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松戸行脚

金山神社と清水講-金山神社を支えた人々

金山神社は大変魅力のある場所で、奥が深く私の大好きな神社の一つです。その神社の魅力について独自の調査を行い、独断と偏見でこのページを作ってみました。もし間違っている部分等、ご意見、ご指摘がありましたらご一報いただけましたらありがたいです。
昔日の松戸

社会科見学の今昔

社会科見学は大好き。小学校の時は次はどこの見学に行けるのか楽しみで仕方がなかった。行ったのは、春雨橋近くにあった頃の松戸郵便局本局と野田のキッコーマン工場だった。どちらも新鮮な刺激で楽しかった。特に郵便局は仕分作業が最高に面白かった。
つれづれなお話

プロレスに夢中になった昭和40年代

昭和40年代に何故か夢中になってしまったプロレス、あんまり夢中になっていたので、友達のプロレス同人誌も一緒に書いたり、蔵前国技館にミル・マスカラスの試合があって、父に連れて行ってもらったことを思い出す。でも、小学生の頃はあまり好きではなかった
昔日の松戸

笹屋さんと御用聞き、その他引き売りなど

昭和の時代までは個人商店がもっとも活気のあった時代だと思う。自分のお店でお客を待つだけでなく、引き売りをしながら、積極的に食材、商品を売っていた時代だ。それが、バブルの時代に入った頃からか、或いは大型店が出来た頃からか、引き売りを見なくなった
昭和の松戸を歩く

昭和の頃の松戸根本商店街(金山神社参道から根本交差点まで)を歩く

昭和40年代に松戸の商店街は激変した。そこで今回は昭和37年以降の旧水戸街道沿い、金山神社参道付近から根本の交差点付近までの、たくさん軒を並べていた時代根本の商店街を、調べ調査してみた。まだ、調べたり無い部分もあり、それは今後調査していく。
昭和の松戸を歩く

根本の商店街 アーバンヒル松戸周辺

アーバンヒル松戸が出来た1980年前後の頃、松戸駅に近いこともあって、根本のアーバンヒル松戸の周りの商店・飲食店のいくつかに通った。記憶が消える前に記録していきたい。商店としては、思い出すようだったら、1970年代の商店も書いていく。
昭和の松戸を歩く

昭和の頃にあった松戸の駄菓子屋を探そう!

昭和の頃に松戸にかつてあった駄菓子屋、みなさんも買い物しましたか?時間が経つに連れて記憶が曖昧になりますので、記録をはじめました。もしよろしければ、このページのコメント欄に書き込んでいただけましたらありがたいです。是非駄菓子屋情報を求む!
昭和の松戸を歩く

消えた踏切:常磐線松戸駅付近

戦後東京を中心に衛星都市計画が策定され、常磐線沿線のそれぞれの地区に人口が集中し、常磐線の混雑を緩和させる為、常磐線の複々線化が進められた。それまで開かずの踏切と言われた箇所もあり、複々線になることにより、踏切を閉鎖せざるを得なくなった。
昭和の松戸を歩く

竹の根商店会の現在(2006年8月16日現在の記録)-竹ヶ花西町編

竹の根商店街は昭和44年以降に出来上がった商店会で、主に北部小北側と西側に接している道路に出来上がった商店街で、主に根本地区及び竹ヶ花西町地区で構成される。このページでは主に昭和から平成前半にあった竹ヶ花地区の商店街について説明したい。
昭和の松戸を歩く

竹の根商店会の現在(2006年8月16日現在の記録)-根本編

竹の根商店街は昭和44年以降に出来上がった商店会で、主に北部小北側と西側に接している道路に出来上がった商店街で、主に根本地区及び竹ヶ花西町地区で構成される。このページでは主に昭和から平成前半にあった根本地区の商店街について説明したい。