昭和の松戸を歩く 昭和30-40年代の松戸駅西口商店街、高砂通りは活気があった 現在の松戸駅付近はありふれた駅前風景でしかない。大手のスーパー、銀行、コンビニ、空虚なぺデストリアンデッキがあるだけ、ところが西口都市区画整理前の松戸駅西口商店街は全くイメージが異なっていた。細くくねった道、物陰のある道、界隈性のある場所な 2021.08.13 2023.10.01 昔日の松戸昭和の松戸を歩く
昭和の松戸を歩く 昭和の頃にあった松戸の駄菓子屋を探そう! 昭和の頃に松戸にかつてあった駄菓子屋、みなさんも買い物しましたか?時間が経つに連れて記憶が曖昧になりますので、記録をはじめました。もしよろしければ、このページのコメント欄に書き込んでいただけましたらありがたいです。是非駄菓子屋情報を求む! 2021.08.05 2025.03.29 レジャー&スポーツ昭和な遊び昭和の松戸を歩く
昭和の松戸を歩く 消えた踏切:常磐線松戸駅付近 戦後東京を中心に衛星都市計画が策定され、常磐線沿線のそれぞれの地区に人口が集中し、常磐線の混雑を緩和させる為、常磐線の複々線化が進められた。それまで開かずの踏切と言われた箇所もあり、複々線になることにより、踏切を閉鎖せざるを得なくなった。 2021.08.01 2024.11.24 昔日の松戸昭和の松戸を歩く電車よもやま話
昭和の松戸を歩く 竹の根商店会の現在(2006年8月16日現在の記録)-竹ヶ花西町編 竹の根商店街は昭和44年以降に出来上がった商店会で、主に北部小北側と西側に接している道路に出来上がった商店街で、主に根本地区及び竹ヶ花西町地区で構成される。このページでは主に昭和から平成前半にあった竹ヶ花地区の商店街について説明したい。 2021.07.30 2022.10.06 昭和の松戸を歩く
昭和の松戸を歩く 竹の根商店会の現在(2006年8月16日現在の記録)-根本編 竹の根商店街は昭和44年以降に出来上がった商店会で、主に北部小北側と西側に接している道路に出来上がった商店街で、主に根本地区及び竹ヶ花西町地区で構成される。このページでは主に昭和から平成前半にあった根本地区の商店街について説明したい。 2021.07.28 2022.10.06 昭和の松戸を歩く
松戸行脚 戸定邸を知る為に 松戸市にある重要文化財である戸定邸は徳川最後の将軍である徳川慶喜公の実弟である徳川昭武公が住んでいたお屋敷。渋沢栄一も何度も来たらしい。私の結婚式もこの戸定邸内の松雲亭で行った。以前は富士山が良く見えたが、金町南口駅前のビルが出来て見づらく 2021.07.25 2024.09.08 松戸行脚
昭和の松戸を歩く 1981年頃の松戸駅東口商店街について-旧金ケ作陣屋道 昭和の頃は開かずの踏切と言われた根本の踏切から岩瀬の坂までの道。金ケ作陣屋道周りに色々なお店が軒を並べ商店街が成立していた。今でも頑張って商売をされているお店もある。昭和の頃の商店街を現在のマップに再現させ、知る所、思う所を書き留めておきたい 2021.07.23 2022.02.09 昭和の松戸を歩く
表の家の周辺 母方の祖父のお話 母方の祖父は茨城の大農家の長男。文学が好きで小説家をめざし、継ぐ筈の財産を全て次男に譲り、許嫁と共に東京に駆け落ちしてしまった人である。東京で懸命にそして懸命に修行した。自分の作品を徳田秋聲氏に送った。徳田先生はご丁寧にも返事を書いて下さった。 2021.07.22 2022.10.30 表の家の周辺
表の家の周辺 表の家とは 表の家(おもてのうち)とは屋号です。元々は水戸街道沿いに面してあった、つまり表通りに面した家ということで表の家と呼ばれました。父によれば我が表の家は松戸市南花島の栄松寺の過去帳を調べますと少なくとも三百数十年前からの記録があったそうです。 2021.07.22 2023.01.04 表の家の周辺
昔日の松戸 新京成電鉄開通と松戸・平潟の土地開発との関連 松戸の土地を楽しむ 西は江戸川に沿って低地である下谷、東は下総台地である台、その台の間に出来た谷津、松戸はその三つの要素で形成される。戦後、松戸市は衛星都市化を目指し、人口増加、インフラ整備が行われた。新京成電鉄沿線や松戸の土地状況を分析し、その美しさを研究する 2021.07.18 2023.11.05 平潟昔日の松戸