旧川崎銀行と松戸公産建物研究
2007年頃の事だが、旧水戸街道を歩いている際松戸公産の建物が解体されていたのを知った。この建物は元々川崎財閥の金融機関であったものが、合資会社川崎銀行→株式会社川崎銀行→川崎第百銀行→第百銀行→三菱銀行→千代田銀行→三菱銀行と変遷し後に三菱銀行の松戸支店の住所変更があり移動した後に松戸公産が入り今夏(2007年)まで同建物はあったが解体された。
解体された松戸公産ビル(旧川崎銀行、旧三菱銀行)を振返る
「三菱時代の建物は、腰回りを荒削りな自然石のルチスカ仕上げとし、正面出入り口廻りはルネッサンス風の格調のある石組みで、左右対称とし、軒廻りのコーニスやパラペットの石造りの装飾など、見応えのある意匠でまとめられていた。また、外壁は茶褐色のレンガタイルを用い、おそらく松戸市内の近代建築としてもっとも見るべき建物であったと思われる」
大正時代の同場所に関して
実はこの建物竣工年代ははっきりしていない。年代についての記録を探してみたが中々見つからなかったが、平成19年8月12日(日曜日)の毎日新聞に「1919年に建設された」とあった。「1919年(大正8)」という年号がどういう根拠で出てきたのか非常に興味在るところだ。定礎板に書いてあっとすれば信頼度が増す。
「松戸案内」(大正四年十一月十日 米井丁月氏発行)によれば大正四年以前の木造当時の川崎銀行の写真がある(参考資料1参照)。切妻屋根であり、後のモダン建築とは異なる。となれば少なくと大正5年以降竣工なのであろう。
「松戸案内」(大正四年十一月十日 米井丁月氏発行)
「松戸案内」(大正四年十一月十日 米井丁月氏発行)
「松戸案内」(大正四年十一月十日 米井丁月氏発行)
合資会社川崎銀行松戸支店(一丁目)明治二六年七月創業で、松戸支金庫、千葉縣支金庫事務を取扱い、日本銀行、千葉縣農工銀行、日本勧業銀行等の代理店であって、業務は日に月に繁多に赴き、預金の如きは常に壱百貳拾萬圓の多きに居るのである。目下行員は七名で、支店長は明治三六年以来勤続の杉山峻氏である。
昭和期の状況
次に松井天山昭和5年松戸鳥瞰図を確認するとこれにはすでに陸屋根風の建物になっている。となると建設時期は1916年(大正5)~1929(昭和4)という想定が成り立つ。従って、1919年(大正8)建設という年号は強ち的はずれではないという事になる。
建築設計は誰なのか?矢部又吉か?
建築家は松戸市史にも他の年表にも松下邦夫氏の本にも松戸市立博物館の資料にも明記されていない。ただ、当時川崎銀行の建築を非常に多く設計していた人物が居る。矢部又吉氏だ。矢部又吉氏は1888年(明治21)生まれで1906年(明治39)~1911年(明治44)に建築の勉強の為ドイツに留学をしている。
1913年(大正2)に父矢部国太郎氏逝去に伴い建築家としてデビュー。以降銀行建築の設計に携わる事になる。矢部又吉氏を大叔父に持つ方からの情報(うきうききもの)によれば千葉県の矢部又吉氏の作品で代表的なのは川崎銀行銚子支店、同行勝山の社宅、同行千葉支店、川崎第百銀行市川支店、川崎貯蓄銀行銚子支店、同行佐倉支店、同行佐原支店、同行千葉支店との事だった。
他行の参考写真(「三菱銀行史」より転載)参考の為
松戸の三菱銀行と似ているのは佐原支店かな
さて、この中で興味深い写真はやはり佐原支店であり、煉瓦外壁のファサードに何らかの共通点を見いだせるように感じる。比べていただきたい。
三菱銀行佐原支店旧本館の現在
千葉県教育委員会による三菱銀行佐原支店旧本館の説明
三菱銀行佐原支店旧本館
「大正3年(1914)に川崎銀行佐原支店として建設されたものである。当時の建築設計図には、清水満之助本店(現在の清水建設)技術部の設計になることが記されている。昭和18年(1943)に川崎銀行は三菱銀行と合併し、三菱銀行佐原支店となったが、平成元年(1989)に銀行の新店舗が完成したことに伴い、この旧店舗は香取市に寄贈されて今日に至る。
建物は煉瓦造2階建て、木骨銅板葺屋根の明治時代の洋風レンガ建築の流れをくんでいる。内部は吹き抜けで、2階周囲には回廊がある。正面右隅に造られた入口はルネサンス風の外観で、この区画の頂上にはドームが付けられており、建物全体の景観にアクセントが与えられている。全体のデザインは、ルネサンス様式で、レンガと花崗岩で構成される特徴的な外観の建物である」
平成3年2月15日以降、県指定有形文化財(建造物)となっているそうだ。
実に美しい建物ですね。
三菱銀行松戸支店のデザインについて
松戸支店が1919年(大正8)建設という年代であれば矢部又吉氏は充分考えられる建築家像として浮かび上がる。その他の候補としては川崎銀行営繕部設計、佐原支店と同じ清水満之助本店(現在の清水建設)という事もあり得る。いずれか分からないが、この川崎銀行のデザインは留学等経験者或いは在る程度の熟達者でないと中々難しい設計ではないだろうか?
1969年(昭和44)松戸公産がこの建物に入り、大改装され現在の姿になったようだ。装飾は取られ塗装仕上げの外壁になってしまったが、元々プロポーションの良い建物だったためか、改装の仕方が良かったためか、或いは偶然なのか、ウイーン分離派(ゼツェッシオン)に繋がる分離派建築会的な雰囲気があった。
モダニズムを考える場合、原点は何と言ってもイギリスのアーツ・アンド・クラフツ運動(19世紀中~後期)であろう。アーツ・アンド・クラフツ運動とはそれまでの保守的な装飾的デザインから自由な装飾への脱皮を模索する運動、これがヨーロッパ各国に飛び火してフランスのアールヌーボー、オーストリアのウイーン分離派、ドイツのユーゲントシュティール等の運動に繋がる。
これらのうち、1897年(明治30)オーストリアで結成されたウイーン分離派(ゼツェッシオン)が日本に飛び火して1920年(大正9)東京帝国大学の卒業生によって分離派建築会の結成を見た(メンバーとして石本喜久治 、堀口捨己 、山田守等)。この分離派建築会は1928年(昭和3)まで続くが、その後のモダニズム建築への基礎となったと思う。
モダニズムは当初、保守的な装飾から脱皮した自由な装飾を目指したものだったが、徐々にその装飾までも否定する様になっていく。いずれにしても三菱銀行の当時から、プロポーションだけでここまで美しさを感じさせる松戸公産の建物を無残にも壊してしまった事は誠に残念だと思う。せめてファサードだけ残して一メートル程度セットバックし、後側に新しい建物を造れなかったのかと悔やんでならない。
どうやら12階建のビルが出来るらしい。このご近所の方々は皮肉にも今年の江戸川花火が非常に良く見えたそうだ。
建物の歴史的成り立ち
各銀行の設立開業に関して
川崎銀行関連の設立開業経歴について、いくつかの書物(松戸市史、松戸市史年表:松下邦夫編、松戸の歴史案内:松下邦夫著、松戸市旧宿場町建築物調査報告書:松戸市立博物館)を調べてみたが、何故か食い違いが見つけられた。そこでこれら食い違いを整理する為に、川崎銀行、第百銀行、三菱銀行の歴史をおさらいしたい。資料は三菱銀行史を参考にした。
川崎銀行について
- 1874年(明治7)12月 川崎組設立
- 1880年(明治13)3月25日 川崎組を改組し合資会社川崎銀行設立
- 1919年(大正8)12月株式会社川崎銀行に改組
- 1927年(昭和2)9月15日第百銀行を合併と同時に川崎第百銀行と改称。
- 1936年(昭和11)9月14日川崎貯蓄銀行及び東京貯蔵銀行を合併
- 1936年(昭和11)11月11日第百銀行と改称
- 1943年(昭和18)三菱銀行に合併される。
第百銀行について
- 1878年(明治11)8月15日 第百国立銀行として設立、9月4日開業
- 1898年(明治31)8月14日国立銀行処分法により市立銀行として営業継続、8月15日第百銀行と改称
- 1927年(昭和2)9月15日川崎銀行に合併と同時に川崎第百銀行と改称。
三菱銀行について
明治・大正期
- 1878年(明治11)12月4日 第百十九国立銀行設立
- 1879年(明治12)1月11日 第百十九国立銀行開業
- 1885年(明治18)5月7日 第百四十九国立銀行を合併
- 1885年(明治18)5月 郵便汽船三菱会社が経営を継承
- 1886年(明治19)3月 三菱社と改称
- 1895年(明治28)三菱合資会社銀行部設置、以降胴部へ当行の業務を順次移譲
- 1898年(明治31)一旦解散。
- 1919年(大正8)8月15日三菱合資会社銀行部が独立し三菱銀行設立、10月開業
- 1920年(大正9)4月三菱合資会社銀行部を廃業。
昭和期
- 1943年(昭和18) 第百銀行を合併
- 1948年(昭和23) 10月(財閥解体に伴い)千代田銀行と改称
- 1953年(昭和28) 7月三菱銀行と改称(旧称復帰)
- 1996年(平成8)4月1日東京銀行と合併、東京三菱銀行と改称
- 2001年(平成13)4月三菱東京フィナンシャル・グループの設立により、同社の完全子会社に
- 2006年(平成18)1月UFJ銀行と合併、三菱東京UFJ銀行と改称。
参照した歴史的資料
- 松戸市史
- 松戸市史年表:松下邦夫編
- 松戸の歴史案内:松下邦夫著
- 松戸市旧宿場町建築物調査報告書:松戸市立博物館
上記各著作の記述の違いと疑問点
松戸市史下巻(一)明治編の記述と疑問点
- 1874年(明治7)合資会社川崎銀行創立(注1)
- 1875年(明治8)川崎銀行千葉町に支店(注2)
- 1878年(明治11)松戸町に出張所を作る(注3) 安蒜権左衛門に委嘱
- 1898年(明治31)安蒜権左衛門辞任
- 1903年(明治36)川崎銀行松戸支店に昇格(注4) 同松戸支店内に川崎貯蓄銀行設置
- 1915年(大正4)川崎貯蓄銀行が松戸支店に昇格
(注1)川崎組設立では?少なくともこの時点では合資会社川崎銀行ではないはず。
(注2)川崎組千葉支店では?或いは川崎組の銀行の千葉支店と言ったかもしれないが・・・
(注3)川崎組松戸出張所では?
(注4)次の松戸市史年表との間に開業時期に10年程度のズレがある
松戸市史年表(松下邦夫編)の記述と疑問点
- 1893年(明治26)7月合資会社川崎銀行松戸支店開業(注5)
- 1915年(大正4)川崎貯蓄銀行開店(注6)
- 1936年(昭和11)10月川崎貯蓄銀行を川崎第百銀行へ合併
- 1943年(昭和18) 川崎銀行が三菱銀行に合併(注7)
(注5)松戸市史下巻(一)との間に開業時期に10年程度のズレがある
(注6)松戸支店に昇格した年号ではないか?
(注7)この時点ではすでに川崎銀行は存在しない。
史実としては第百銀行が三菱銀行に合併されたと思われる。
松戸の歴史案内(改訂新版昭和57)松下邦夫著の記述と疑問点
- 1878年(明治11)川崎銀行松戸出張所を開業(注8)
- 巻末年表1893年(明治26)7月川崎銀行松戸支店開業(注9)
- 1903年(明治36)川崎銀行松戸支店に昇格(注10)
- 巻末年表1915年(大正4)川崎貯蓄銀行松戸支店開店
- 巻末年表1936年(昭和11)川崎貯蓄銀行を川崎第百銀行へ合併
(注8)川崎組松戸出張所では?
(注9)(注10)巻末年表では明治26年松戸支店開業なのに本文では明治36松戸支店に昇格となっている
松戸市立博物館「松戸市旧宿場町建築物調査報告書」の記述と疑問点
- 1880年(明治13)川崎銀行開業1902年(明治35)川崎銀行松戸出張所開業(注11)
- 1912年(明治45)川崎銀行松戸支店に昇格(注12)
- 1927年(昭和2)川崎第百銀行松戸支店になる
- 1943年(昭和18) 合併により三菱銀行松戸支店になる
(注11)松戸出張所の開業年度が松戸市史や松戸の歴史案内と極端に違う
(注12)松戸支店の開業年度が松戸市史や松戸の歴史案内と極端に違う
追記(平成19年10月7日):「三菱銀行史」によると松戸市立博物館の「松戸市旧宿場町建築物調査報告書」における川崎銀行松戸出張所の開業年度他年代の記述はほぼ「三菱銀行史」の松戸支店についての記述を「そのまま」書き写した様に見受けられる。多分、この三菱銀行史だけを情報ソースにしたと見受けられる。是非松戸市史の記述なども含め再度内容の精査をお願いできないだろうか?
「松戸案内」(大正四年十一月十日 米井丁月氏発行)の記述
1893年(明治26)7月創業
各書物の違いのまとめ
松下先生の著書や松戸市史における川崎銀行の記述に対する考察を行うと上記の通りかなり食い違いがある。松下先生の「松戸の歴史案内」では本文と巻末年表との間にさえ矛盾が見つけられた。さらに、松戸市立博物館発行による「松戸市旧宿場町建築物調査報告書」での記述が今までの書物に比べ大きく違うのは何故なのか?
仮に「松戸市旧宿場町建築物調査報告書」での記述が正しいとすれば、松戸市史掲載の1898年(明治31)に川崎銀行頭取から安蒜権左衛門宛に送られた勤続二十年に対する感謝状はどういう扱いとして考えるのか?全く無視をするのか?どんな資料を根拠に大きく違う年代を書かれたのか松戸市立博物館の学芸員の方には是非再確認をしていただけましたらありがたいです。
安蒜権左衛門宛に送られた勤続二十年に対する感謝状
粛啓、倍御清栄奉敬賀候、陳者、当行出張所事務御勤続及廿年候処、今般御辞任御申出相成敬承仕候、然ルニ嘱託事務今日迄全うして当行之面目を保候段深く感銘仕候、仍面軽微之至りに候得共、銀盃壱個進呈仕候間、為記念御納置被下度候、艸々頓首明治三十一年一月
合資会社川崎銀行頭取 川崎金三郎
安藤権左衛門殿
おまけの絵葉書(川崎銀行関連)
最後に
松戸行脚2007「川崎銀行と松戸公産建物研究」として作成されたテーマを、2008年9月「旧川崎銀行」としてリメーク、2021年8月Wordpress化へのプラットフォーム変更により大幅にレイアウトを見直した
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