2021-05

昔日の松戸

松戸市根本に雪印種苗工場があった頃

子供の頃遊んだ、根本の大道下付近に北部幼稚園と富永商店がある。その間の道を南西に少し進んだ場所に雪印種苗の工場があった。この付近を歩くと家畜用飼料のなんとも言えない香りが辺り一面に漂っていた。その後、同地はシャルマンコーポに替わった。
昔日の松戸

農業と共にあった松戸市の市場を考える

子供の頃、松戸市には農地がとても多かった。ただ、戦後の農地改革、衛星都市政策の影響で非常に激減していったようです。また、同時にその農業と共に支えあった市場も分本場合わせて15ほどあった昭和30年代から減少し、現在は後に出来た南部市場だけです
昔日の松戸

松戸の新坂川って何?どんな川なの?

馬橋と新松戸の間、新坂川沿いの桜並木の新坂川桜並木周辺案内板には「松戸市の市街地を流れる新坂川は、水田地帯の洪水被害の軽減と昭和大恐慌の失業対策、農民救済を目的として昭和8年から昭和12年頃に掘られた川」とあり、その意味と効果を検証する。
昔日の松戸

松戸市立第六中学校の今昔:昭和の頃上本郷駅近くにあった六中について現況と共に調べる

現在千駄堀の運動公園付近にある松戸市立第六中学校はかつて、新京成電鉄上本郷駅近くにあった。現在の松戸市立上本郷第二小学校の位置である。我々が中学生だった頃とは校舎の位置も様子も異なっていた。その当時の様子についての思い出と記録として残したい
松戸行脚

水の豊富な竹ケ花、根本地区と”竹ヶ花雷電湧水”

松戸市には湧水池が豊富にあった。松戸の衛星都市化政策により、台地の頂上には家が建ち道路ができ、徐々に雨水の浸透する場所が減った。また住宅建設により湧水池も減っていった。その中の1つである竹ケ花雷電湧水の植物を調べ研究し、マップを作ってみた。