八柱霊園の絵葉書
八柱霊園の絵葉書
八柱霊園写真:東京市役所 東京万世橋 日本光沢写真合名会社納
東京市となっているので、絵葉書が発行されたのは少なくとも1943(昭和18)年或いは以前。又、八柱霊園はWikipedhiaによれば、「1935年(昭和10年)に、東京市が東方墓地として開設した」とある。ただ、昭和16年12月以降は泥沼になっていくことを考え、また、全体に樹木が植樹されてからそうは時間が経っていない様に見える。
同時にこの絵葉書を作った目的が霊園の販促の為であるとすれば、昭和10-11年頃に発行されたものではないかと考え ている。
八柱霊園正門
八柱霊園正面広場
八柱霊園一部
八柱霊園配水塔
都営八柱霊園絵葉書 松戸市八柱霊園前 萩の家発行
はぎの家さんの開業はホームぺージを参考にすると、昭和12年9月だそうです。お店の写真もその当時のものらしい。開業当時に撮影されたものかもしれません。
ただ、この絵葉書は都営となっています。多分増刷されたのだと思いますが、この絵葉書自体が発行されたのは少なくとも1943(昭和18)年或いはそれ以降と考えられます。ただ、昭和18年以降終戦まではとても絵葉書を発行できる状況であったとは思えない。従って、戦後落ち着いてからではないだろうか?暫定的には昭和30年前後ではなかろうか?と考えている。
当時の店舗写真
八柱霊園正門
八柱霊園正門広場
八柱霊園の一部
八柱霊園橋付近
絵葉書タトウ
八柱霊園の野鳥
八柱霊園にいるキビタキだそうです。
八柱霊園に眠る有名人・著名人
八柱霊園は都営霊園の為か、有名な方々のお墓が多い。そこで、墓地に眠る著名、有名な方々の偉業をおさらいし、興味を持った方は、八柱霊園にお参りに行くと良いかと思います。墓地ですのであくまで、お参りという気持ちでお願いします。下記のページを作りました。
最後に
萩の家の絵葉書については、はぎの家の代表取締役の萩元美明さんに掲載の許諾をいただき、2014年2月7日に掲載していたものです。2021年、表の家のぺージを全体的にリニューアルした事から、このはぎの家の絵葉書も復活させ、掲載させていただきます。
萩の家(現在ははぎの家に統一しているらしい)のホームページは↓
又松戸ジャーナルにはぎの家についての記述があります。ご参考まで。
コメント
以前は松戸駅西口から八柱霊園行きのバスが走っていましたよね。
いつもはガラガラなのに、お彼岸やお盆の時期になるとギューギューになっていたのを覚えています。最後はそういう時期だけ臨時で走っていた感じでした。
いまセブンが出来たあたりに南花島の停留所もあったんですよね。
踏切があったりして、いつも混んでる道によく路線バス走ってたなぁと思います。
麗澤大学(広池学園)も都営墓地の候補地だったと何かで読んだことがあります。
うしとら様、
コメントありがとうございます。
確かに、国電の踏切を超えて走っていた当時は、時間もかかったんでしょうね。
今思えば、新京成電鉄で八柱に行ってバスに乗ったほうが早く行けそうですが、松戸駅から直接バスで行ったほうが安く済んだという事なんでしょうね。
麗澤大学が候補地であったお話は知りませんでした。今現在、麗澤大学及び周辺と現在の八柱霊園を比べてみると広さでは圧倒的に八柱霊園の方が広そうに見えますね。
或いは、候補に上がっていた頃は麗澤大学の周辺を合わせても広大な土地だったのかもしれませんね!
踏切閉鎖されるまでは、旧水戸街道もバスが行ったり来たりしていましたっけ・・・車掌さんも同乗していて、有る頃からワンマンカーが出来て、ワンマンという文字が見えましたが、ワンマンが当たり前になってからあの文字もなくなりましたね。