松戸のお宝

松戸の泥面子(どろめんこ)

松戸市秋山の畑地から出土した泥面子。泥面子とは江戸時代から流行った子供の遊び道具ですが、どうやら子供の遊び道具というだけの目的だけではなく、違う目的があったのではないかと考えています。畑地で出土した理由、時代背景、意味について考えてみたい。
松戸のお宝

松戸の商店のお寸志

松戸市の主に根本を中心とした商店からいただいたお寸志のコレクションがあります。根本商栄会はとても活気のある商店街でしたその商店からいただいたタオルなどのお寸志について、若干の説明と共に投稿します。何故か北部小学校の五十周年記念の手ぬぐいも
松戸のお宝

松戸市の昔の案内パンフ:まつど 観光と産業

松戸市観光協会が昭和35年頃作成、発行した”まつど 観光と産業"というパンフについて、公開したい。松戸市企業誘致条例要旨という項目があり、これは多分企業誘致の一貫で、発行されたものだと考えている。昭和35年代の自分が子供の頃の松戸を思い出す
松戸のお宝

かつて、松戸にあったゴルフ場:武蔵野カンツリー倶楽部

かつて松戸市六実地区に存在したゴルフ場、武蔵野カンツリー倶楽部について、果たしてどんな場所だったんか、どこに存在したのか、いつ頃存在したのか、どんなルートで行ったのか、どんな人が来たのかを手持ちの資料や参考資料を元に調べてみた。現存しない。
レジャー

自然の勉強

葛飾区 郷土と天文の博物館主催する江戸川野遊び道場。これは子どもたちが対象で、江戸川流域の自然の中で、生き物との触れ合い方を学ぶ催しで、自然通信の田中利勝先生が指導。田中先生は自然全般に精通する。トンボとりをする航空力学の東昭教授と被った。
レジャー

水元公園と私

水元公園の広さはWikiでは76.7ha(他の資料だと87.9ha, 86.2haなど様々)で都内五番目の大きさ。松戸の"21世紀の森と広場"約50.5haであり、水元公園は、その約1.5倍の広さを有する。東京都でこんなに大きな公園はすごい
松戸の古絵葉書

千葉高等園芸学校当時の絵葉書-その2 坂入書店発行

松戸市の現在の戸定ケ丘、戸定邸の隣に千葉大学園芸学部があります。1909(明治四十二)年に千葉県立園芸専門学校として創立され現在に至る場所です。ここは自然観察のグループと何度も参りましたが、非常に豊かな森に囲まれ珍しい樹木もある場所です。
松戸の古絵葉書

千葉高等園芸学校当時の絵葉書-その1 坂入書店発行

松戸市の現在の戸定ケ丘、戸定邸の隣に千葉大学園芸学部があります。1909(明治四十二)年に千葉県立園芸専門学校として創立され現在に至る場所です。ここは自然観察のグループと何度も参りましたが、非常に豊かな森に囲まれ珍しい樹木もある場所です。
松戸のお宝

常磐線電化祝賀会招待状-松戸駅

松戸町長小林善作さんが埼玉県の神谷彌平さん宛に送った招待状。つまり、昭和11年12月11日に開催された常磐線の電化の祝賀会、祝宴式及びお食事への招待状です。この小林善作さん、そして招待された神谷彌平さんに焦点を当てて、まとめてみました。
昭和の松戸を歩く

松戸旧市役所通りについて

松戸市役所は元々は松戸三丁目にあった。現在のキテミテマツドの駐車場。母が松戸にお嫁に来た頃は三丁目のキテミテマツド用の駐車場ビルの場所に市役所があった。松戸税務署もあり、所謂官庁街だった。昭和の松戸の元官庁街にあった建物について調べてみた。