昔日の松戸

山﨑努さんと松戸、日経新聞”私の履歴書”

日経新聞"私の履歴書"で令和四年八月一日から松戸市出身の俳優、山﨑努さんの連載が始まった。私の大好きな松戸の風景が描かれていて、非常に懐かしくなった。古い地図を引っ張り出し、ああだ、こうだ始め、豆腐屋さんの付近を歩いたりしてみた。
昔日の松戸

松脂(マツヤニ)と禁じられた遊び

昭和40年代通った小学校で松脂(まつやに)遊びが流行った、松脂を細かく砕いた松脂をズボンにつけて指でつまみ引っ張るとキュッキュッと音がする。そんな松脂について、どうして松脂があったのか、どういう背景があったのか、自分なりに過去を振り返った。
レジャー

松戸とサブカルチャー

サブカルチャー、サブカルとは何か、単なるオタクの世界だろうか?盛り場の魅力とは何だろうか?料理?酒の種類?安さ?勿論それらも大切だとは思うが、もっと大切な部分は、暗闇であり、正体の見えない、怖さの向こうに存在する一種の性的なコノテーション。
昭和の松戸を歩く

松戸のおもちゃ屋さん、模型屋さんについて

松戸駅付近にはいくつも独立系のおもちゃ屋さんがあった。現在は殆ど無くなっている。覚えているのは、東府屋さん、わらそうだろうか?私にとってはやはり春雨橋沿いにあった東府屋さんがもっとも印象が強い。スーパーボールが流行った頃、何度もお店に行った
つれづれなお話

人との繋がり:今自分の隣にいる人の正体の話し

知らない人とお話しする楽しみがある人とない人が世の中にいる。一人で初めてのお店に飛び込めるのは私の性格なのかもしれない。或いは自分の好奇心の為だろうか?それはそれで楽しい。何故なら、自分の業界では知りえない話もあるからだ。ある意味独身生活が
レジャー

昭和の頃にあった松戸のボウリング場、現存するボウリング場

昭和40年代に大流行したボウリング、松戸にも少なくとも十か所は出来た様だ。テレビでは中山律子さんがシャンプーのCMや、パーフェクトゲームを披露したり、熱のこもった時代だった。松戸に存在したそれらのボウリング場について、知りえる情報をまとめた
ゲーム

松戸にかつて存在したゲーセン

電気式ゲームはゲームセンターやデパートの屋上、宿泊先の遊技場等でしか出来なかった。それが家庭用ゲーム機や発売以降徐々にゲームセンターに行く人が減り、それに伴いゲームセンターも減った。かつて活気のあった頃の松戸のゲームセンターについて、記述する
表の家の周辺

学童集団疎開と母

母がまだ国民学校に通っていた頃、山形県鶴岡市湯田川温泉にあったたみや旅館に学童集団疎開で行ったそうだ。当時、学童集団疎開の行き先はマチマチで、お寺であったりいろいろでそれぞれに苦労があったらしいが、たみや旅館では大変お世話になったそうだ。
ゲーム

記憶の中のスーファミゲーム

1970年代まではゲームセンターは不良のたまり場のイメージがあったが、そういった意味でファミコンは家でゲームが出来るという画期的なマシンだった。スーファミはそれをさらに超えた。そんな頃のコレクションから記憶を辿りながらソフトを紹介したい。
ゲーム

1984-1991頃にハマったゲーム ベスト10

昭和の頃は街の盛り場にあるゲームセンターでよく遊んだ。今回はアーケードゲーム以外の大き目の筐体のゲームも含めてみた。昭和後期から平成初期にかけ、主に1984年代以降良く遊んだ私のゲームベスト10を選んでみた。ベストテンシリーズ2。今は衰退!