昔日の松戸

松戸の工業地域と縫製工場「興洋」と縫製の内職`まとめ`と根本地区について

北松戸工業地帯だけでなく、松戸市根本から平潟までの准工業地帯にも色々な工場が存在。島村俊商店、川光物産、雪印種苗、興洋、金沢縫製、日本スイフトなど、今回はその内の一つ服飾工場「興洋」の研究を行う。過去「興洋」の仕事を請け負った方からのお話。
千葉県のお宝

古書「皇太子さまと房総」 昭和二十三年

昭和二十三年一月四日から七日間、当時の皇太子殿下(現天皇陛下)が房総の御見学旅行をされ、それについての小冊子が発行された。ご旅行のコースは下記を参照願うが、市川から始まり内房を南に下り、白浜から外房を北上され銚子から電車で帰宅された記録。
昭和の松戸を歩く

かつて竹ケ花踏切以東にあった松戸市竹ケ花商店街(旧水戸街道)

常磐線複々線化によって閉鎖された竹ケ花の踏切以東には松戸市竹ケ花商店街があった。そのお店を一つ一つ思い出していきたい。我が実家はかき氷販売から始まった。かき氷は缶ジュースの出現で衰退したという人が居たが冷房設備と冷蔵庫の出現によって衰退した
昭和の松戸を歩く

松戸市道の商店・飲食店・会社

昭和30年代前半に、市役所が根本に本館を建てた事で、竹ケ花には松戸市道が開通する事になった。旧水戸街道から胡録台まで。この松戸市道が出来たことで、市役所に行くことや竹ケ花のお墓にいくことが便利になりましたし、小規模ですが、飲食店や商店が出来た
昭和の松戸を歩く

昭和時代の松戸市立北部小学校あれこれ

昭和の頃の松戸市立北部小学校やその周辺について、思いだす限り書いています。中には父から聞いた話も書きました。私が小学生だった頃と現在の北部小学校及びその周辺は激変しています。新坂川は水辺に降りられる川でしたが、治水の為に護岸工事されてしまった
昭和の松戸を歩く

戦後の竹ヶ花根本南花島一帯とヤマザキパン工場

昭和30年代とはすっかり変わってしまったヤマザキパン工場周辺、竹ケ花、南花島、根本を中心にして、昭和22年の国土地理院の空中写真を使用しつつ、私が子供の頃(昭和30年代ではあるが)を思い出し、果たしてどんな風に変わったのか、記録として残したい
松戸行脚

八柱霊園に眠る著名人

八柱霊園には有名、著名な方々のお墓があります。ただ、昭和生まれの私でも知らない人もおります。ところが調べてみると案外馴染みのある方だったりします。そこで、その情報を共有し、ご興味を持った方が、生前の故人を偲びお墓参りが出来る様に作りました。
つれづれなお話

現代餃子考

私は台湾で初めて水餃子のお店に入り食べた時、これが水餃子なんだと思った。そして20個は食べたと思う。あの日以来、私は水餃子が好きになった。勿論焼き餃子も好きだが、もし中華レストランに行って、手頃に水餃子が食べられるなら,私は水餃子を注文した
表の家の周辺

表の家ホームページを作ろうと思ったきっかけ

自分の歩んできた路を振り返った時に、色々なイベントやニュースがあった。でも本当に自分にとっての思い出というのは、特別派手なことでも何でもなく、近くの商店買い物をしたり飲食店で食事をした。そんな地味な日常に起こっていた些細な出来事の積み重ね。
松戸の古絵葉書

古絵葉書:国宝 馬橋万満寺繪端書

1256(建長8)年に下総国守護千葉頼胤が万満寺の前身となる真言宗大日寺を創建する。室町時代 千葉満胤が臨済宗の寺院として再興、足利氏満の満にあやかり万満寺と命名。1537(天文6)年高城胤吉よりこの地を寄進された・・という訳でとても古い寺