれなお話

デパートの売り子をした事がありますか?

学生時代に何回かデパートの果物売り場でバイトをしていた。客として見ていたデパートの姿を、一従業員の立場で見た時の驚き、新鮮さは今でもはっきりと覚えている。開店時のマナー、隠語・符丁、どの人が見回りの人なのか?など観察していると飽きないものだ
つれづれなお話

台湾で金は蓄財物、日本で金は単なる実用品

日本のデパートは付加価値を売る場所。金のネックレスを売っていたとしても、それは金を売っているのではなく、付加価値を売っていた。技術料、中間経費、運送料、儲けなどを合算したもので、金そのものよりも付加価値の方が高額になってしまうアンバランス
つれづれなお話

ボーナス:私どもの努力が足りませんでした

ボーナスは昨今銀行振込が普通になりましたが、バブルの頃までは現金支給でしたね。あの封筒を持つと、えらく気が大きくなったものです。ボーナス支給後飲み会があった年は、近所で勤務する妹に託し持ち帰ってもらう、そんな現金支給だった頃の牧歌的なお話。
つれづれなお話

喫茶 Photo 冨士-松戸本町

松戸駅西口、アトレ沿いの道を歩いていき途中で左折すると喫茶 Photo 冨士という喫茶店が有る。昔ながらの喫茶店である。中に入ると落ち着いていて、私はこういう店が好きだ。結婚し独身生活とおさらばしてからは中々喫茶店に入るという事が少なくなった
つれづれなお話

定期券の話

まだ、馬橋ー浅草寿町線が存在していた頃、稔台や松戸新田方面に住む北部小の同級生はバスで通学していた。彼らは大変だったと思う。ただ、彼らの持っている通学定期券が打ち出の小槌の様に思えて、私は欲しくてたまらなかった。ある日、吉岡文具店で聞いた。
つれづれなお話

魚野川の蛍と川

大学生だった頃新潟県の石打に行った。季節は夏だったのでスキーは出来なかったが、幻想的なホタルの大群を見た。余程水も空気もキレイな場所だったのかもしれない。翌日魚野川の強い流れの中で同級生がウグイを手づかみで捕らえたのを見て敵わないと思った