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つれづれなお話

フロッピーディスクの話し

1980年代までは記録メディアの種類はそうは多くなかったが、1990年代から色々なメディアが登場し、栄枯盛衰というのか、消えていったものも多い。当初はフロッピーディスクに頼っていたが、HDDがエラーでデータが消えてからはオンラインに頼る様に
松戸の残像

松戸常磐館-松戸本町

小学生の頃、夏休み、冬休みに入ると怪獣映画は輝竜会館、漫j画まつりは常盤館に行った。ところが映画館は時代の需要に合わず、徐々にテレビやその他の娯楽にとって代わった。松戸市最古の映画館であった松戸常盤館について、資料と共に記録を残したい。
表の家の周辺

亀有の叔父のお話

我が母の実弟である亀有の叔父さんは、実姉である我が母の嫁ぎ先が松戸であった事で、頻繁にやってきた。その度に私に玩具や文房具など色々なものを買ってきて、可愛がってもらった。バブルの頃、本業以外に本屋さんやスナックを始めたり、何かと話題の多い人
表の家の周辺

新小岩・戸塚の家とバンビさん

子供の頃は自分の親の兄弟が多かったので、冠婚葬祭などで親の兄弟の家への行き来があり、従妹の存在を知った。当時は仲が良くても、ここ数十年、あまりに接触が無かった。遠い親戚よりも近くの他人とは言うが、記憶がなくなる前に記録だけしておきたい。
松戸のお宝

千葉県松戸町鳥瞰図 松井天山図

松井天山の描いた松戸町鳥瞰図には昭和五年と昭和十二年の二種類がある。所有しているのは昭和十二年版であり、これは常磐線の上野-松戸間の電化を記念して作られたものである。今回はこの昭和十二年版について、少々説明を加えながら当時の松戸の姿を考える
昭和の松戸を歩く

拓銀松戸支店のちらし

1971(昭和46)年頃配られた北海道拓殖銀行松戸支店の出店案内の広告を自宅で見つけました。この広告を読み込んでいくとその当時の松戸の町が見えてきます。懐かしいお店もあります。これを2022年3月現在の視点から当時の広告をみていきたいと思う
つれづれなお話

鶏のお話

2022年現在松戸街なかではめったに見かけなくなったニワトリ達。昭和の頃はよく見かけました。私の家にいたニワトリはカラーひよこの慣れの果でしたが、寿命が尽きるまで我が家にいました。ニワトリの鳴き声は昭和でもうるさかった。でも無いと又寂しい。
昔日の松戸

松戸市下矢切にかつて存在した国際射撃場(国際射撃倶楽部)

終戦後米軍によって占領されると銃砲類禁止令が発令され、事実上銃砲は持てなくなったが、数年後には競技射撃に関しては緩和され、昭和30年代松戸市には身近な場所に少なくとも二つの射撃場が出来た。この章では下矢切にあった国際射撃倶楽部について述べる
昔日の松戸

松戸市南花島にかつて存在した東京射撃倶楽部

終戦後米軍によって占領されると銃砲類禁止令が発令され、事実上銃砲は持てなくなったが、数年後には競技射撃に関しては緩和され、昭和30年代松戸市には身近な場所に少なくとも二つの射撃場が出来た。この章では南花島にあった射撃倶楽部について述べる。
松戸のお宝

松戸の商店のお寸志

松戸市の主に根本を中心とした商店からいただいたお寸志のコレクションがあります。根本商栄会はとても活気のある商店街でしたその商店からいただいたタオルなどのお寸志について、若干の説明と共に投稿します。何故か北部小学校の五十周年記念の手ぬぐいも