昔日の松戸

昔日の松戸

一度は行きたかった!松戸市民の保養施設”ブーゲンビリア(八丈島)”

昭和47年から昭和51年まで八丈島に存在していた松戸市民の為の保養所、アイデア市長で有名だった故松本清市長が個人資金で作ったと聞いた八丈島市民保養所”ブーゲンビリア”について振り返る。今更ではあるが行ってみたかったと思っている市民保養施設。
レジャー

スロットカーの流行した時代:根本、松戸駅近のスロットカーレーシング場の事

昭和40年代の頃、スロットカーと呼ばれる自動車のプラモデルをレース場で走らせる遊びが流行ったことがあった。これはコースにスロットと呼ばれる溝があり、ここから通電することによって車のプラモデルを走らせる。今は新橋のタミヤでミニ四駆の時代です。
松戸行脚

旧川崎銀行と松戸公産建物研究

すでに取り壊され新しいビルに変ったが、松戸市の旧水戸街道沿いにあった歴史的建造物であった松戸公産ビル(旧川崎銀行、旧三菱銀行ビル)の各歴史的書物における記述を見直し、歴史的価値の再認識、他明治時代の銀行のファサードと共に記録として残したい。
平潟

松戸・平潟神社案内マップ:松戸駅西口

松戸駅最寄りの歓楽街・平潟にあった平潟神社(水神社)は色々な歴史的光景を見てきたに違いない。この平潟神社の樹木や石造建築物に関して、記録を残し、説明を加えたマップを作成。平潟神社に興味を持たれた方はこのマップを持って是非訪れてみて下さい。
昔日の松戸

松戸の街路灯

平潟や水戸街道にあったレトロな街路灯について、2006年”松戸の街路灯”として発表した。これを松戸の古絵葉書やその他他所における同タイプの街路灯の調査を以て、復活させました。市川市八幡の街路灯を案内していただいたK様、ありがとうございます。
昭和の松戸を歩く

昭和の頃にたくさんあった松戸市の銭湯を記録する

銭湯は庶民の歴史、住宅があれば必ず近くに銭湯があった。松戸市にも最盛期の昭和39年~45年は30軒あった松戸市の銭湯。私も昭和40年代前半までは銭湯通い(竹の湯専門)でした。昭和から続く松戸の銭湯について、なるべく網羅し、充実していきたい。
昔日の松戸

消滅した竹ヶ花古墳とお墓引越しのお話-実はとても大変だった

松戸の衛星都市計画の一環で、松戸の田畑、空き地、雑木林など、次から次へと住宅地になっていった。松戸市竹ケ花の実家付近に古墳時代に作られた「竹ケ花古墳」があったが、新京成電鉄敷設やマンション化の為に消滅してしまった。これを記録として残す。
昔日の松戸

子供の頃の馬橋の原風景について

馬橋駅西口エリア、友人にその住宅街の一角にある日本蕎麦屋さん"そばきり うめ吉"に誘われた。子供の頃、あれだけ馬橋駅東口には行っていたが、何故西口には来たことが無かったんだろうか?考えてみればこの一帯は昭和30年代は見渡す限り田畑だった。
昔日の松戸

松戸の名産品「茄子のよいち漬け」を作る。小茄子のへた取りと島村俊商店さん

松戸の名産品に茄子のよいち漬けがある。松の木橋を渡った先には島村俊商店の工場があった。昭和三十年代にこの工場で季節労働をされた経験のある女性(工場近くに住んでいた方です)に在りし日茄子のよいち漬け工場の作業状況や雰囲気をはなしていただいた。
昔日の松戸

月賦で商品を買っていた昭和の時代と松戸駅付近の月賦百貨店について

昭和30年代前後月賦で商品を買うのは通常行われた商品購入方法。現在のクレジットカードで決済する月払いは店、信販会社、客の間で結ばれる三者契約だったが、この当時の月賦は店と客との二者契約だった。松戸駅付近の月賦百貨店を古い広告を使い振返る。