表の家を作ったきっかけ

2001年の松戸駅前
2001年10月⑭日の松戸駅前を撮影した

撮らなかった写真と心の影ー表の家ホームページを作ろうと思ったきっかけ

日本経済新聞夕刊において、真っ先に読む記事に「明日への話題」というコラムがある。先日「撮らなかった写真」と題された作家柴田翔さんの印象的なコラムがあり、心の琴線に触れた。

「撮らなかった写真(作家柴田翔さん)」
根が無精なので、写真もほとんど撮らない。子どもが小さいうちは、それでも妻が撮った写真に住まいの周辺の風物や街の風景が少し写っているが、それもせいぜい十年ほどの間のことだった。東京の西の郊外に越してきて、三十数年になる。JRの駅から商店街を抜け、大きな環状道路を越えると、十数分で自宅に着くが、その間の風景もずいぶん変わった。越してきた時分は、どんな様子だったのだろう。駅前から商店街へはいる角の店は何だったのか。奥に老婆の座る駄菓子屋は、いまの牛丼屋チェーンの辺りだろうか。思い出そうとしても、もう判らない。ただ当時の街の雰囲気ばかりが、いくぶんくすんだ感じで、漠然と見えてくる。写真でも、あの頃、もう少し撮っておけば良かった____。軽い後悔に似た気分になるのは、そういう時だが、それはいったい何故だろう。古い写真に写る昔の町の中に、自分はいったい何を探したいのか。それはおそらく風景そのものではない。自分の人生の中心が、ざっと三十代から六十代半ばまでだとすれば、私にとってのその年月は、日々通ったその道筋の変容のうちに隠れている。大きな事件よりも、その道の気付きもしない僅かな変化の積み重ねのうちに、自分の日々はあった。撮らなかった写真で感じる後悔に似たものは、多分そう思い返す心の影なのだ。
―――後半略―――」日本経済新聞, 平成19年7月3日より

この一文に「我が意を得たりと膝を打つ」思いだったわけです。

香港から帰国した私は松戸駅周辺を歩いてあまりの変化に驚いた

2001年の松戸駅前

2001年10月⑭日の松戸駅前を撮影

私は2000(平成12)年4月、4年間勤務した香港から帰国した。ある日、目的もなく松戸の街を歩いていると、その変容ぶりに改めて驚かされた。サラ金の看板が妙に目立ち、大きいビルはあるけれど、もう一つ元気がない。よく通ったお店も違う店に変わっている。私の子どもの頃の松戸はこんなに元気の無い街ではなかった。小さな商店が声を張り上げて商売に精進していた。

なによりも活気が違った。ふれあう街角がそこにあった。勿論、良いことばかりではない、怖い思い出もあった。その善悪全てひっくるめ、私の人生そのものが松戸の街にあった。どうしてもその思い出、記憶を蘇らせ総括したい気持ちになり、松戸の昔の写真を探そうと試みた。ところが思ったほど所蔵していなかった。図書館でも調べてみた。

日常の歴史や出来事の写真がなければ文章で残すしかない

私の生まれた昭和30年代以前の写真はあっても私の生まれ育った時代(昭和30年代以降)の写真が見つからない。それでも図書館通いを重ね、少ないがいくつか見つかった。その昔の写真を使いホームページを作成したいと思った。しかし他人が撮影した写真だ。簡単に使用してもよいのだろうか?少ない写真だけで、数ページで完結するホームページは出来るかもしれない。でもそれ以上の発展性がない。著作権の問題もどう解決したらいいのか分からない。

とても豊富なコンテンツにはなり得ない。長続きもしない。写真が無ければどうするか?そうか、文章で作るしかない。それが「表の家」を作るきっかけだった……スタートはただ松戸への懐古の気持ちから始まった刹那的な感傷に過ぎなかった。しかしながら、投稿を重ねるうち写真では表現できなくても、文章だからこそ出来る表現の広がりを感じるようになった。

上のコラムの柴田翔氏曰く

  • 大きな事件よりも、その道の気付きもしない僅かな変化の積み重ねのうちに、自分の日々はあった
  • 撮らなかった写真で感じる後悔に似たものは、多分そう思い返す心の影なのだ

さりげない日常の中の出来事、そのまま時が経ってしまったら、みんな忘れてしまうような風景、そんな当たり前の日常の中の僅かな変化を書き記したい。そう思った。私が感じているのは多分「後悔に似た心の影」なのかもしれない。

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