サブカル

つれづれなお話

続:コンピューターとの出会い-インターネット編

コンピュータは素晴らしい進化を遂げてきた。とても追いつけるものとは思わないが、気がつくとドンドン変化、進化している。特に通信面では恐ろしいくらいの変化を遂げている。この回ではコンピュータ通信、インターネットについての経験や思ったことについて
つれづれなお話

プロレスに夢中になった昭和40年代

昭和40年代に何故か夢中になってしまったプロレス、あんまり夢中になっていたので、友達のプロレス同人誌も一緒に書いたり、蔵前国技館にミル・マスカラスの試合があって、父に連れて行ってもらったことを思い出す。でも、小学生の頃はあまり好きではなかった
昭和の松戸を歩く

松戸駅西口、昭和の頃の中通り商店街の風景

松戸駅西口に中通り商店街があり、これは現在のふれあい通りに当たるが、昭和の頃都市区画整理で幅員拡張され、道路位置もかなり調整された。中通りには様々な種類の商店が集まっていた。焼鳥の開進、映画館の松竹館、カメラのイマイ、室内釣堀の太公望、モンダ書店
昭和の松戸を歩く

昭和30-40年代の松戸駅西口商店街、高砂通りは活気があった

現在の松戸駅付近はありふれた駅前風景でしかない。大手のスーパー、銀行、コンビニ、空虚なぺデストリアンデッキがあるだけ、ところが西口都市区画整理前の松戸駅西口商店街は全くイメージが異なっていた。細くくねった道、物陰のある道、界隈性のある場所な
昭和の松戸を歩く

昭和の頃にあった松戸の駄菓子屋を探そう!

昭和の頃に松戸にかつてあった駄菓子屋、みなさんも買い物しましたか?時間が経つに連れて記憶が曖昧になりますので、記録をはじめました。もしよろしければ、このページのコメント欄に書き込んでいただけましたらありがたいです。是非駄菓子屋情報を求む!
昭和の松戸を歩く

1988年、松戸駅東口の商店街、飲食店の思い出-東口線路沿い

アジアの様々な国への海外赴任を繰り返す前、私にとっての定番の通勤路は金山神社を通過する松戸駅東口ルートだった。1988年頃の住宅地図を参考に、松戸駅東口商店街の色々なお店について、当時の状況を振り返り思い出しながら、ページとして残したい。
レジャー

松戸でも流行”切手収集”

生まれてはじめて入手した切手はグリコのおまけか、駄菓子屋のくじか、家に届いた封筒に貼ってあった10円の桜切手(普通切手)だった。その後、日本郵趣協会や日本郵便切手商共同組合の主催する催しに訪れたり、通販を中心に切手収集の範囲は広がった。
レジャー

スロットカーの流行した時代:根本、松戸駅近のスロットカーレーシング場の事

昭和40年代の頃、スロットカーと呼ばれる自動車のプラモデルをレース場で走らせる遊びが流行ったことがあった。これはコースにスロットと呼ばれる溝があり、ここから通電することによって車のプラモデルを走らせる。今は新橋のタミヤでミニ四駆の時代です。
昔日の松戸

松戸の街路灯

平潟や水戸街道にあったレトロな街路灯について、2006年”松戸の街路灯”として発表した。これを松戸の古絵葉書やその他他所における同タイプの街路灯の調査を以て、復活させました。市川市八幡の街路灯を案内していただいたK様、ありがとうございます。
昭和の松戸を歩く

昭和の頃にたくさんあった松戸市の銭湯を記録する

銭湯は庶民の歴史、住宅があれば必ず近くに銭湯があった。松戸市にも最盛期の昭和39年~45年は30軒あった松戸市の銭湯。私も昭和40年代前半までは銭湯通い(竹の湯専門)でした。昭和から続く松戸の銭湯について、なるべく網羅し、充実していきたい。