つれづれなお話

プロレスに夢中になった昭和40年代

昭和40年代に何故か夢中になってしまったプロレス、あんまり夢中になっていたので、友達のプロレス同人誌も一緒に書いたり、蔵前国技館にミル・マスカラスの試合があって、父に連れて行ってもらったことを思い出す。でも、小学生の頃はあまり好きではなかった
昔日の松戸

松戸市栄町商店街、昭和40-50年代は歩くのに苦労するほど賑わっていた

栄町の商店街、特に活気があったと言われる中央通り商栄会を2021年現在歩いてみると、営業している店が数えるほどしか無くて、その面影があるやなしや・・・寂しいばかりである。過去の松戸の情報誌、或いは広報まつどの記事を通して、振り返ってみる。
昔日の松戸

笹屋さんと御用聞き、その他引き売りなど

昭和の時代までは個人商店がもっとも活気のあった時代だと思う。自分のお店でお客を待つだけでなく、引き売りをしながら、積極的に食材、商品を売っていた時代だ。それが、バブルの時代に入った頃からか、或いは大型店が出来た頃からか、引き売りを見なくなった
昔日の松戸

ペリカン、シャンテリ、モンクトン:かつて松戸にあったケーキ屋さん

シャンテリ・モンクトン・ペリカン、松戸にかつて存在した素敵なケーキ屋さん。私が小さい頃、ケーキというとクリスマスの時に食べるデコレーションケーキ(しかもバタークリームのです)であったが、この小さなケーキ屋さんの登場でケーキの美味しさを知った
ゲーム

メダルゲームにハマってしまった頃:黒歴史

20代、30代の頃メダルゲームにはまってしまった。この遊びは一度も経験のない人にはわからない。ゲームメーカーでその最高峰にあったのはやはりシグマ社だったと言いたい。そのくらい私はシグマ社の直営店のゲームファンタジアに通い詰めてしまった。
松戸行脚

松戸市栄町を中心とした商店、モール、そして流山街道の将来

昭和40年代から松戸で大型物販店の進出が始まった。私に馴染み深いのは扇屋、長崎屋、奈良屋など。当初は松戸の発展と感じた。これら大型物販店は徐々に精力的になり、小売店に影響を与えた。松戸市栄町を中心に流山街道沿いの商業の展望や可能性を考える
昭和の松戸を歩く

松戸市栄町の商店街(栄町3丁目編)Bゾーン

昭和40年代初頭出現した新興エリア、松戸市栄町。古ヶ崎と北松戸工場地帯に挟まれた陸の孤島的なゾーン。同級生によると栄町の商店街で商売を始めていた人達は東京下町の商店街の人達が移り住んできた人も少なくないらしい。今回は栄町三丁目を取り上げる。
電車よもやま話

常磐線の乗車の仕方教えます その1

毎日松戸駅から利用している常磐線緩行線(各駅停車)。これに座って通勤できるかどうか、大事なポイント。場合によっては一日のエネルギーの大半をこの電車内で消費してしまうかもしれない。そんな電車だったら、是非座っていこう。その方法論について述べる
電車よもやま話

常磐線を走っていた旧車両と近隣の風景

昭和30年代-40年代に常磐線に走っていたD51,C58などの蒸気機関車、クハ79などの電気機関車、そして当時走っていたはつかり(今は走らない)の数々の写真を見るとその周辺にあった建物や踏切、職員詰め所を思い出す。当時が良かったのかどうか?
昭和の松戸を歩く

昭和の頃の松戸根本商店街(金山神社参道から根本交差点まで)を歩く

昭和40年代に松戸の商店街は激変した。そこで今回は昭和37年以降の旧水戸街道沿い、金山神社参道付近から根本の交差点付近までの、たくさん軒を並べていた時代根本の商店街を、調べ調査してみた。まだ、調べたり無い部分もあり、それは今後調査していく。
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