つれづれなお話

つれづれなお話

電気製品への憧れを持っていた昭和の頃

小学生だった昭和の頃自宅にあった電化製品も今現在に比べれば貧弱だったが、それでもあるというだけで幸せだったように感じる。高校生の頃サンヨー電気のOttoを買って世界観が変わった。主に昭和の頃にあった、音響製品について、思い出し、書いてみたい
つれづれなお話

英語を勉強したいと思った人に、御推薦したい本

英語の教則本をお探しのあなたに良い本があります。それは英語を話す外国人の為の日本語教則本です。私の場合は、Teach Yourself Booksの「Japanese(C.J.Dunn 及び S.Yanada著」でした。これを毎日勉強した。
昔日の松戸

社会科見学の今昔

社会科見学は大好き。小学校の時は次はどこの見学に行けるのか楽しみで仕方がなかった。行ったのは、春雨橋近くにあった頃の松戸郵便局本局と野田のキッコーマン工場だった。どちらも新鮮な刺激で楽しかった。特に郵便局は仕分作業が最高に面白かった。
つれづれなお話

昭和の遊び:2B、かんしゃく玉など・・・花火

昭和30-40年代に駄菓子屋で買ったおもちゃの内、火薬を使う玩具は遊びの王者だったように思う。よく使ったのはかんしゃく玉で、後に禁止された2B弾、平玉拳銃や巻玉拳銃、それほど危なくない蛇玉や金魚花火など、子供の頃どんな花火で遊びましたか?
つれづれなお話

プロレスに夢中になった昭和40年代

昭和40年代に何故か夢中になってしまったプロレス、あんまり夢中になっていたので、友達のプロレス同人誌も一緒に書いたり、蔵前国技館にミル・マスカラスの試合があって、父に連れて行ってもらったことを思い出す。でも、小学生の頃はあまり好きではなかった
レジャー

伝書鳩の流行

昭和39年東京オリンピック後、全国的な伝書鳩の流行があり、松戸でも同様に伝書鳩の流行があった。同級生の多くが鳩を飼うために知恵を絞り奔走していた。鳩小屋造りは、子供なのでお金もなく家電の梱包材で作った。そしてレース鳩アラシ0777のブレーク
つれづれなお話

犬のお話-1 犬の気持ち

虎ノ門ヒルズが出来る数年前、西新橋側に自転車修理屋さんがあった。そこでは犬を飼っていて、犬の名前をコテツと言った。とても大人しい犬で私になついた。そのコテツに会うことが日課になったのだが、コテツは最終的には修理屋のご主人が一番好きだった。
つれづれなお話

デパートの売り子をした事がありますか?

学生時代に何回かデパートの果物売り場でバイトをしていた。客として見ていたデパートの姿を、一従業員の立場で見た時の驚き、新鮮さは今でもはっきりと覚えている。開店時のマナー、隠語・符丁、どの人が見回りの人なのか?など観察していると飽きないものだ
つれづれなお話

台湾で金は蓄財物、日本で金は単なる実用品

日本のデパートは付加価値を売る場所。金のネックレスを売っていたとしても、それは金を売っているのではなく、付加価値を売っていた。技術料、中間経費、運送料、儲けなどを合算したもので、金そのものよりも付加価値の方が高額になってしまうアンバランス
つれづれなお話

ボーナス:私どもの努力が足りませんでした

ボーナスは昨今銀行振込が普通になりましたが、バブルの頃までは現金支給でしたね。あの封筒を持つと、えらく気が大きくなったものです。ボーナス支給後飲み会があった年は、近所で勤務する妹に託し持ち帰ってもらう、そんな現金支給だった頃の牧歌的なお話。