犬のお話-1
可愛いワンちゃん”コテツ”ちゃんとの時間
昼食後、行きつけのコーヒーショップにカフェラテを買いに行く。店員がカフェラテを作っているほんの束の間、沖縄出身の店長とのショートトークがささやかな日課になっている。又、このコーヒーショップへ辿る道筋に自転車&バイクの修理屋さんがある。この修理屋の店頭で寝ている飼い犬が可愛くて、声をかけるのがもう一つの日課になっている。
名前をコテツという。修理屋のおじさんによれば、コテツは元々捨て犬だったそうで、保護して飼うことにしたんだそうだ。
優しい性格のコテツちゃん
最初に見かけた時から大人しくて吠えない、噛みつかない犬である事は一目瞭然で、気楽に近づいて頭を撫でる事が出来た。ただし、飼い主(修理屋のおじさん)への忠誠心が強いと見えて、簡単に私に懐いてくれない。こうなると私のワガママな性格が台頭してくる。「何とか懐かせてみよう」コーヒーショップへの行き帰り二回、毎日次の動作を繰り返した。
口笛を吹いて近づき「やあ!」と声を掛け、十数秒間「よしよし!」と頭を撫でてあげる。ただし餌付けはしない。二三週間こまめにこれを続けたら、嬉しい事に大分懐いた。今日などは口笛を吹いただけで私の所に走り寄ってきて、頭を撫でると寝ころんび、しまいには仰向けに腹を出して私の撫で撫でに任せている。ところが私だっていつまでも犬に迎合しない。
コテツちゃんにとっての、忠誠度の序列がある?
十数秒後撫で撫では終了し、背を向けてカフェラテを買いに行ってしまう。さて、同日カフェラテを買った帰り路、この犬の性格を見た。否、それは犬の習性だったのかもしれない。件の修理屋さんに私が近づくと、トレンチコート姿のいかにも犬好きそうなサラリーマンが膝まずいて犬をあやしていた。
ところが、近づいて来る私に気がついた次の瞬間、即座にその人に見切りをつけて、私の所に走り寄って来てジャレた。私としてはとても嬉しい。「やったぁ~!」である。ところがだ……修理屋の前にバイクに乗ったある中年男性が到着するのを見つけたや否や、今度は私に見切りをつけてそのバイクの男性の方に走り去ってしまった。これはちょっと寂しい。
さらに次の瞬間お店の中からご主人の声が聞こえたらしく、今度はそのバイク男性に見切りをつけて、店内に慌てるように入って行った。さてはて、これは一体どういう事なのだろうか?もしかすると犬の心の中に親しさの順番、順列、区別があるのかもしれない。そういえば先日、犬大好きのE子さんから「犬はその飼い主の家族の一番下から二番目に偉いと思っている」という興味深い話を聞いた。
犬が寂しがり屋なのは元々群れを為す動物だから?
又、何かの文献で「犬が寂しがり屋なのは元々群れを為す動物だから……」という説を読んだ事がある。反対に「猫は群れを為さず一匹狼的に生活するので、犬ほどは寂しがり屋ではない」と書かれていた。確かに犬は飼い主に媚を売るけれど、猫は犬ほどには媚びを売らない。犬は満腹であろうとなかろうと人間に寄ってくるけれど、猫は満腹の時はつんとして、お腹が空くと寄ってくるという感じがする。
猫の方が現実的、作為的な印象がある。太古の昔から犬は人間に飼われる対象になっている。ところが近年は事実上放し飼いが許されず、野犬が生存できない環境になっている。その為、犬同士が群れを為して、生活を共にする機会は殆ど無く(少なくとも現在の松戸では)見かけない。(犬同士で)群れる自由を奪われた犬は、その群れる本能を人間との生活の中に置き換えて生きているのかもしれない。今日は何となくそう思った。
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