つれづれなお話

お茶の話し:その3 その他のお茶

茶畑 つれづれなお話
Image by jürgen Scheffler from Pixabay
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その他のお茶

スリランカの紅茶

Sri Lanka Tea

UnsplashAsantha Abeysooriyaが撮影した写真

お茶と言えば挙げなければいけない産地がまだあり、それはスリランカ、セイロンです。有名どころはヌワラエリア、ウバ、ディンブラ等です。私はスリランカに1985年から1987年まで常駐してました。それは某ホテルプロジェクトの常駐の為で当時20代でした。しかしながら、その頃はそれほどお茶にこだわっていた訳ではありません。

スリランカ|お茶の産地|お茶百科
お茶百科-お茶と歩む文化、お茶と暮らす場所、お茶を楽しむ人のために。お茶に関する情報を提供。

現場事務所で設計業務をしていると、スリランカ人ティーボーイがお茶を持ってきてくれます。これが、どういうお茶かと云うと所謂ロイヤルミルクティで、茶葉を煮だして、ミルクと砂糖を入れたものです。 これが甘いのなんのって・・・それでも最初はそれを呑んでいました。

milk tea

Image by umehanayuuki from Pixabay

こどもの頃、甘い麦茶を飲んだことはありませんか?ほんのり甘かった。しかしスリランカで呑んだロイヤルミルクティーは度が過ぎて甘い。その為必ず「Plain tea, please」とお願いしました。つまり砂糖もミルクも入っていないお茶という訳です。ところが、そういう飲み方は自分たちの常識外だったのか、ミルクも少し入って何となく甘い。

それでもあきらめず、もっとはっきりと「Tea please no milk & no sugar」と言いました。それを何回か繰り返すと、初めて、いわゆるPlain Teaを作ってくれました。

Plain Tea

ただ、ミルクと砂糖が入っていないだけで、煮出すという工程は守っていました。ガンガン煮るわけなので、どうしても苦さが出てしまう。あれはミルクティだからこそ、茶葉の苦みを出してもいい具合になるわけで、(カフェラテが苦いコーヒーをベースに作るのと同じです)、ミルクも無しに苦いとちょっと・・・という感じになります。我々もやむを得ないなあ・・・と思いました。

コーヒーの産地から紅茶の産地へ

coffee beans

Image by Alexa from Pixabay

スリランカはお茶で有名な国ですが、元々はコーヒーの世界三大名産地でした。それはオランダの植民地だった頃に、オランダ人がコーヒーの産地にしようとしたからです。ところが、コーヒーさび病という植物の病気でコーヒーの木が被害を受けてしまった。何とかさび病に強いコーヒーの木を探している内に、イギリス領になってしまった。

イギリスもコーヒーの産地にしようとしていましたが、トーマス・リプトンが、お茶の栽培を始め、徐々に生産量が増えて行ってしまった為、コーヒーの生産が置き去りになってしまったという訳です。 ただ、お茶の栽培の為には、どうしても専門家が必要になります。そこで、すでにお茶の生産をしていたインドのタミール人に目をつけて、スーパーバイザーとしてスリランカに連れてきた。

Lipton

UnsplashFiliz Elaertsが撮影した写真

民族同士の悲しい内戦

実はこの事が、その後の民族同士の内戦に繋がっていってしまいます。何となく悲しい歴史ですね。 さて、我々がスリランカにいる頃は、上記の苦い紅茶を飲んでいた訳で、そんなに高級なお茶は求めていませんでした。ただ、聞いた話ですが、スリランカにはビンテージティーというのがあるんだそうです。

これは一番茶の柔らかい茶葉をまだ大人になっていない女性の太股で茶葉をもみ込むのだそうです。その茶葉は高級品なので、アラブの石油王の需要にこたえる為に輸出されるのだそうで、我々の手元には入らない代物だとか・・・すごいなあ・・・と当時は思っていました。

アラブ

Image by shorty_ox from Pixabay

イスタンブルのチャイ

tea

tookapicによるPixabayからの画像

湾岸戦争が始まった頃、私はイスタンブルに居た。湾岸戦争はクウェートを巡るイラクとアメリカの戦いだったので、強くは心配しなかったものの、トルコとイラクは国境を接していたので、最悪の事態も考えていた。パスポートと航空券、米ドルで500ドルを肌身離さずに持っていた。ただ、空港が閉鎖される可能性を考え、陸路での避難も考えた。

Orient Express

Image by Peter Herrmann from Pixabay

一つはオリエントエクスプレスの乗り場の確認。二つはエディルネまで行き、ギリシャ、ブルガリアの国境まで行った。非常時はタクシーに高額を要求されると予想し500ドルにした訳だ。

国境

UnsplashHarmen Jelle van Mourikが撮影した写真

当時、近くのリージェントホテルの窓を見ると戦況が進んでいくにつれ、客室の窓の光の数が減っていった。それだけ、宿泊者が少なくなったのだろう。また、人間の心理として今居る場所よりもなるべく遠いところに逃げようとするせいか、イラクの国境付近の人はアンカラ方面に逃げ、アンカラに居る人はイスタンブルに逃げ、イスタンブルに居る人は一気に国外である、ギリシャ、イタリア、オランダに逃げる。

逃げる

Image by Gerd Altmann from Pixabay

そういえばどこに行った時の帰りだったか忘れたが、国内線の機内座席の隣の人がエールフランスのアンカラ事務所に所属している人だったが、やはり不安を抱えているらしく、これからイスタンブルに行き、国外に出るのだと言っていた。

我々の現場はイスタンブル内にあり、米国人のインテリアデザイナーもいた。ニュースでは米国大使館では避難用チャーター便を準備しているとの事だった。うらやましかった。ところが日本政府はその点がのんびりしていて、大使館から避難に関する知らせはなかった。

チャーター便

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チャイラテの味

コーヒーチェーン系のお店で揃えているチャイラテとこれがまた独特で、スパイス入りで何ともエキゾチックな味がする。もっともらしいチャイで、果たしてどの国のチャイをイメージしているんだろうか?

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最後に

今回の投稿の後半は何だかお茶の話というよりは逃げる事が主体になってしまった。すいません。

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