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昭和の松戸を歩く

消えた踏切:常磐線松戸駅付近

戦後東京を中心に衛星都市計画が策定され、常磐線沿線のそれぞれの地区に人口が集中し、常磐線の混雑を緩和させる為、常磐線の複々線化が進められた。それまで開かずの踏切と言われた箇所もあり、複々線になることにより、踏切を閉鎖せざるを得なくなった。
昭和の松戸を歩く

竹の根商店会の現在(2006年8月16日現在の記録)-竹ヶ花西町編

竹の根商店街は昭和44年以降に出来上がった商店会で、主に北部小北側と西側に接している道路に出来上がった商店街で、主に根本地区及び竹ヶ花西町地区で構成される。このページでは主に昭和から平成前半にあった竹ヶ花地区の商店街について説明したい。
昭和の松戸を歩く

竹の根商店会の現在(2006年8月16日現在の記録)-根本編

竹の根商店街は昭和44年以降に出来上がった商店会で、主に北部小北側と西側に接している道路に出来上がった商店街で、主に根本地区及び竹ヶ花西町地区で構成される。このページでは主に昭和から平成前半にあった根本地区の商店街について説明したい。
昭和の松戸を歩く

1981年頃の松戸駅東口商店街について-旧金ケ作陣屋道

昭和の頃は開かずの踏切と言われた根本の踏切から岩瀬の坂までの道。金ケ作陣屋道周りに色々なお店が軒を並べ商店街が成立していた。今でも頑張って商売をされているお店もある。昭和の頃の商店街を現在のマップに再現させ、知る所、思う所を書き留めておきたい
表の家の周辺

母方の祖父のお話

母方の祖父は茨城の大農家の長男。文学が好きで小説家をめざし、継ぐ筈の財産を全て次男に譲り、許嫁と共に東京に駆け落ちしてしまった人である。東京で懸命にそして懸命に修行した。自分の作品を徳田秋聲氏に送った。徳田先生はご丁寧にも返事を書いて下さった。
昭和の松戸を歩く

1988年、松戸駅東口の商店街、飲食店の思い出-東口線路沿い

アジアの様々な国への海外赴任を繰り返す前、私にとっての定番の通勤路は金山神社を通過する松戸駅東口ルートだった。1988年頃の住宅地図を参考に、松戸駅東口商店街の色々なお店について、当時の状況を振り返り思い出しながら、ページとして残したい。
レジャー

松戸でも流行”切手収集”

生まれてはじめて入手した切手はグリコのおまけか、駄菓子屋のくじか、家に届いた封筒に貼ってあった10円の桜切手(普通切手)だった。その後、日本郵趣協会や日本郵便切手商共同組合の主催する催しに訪れたり、通販を中心に切手収集の範囲は広がった。
レジャー

スロットカーの流行した時代:根本、松戸駅近のスロットカーレーシング場の事

昭和40年代の頃、スロットカーと呼ばれる自動車のプラモデルをレース場で走らせる遊びが流行ったことがあった。これはコースにスロットと呼ばれる溝があり、ここから通電することによって車のプラモデルを走らせる。今は新橋のタミヤでミニ四駆の時代です。
レジャー

伝書鳩の流行

昭和39年東京オリンピック後、全国的な伝書鳩の流行があり、松戸でも同様に伝書鳩の流行があった。同級生の多くが鳩を飼うために知恵を絞り奔走していた。鳩小屋造りは、子供なのでお金もなく家電の梱包材で作った。そしてレース鳩アラシ0777のブレーク
ご意見箱

過去のご意見箱2009年6月

松戸に関する"表の家"ホームページ開設の2003年9月から現在に至るまでにいただきました、当ページへの大変貴重な皆様からのご意見箱を記録のために、残してあります。改めて読み上げますと皆様も松戸に強い思い出をお持ちなのだと感心するばかりです。