つれづれなお話

犬のお話-4 犬を大切にする心

ヨークシャテリア つれづれなお話
PexelsによるPixabayからの画像
スポンサーリンク
スポンサーリンク

犬を大切にする心

犬を愛する

StockSnapによるPixabayからの画像

私が小さい頃、動物に対して優しく接していたわけではなかった。

どう考えても、彼らの寿命の方が私よりも早い。従って、彼らが死んでしまう場面に何度も立ち会い、考えた。私は決して聖人君子のような人間ではなかったし、どちらかというといたずらっ子だった。飼っていた動物にとって私は迷惑この上無い存在だったかもしれない。

立ち止まって、よく考えてみれば、彼らも我々と同じく、命ある生き物だ。やはりもっと慈愛をもって接しなければいけない。私は歳を重ねるごとに、反省の気持ちを重ねていった(でも本当はもっと早く気が付かなければいけなかった)。だから、娘が「犬を飼いたい」と云うと、実は及び腰になってしまっている。そして滾々と動物の命の大切さについて、語ってしまう。その上で

「犬が可愛いという気持ちは私も同じだ。君のその気持はよく分かる。でも、学校に通って一日の6時間以上を学校で過ごしている君が、犬を飼ったとして、どうやって面倒を見ることが出来るのか?結局手に負えなくて、お母さんにやらせて終わりなんじゃないのか?動物って可愛いと感じる気持ちだけでは、足りない部分があるんだ」

と偉そうなことを言ってしまう。でも同時に、動物の命の大切さは実際に飼ってみないと実感できない。覚えられない。また、動物はいつも元気じゃない。病気にもなる。そういう時に一緒に病気に立ち向かってあげないといけない。ただ、共同生活をする事で、動物に迷惑をかけながら、自分のいい加減さを反省しながら、共に成長するというのは人格形成の上でも大事なことだとは思う。でもね・・・と二の足を踏む。分かるだろうか?この気持・・・

安易に動物を飼わないでほしい

可愛いペット

Gerhard G.によるPixabayからの画像

ただ、可愛いという理由だけでペットショップで動物を買ってきてしまうのは思いとどまってほしいと思っている。どんな事があっても、その動物が一生を全うするまで、面倒見られる覚悟のある人だけが飼ってほしい。”引っ越しするから飼いきれない”などと言わないでほしい。もしあなたが、犬を保健所に連れて行くと、一定の保護期間の後、窒息死による殺処分となってしまう。

そういう現実をわかって欲しい。でも、だからといって、保健所や動物愛護センターを攻めるのは間違っていると思う。本当に間違えているのは、飼いきれないと途中で投げ出してしまうその人の方なのだから・・・これが、あんなにいたずらっ子だった私の実感です。

スポンサーリンク

知人は・・・

ヨークシャテリアが一ヶ月で

ヨークシャテリア

PexelsによるPixabayからの画像

30年くらい前だったが、知人が可愛いからとヨークシャテリアをペットショップから買った。えらく高かったと言っていた。溺愛に近かった様に見えたが、飼っているご本人も仕事があるので、そうそう一日中一緒に居られない。一ヶ月もしない内に死んでしまった。理由までは聞かなかった。ただ、不用意に飼い始めるのはどうなんだろうか?という疑問があった。

また、香港に居た頃だったが、独身の同僚が犬が可愛いので飼いたいと言い始めた。毎日のようにそう云うので耳にタコが出来た。ただ、ある時私は言った「○○さんも私も忙しい。帰宅する時間もマチマチだ。でも家に誰かがいる訳ではない。そんな状態で犬を飼ったら可哀想だよ。せめて、結婚してからにしたらどうか?」

この言葉に上司で愛犬家のSさんが「その通り!」

スポンサーリンク

犬を救う人々

一方こんな人達も居る。

犬達

Dorota KudybaによるPixabayからの画像

2002年頃、沖縄に常駐していたことがあった。建築仲間でフリーランスの友人が私のアパートから比較的近い大謝名に住んで居たので、沖縄そばのお店や沖縄の美しい場所などを連れて行ってもらったことがあった。その友人は、犬を飼っていた。保護犬を貰い受け、犬の里親になった人で、とても素晴らしい。

話を聞くと、その犬は元の持ち主によって虐待を受けていたらしく、私と初対面の時には懐いてくれなかった。多分、初めてその犬に会った時に私がかくし芸のつもりでカラスの鳴き声をしてあげたからかもしれない。その為かなり警戒されてしまった。ある日、その建築友人の知り合いの家が嘉数にあり遊びに行かないか?と誘われた。

嘉数の家に初めて訪れた時、驚いてしまった。家の中で大小何十匹の犬が右へ左へ走り回っていた。話を聞くと、全部保護犬で、面倒を見てあげていたのだった。世の中にはこんなに心優しい人達がいるという事に驚いた。

たけしは偉いね

https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2022/03/13/kiji/20220313s00041000455000c.html

ドッグレスキューしおんの会

この動画によると法律上は大きく分けて犬は以下3つのカテゴリーに分別されるらしい。

  • 人間に飼われているペットとしての犬:動物愛護法で守られていて虐待禁止
  • 市街地をうろつく野良犬:狂犬病予防法の対象で保健所が捕獲し、ワクチンを打った後に新しい飼い主を探す。
  • 野良犬が野生化して山で生きる犬は行政上は”ノイヌ”:酪農や人の生活に危害を与える可能性があり、鳥獣保護法の対象で猟銃による駆除可

この動画の中で活動しているのは北海道のドッグレスキューしおんの会の人たちである。また、猟友会の人も出てくるが、やむを得ず撃つそうで、撃つ場合は胸が痛むそうだ。

ドッグレスキューしおんの会 - ドッグレスキューしおんの会

動物愛護センター

犬と猫との出会いの場(ほしい方編)

犬と猫との出会いの場(あげたい方編)

最後に

何か免許制度を作るとか、誰の飼っているペットであるのか鑑札をつけてコントロールする法律を作るなど、本来の動物の愛護の為になる事が出来ないのだろうか?

関連ページ

犬のお話-1 犬の気持ち
虎ノ門ヒルズが出来る数年前、西新橋側に自転車修理屋さんがあった。そこでは犬を飼っていて、犬の名前をコテツと言った。とても大人しい犬で私になついた。そのコテツに会うことが日課になったのだが、コテツは最終的には修理屋のご主人が一番好きだった。
犬のお話-2 シロ
昭和30年代、40年代というのは本当に多くの人が、犬、猫、セキセイインコ、文鳥、鳩、ウズラに鶏など、とにかく色々な動物を飼っていたと思う。高度成長期で強くたくましく生きていくと同時に動物との心の触れ合いも欲していた。そんな頃家にシロが我が家に
犬のお話-3 野犬の話
昭和30年代の松戸には放し飼いの犬は多かった。それは野犬と区別がつかず、追いかけられると子供としては恐怖以外の何物でもなかった。犬の放し飼いは許されなくなり、犬狩りもあり、放し飼いの犬は激減しました。2022年現在、犬らしい犬は少なくなった
犬のお話-5 犬の気持ち
昭和の頃、空地を遊んでいるとよく放し飼いの犬に追いかけられた。番犬に吠えられる事も多かった。犬は集団行動の中で生きていく動物なので自分の仲間であるのか否やか真っ先に考えるのであろう。空地も少なくなり人間以外の生物が生きにくい世の中になった。

コメント

  1. スマホテスト

  2. うしとら より:

    私の家では、父が自分よりも先に犬が死ぬことに耐えられないという理由で、犬を飼うことが許されませんでした。
    父が子供頃、家の門から飼っていた犬が道路に飛び出し、父の目の前で車に轢かれて死んでしまったことがトラウマになっていたようです。
    その当時の家族構成は人間×13人、馬×1、犬×1だったそうです。祖父の兄弟姉妹が結婚前だったので大家族だったそうです。祖父の兄弟姉妹は父の叔父叔母になりますが、年の離れた兄弟として扱われていたそうで、父たち兄弟は大叔父大叔母のことをあんちゃん、ねえちゃんと呼んでいました。ですので、私たち兄弟も大叔父大叔母のことをおじさんおばさんと呼んでいます。

  3. うしとらさん、
    コメントありがとうございます。
    目の前で家族同様の犬が目の前で轢かれたら、多分私もうしとらさんのお父さん同様にトラウマになってしまいます。
    長く一緒に生活しているとどうしても情が湧きますからね・・・

タイトルとURLをコピーしました