昔日の松戸

昭和の松戸を歩く

昭和の頃にたくさんあった松戸市の銭湯を記録する

銭湯は庶民の歴史、住宅があれば必ず近くに銭湯があった。松戸市にも最盛期の昭和39年~45年は30軒あった松戸市の銭湯。私も昭和40年代前半までは銭湯通い(竹の湯専門)でした。昭和から続く松戸の銭湯について、なるべく網羅し、充実していきたい。
昔日の松戸

消滅した竹ヶ花古墳とお墓引越しのお話-実はとても大変だった

松戸の衛星都市計画の一環で、松戸の田畑、空き地、雑木林など、次から次へと住宅地になっていった。松戸市竹ケ花の実家付近に古墳時代に作られた「竹ケ花古墳」があったが、新京成電鉄敷設やマンション化の為に消滅してしまった。これを記録として残す。
昔日の松戸

子供の頃の馬橋の原風景について

馬橋駅西口エリア、友人にその住宅街の一角にある日本蕎麦屋さん"そばきり うめ吉"に誘われた。子供の頃、あれだけ馬橋駅東口には行っていたが、何故西口には来たことが無かったんだろうか?考えてみればこの一帯は昭和30年代は見渡す限り田畑だった。
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松戸の名産品「茄子のよいち漬け」を作る。小茄子のへた取りと島村俊商店さん

松戸の名産品に茄子のよいち漬けがある。松の木橋を渡った先には島村俊商店の工場があった。昭和三十年代にこの工場で季節労働をされた経験のある女性(工場近くに住んでいた方です)に在りし日茄子のよいち漬け工場の作業状況や雰囲気をはなしていただいた。
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月賦で商品を買っていた昭和の時代と松戸駅付近の月賦百貨店について

昭和30年代前後月賦で商品を買うのは通常行われた商品購入方法。現在のクレジットカードで決済する月払いは店、信販会社、客の間で結ばれる三者契約だったが、この当時の月賦は店と客との二者契約だった。松戸駅付近の月賦百貨店を古い広告を使い振返る。