ここ何処?松戸!シリーズ-1
テラスモール前、八ヶ崎スタジオ様からいただいた1969年当時の建設中であったサニーランドおよび、その周辺の写真について、ここ何処?松戸!シリーズで検証をする事にしました。内容としてまだ不足する部分もありますが、それはその都度加えていきますね。
昭和の松戸のプールと水泳
松戸のプールについて、昭和初期の頃、昭和40年代以降に分けて考えてみた。私が小学生の頃は夏は暑いので、ただ水に入りたい一心でプールに入っていた記憶がある。今は、泳法の習得に重点が置かれている様だ。松戸にはどんなプールがあったのか振り返える。
昭和11年発行古しおり:伸び行く松戸:松戸付近ハイキング
昭和11年発行古しおり”伸び行く松戸”という松戸に関する栞の情報が豊富で非常に多かったため、いくつかのカテゴリーに分けてアップロードする事にしました。今回sは、その一つの松戸付近ハイキングです。園芸学校、江戸川、桜堤、柴又帝釈天などについて、触れています。
拓銀松戸支店のちらし
1971(昭和46)年頃配られた北海道拓殖銀行松戸支店の出店案内の広告を自宅で見つけました。この広告を読み込んでいくとその当時の松戸の町が見えてきます。懐かしいお店もあります。これを2022年3月現在の視点から当時の広告をみていきたいと思う
昭和11年発行古しおり:伸び行く松戸:松戸釣り場案内
昭和11年発行古しおり”伸び行く松戸”の情報が豊富で非常に多かったため、いくつかのカテゴリーに分けてアップロードする事にしました。今回は、その一つの釣場案内です。納屋川岸、赤圦樋門、排水機場、排水掘、合川、坂川、六間川について、触れています
松戸市下矢切にかつて存在した国際射撃場(国際射撃倶楽部)
終戦後米軍によって占領されると銃砲類禁止令が発令され、事実上銃砲は持てなくなったが、数年後には競技射撃に関しては緩和され、昭和30年代松戸市には身近な場所に少なくとも二つの射撃場が出来た。この章では下矢切にあった国際射撃倶楽部について述べる
松戸市南花島にかつて存在した東京射撃倶楽部
終戦後米軍によって占領されると銃砲類禁止令が発令され、事実上銃砲は持てなくなったが、数年後には競技射撃に関しては緩和され、昭和30年代松戸市には身近な場所に少なくとも二つの射撃場が出来た。この章では南花島にあった射撃倶楽部について述べる。
かつて、松戸にあったゴルフ場:武蔵野カンツリー倶楽部
かつて松戸市六実地区に存在したゴルフ場、武蔵野カンツリー倶楽部について、果たしてどんな場所だったんか、どこに存在したのか、いつ頃存在したのか、どんなルートで行ったのか、どんな人が来たのかを手持ちの資料や参考資料を元に調べてみた。現存しない。
東京湾行徳, ゴカイとハゼ釣り
昭和30-40年代、松戸市民のみならず、北総や東京の人達は季節になれば浦安、行徳方面にハゼ釣りに行ったのではないか?釣り糸を垂れれば、餌がなくても釣れると思うくらいにたくさん釣れ、200匹、300匹は当たり前だったと思う。ところが今は・・・
上海で見つけたエビ料理、子供の頃松戸で捕まえたアレだった
上海のレストランで見つけた十三香清水龍蝦のポスター!これは何だ?と思って見たら、それはザリガニ料理だった。ザリガニは子供の頃のイメージがあり、いまだに触手が伸びませんが、実は非常に美味しいんだそうです。某有名野球選手も高級伊勢海老と間違えた