昔日の松戸

昔日の松戸

農業と共にあった松戸の市場を考える

子供の頃、松戸には農地がとても多かった。ただ、戦後の農地改革、衛星都市政策の影響で非常に激減していったようです。また、同時にその農業と共に支えあった市場も分本場合わせて15ほどあった昭和30年代から減少し、現在は後に出来た南部市場だけです
2021.08.01
昔日の松戸

松戸の新坂川って何?どんな川なの?

馬橋と新松戸の間、新坂川沿いの桜並木の新坂川桜並木周辺案内板には「松戸市の市街地を流れる新坂川は、水田地帯の洪水被害の軽減と昭和大恐慌の失業対策、農民救済を目的として昭和8年から昭和12年頃に掘られた川」とあり、その意味と効果を検証する。
2021.08.26
昔日の松戸

松戸市立第六中学校の今昔:昭和の頃上本郷駅近くにあった六中について現況と共に調べる

現在千駄堀の運動公園付近にある松戸市立第六中学校はかつて、新京成電鉄上本郷駅近くにあった。現在の松戸市立上本郷第二小学校の位置である。我々が中学生だった頃とは校舎の位置も様子も異なっていた。その当時の様子についての思い出と記録として残したい
2021.08.01
昔日の松戸

一度は行きたかった!松戸市民の保養施設”ブーゲンビリア(八丈島)”

昭和47年から昭和51年まで八丈島に存在していた松戸市民の為の保養所、アイデア市長で有名だった故松本清市長が個人資金で作ったと聞いた八丈島市民保養所”ブーゲンビリア”について振り返る。今更ではあるが行ってみたかったと思っている市民保養施設。
2021.09.21
楽しみ

スロットカーの流行した時代:根本、松戸駅近のスロットカーレーシング場の事

昭和40年代の頃、スロットカーと呼ばれる自動車のプラモデルをレース場で走らせる遊びが流行ったことがあった。これはコースにスロットと呼ばれる溝があり、ここから通電することによって車のプラモデルを走らせる。今は新橋のタミヤでミニ四駆の時代です。
2021.08.01
松戸行脚

旧川崎銀行と松戸公産建物研究

すでに取り壊され新しいビルに変ったが、松戸市の旧水戸街道沿いにあった歴史的建造物であった松戸公産ビル(旧川崎銀行、旧三菱銀行ビル)の各歴史的書物における記述を見直し、歴史的価値の再認識、他明治時代の銀行のファサードと共に記録として残したい。
2021.08.20
昔日の松戸

平潟神社案内マップ:松戸駅西口

松戸駅西口側にある平潟神社(水神社)は色々な歴史的光景を見てきたに違いない。この平潟神社の樹木や石造建築物に関して、記録を残し、説明を加えたマップを作成。平潟神社に興味を持たれた方はこのマップを持って是非訪れてみて下さい。色々な事が分かります
2021.08.16
昭和の松戸を歩く

昭和の頃にたくさんあった松戸の銭湯を記録する

銭湯は庶民の歴史、住宅があれば必ず近くに銭湯があった。松戸市にも最盛期の昭和39年~45年は30軒あった松戸市の銭湯。私も昭和40年代前半までは銭湯通い(竹の湯専門)でした。昭和から続く松戸の銭湯について、なるべく網羅し、充実していきたい。
2021.09.18
昔日の松戸

消滅した竹ヶ花古墳とお墓引越しのお話-実はとても大変だった

松戸の衛星都市計画の一環で、松戸の田畑、空き地、雑木林など、次から次へと住宅地になっていった。松戸市竹ケ花の実家付近に古墳時代に作られた「竹ケ花古墳」があったが、新京成電鉄敷設やマンション化の為に消滅してしまった。これを記録として残す。
2021.08.01
昔日の松戸

子供の頃の馬橋の原風景について

馬橋駅西口エリア、友人にその住宅街の一角にある日本蕎麦屋さん"そばきり うめ吉"に誘われた。子供の頃、あれだけ馬橋駅東口には行っていたが、何故西口には来たことが無かったんだろうか?考えてみればこの一帯は昭和30年代は見渡す限り田畑だった。
2021.08.01
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