千葉高等園芸学校当時の絵葉書-その1 発行:坂入書店
千葉大学園芸学部が千葉高等園芸学校頃の絵葉書です。
学校名について
千葉大学園芸学部の校名は下記の様に変化しています:
- 「千葉県立園芸専門学校」:1909(明治四十二)年から1914(大正三)年まで
- 「千葉県立高等園芸学校」:1914(大正三)年から1929(昭和四)年まで
- 「千葉高等園芸学校」:1929(昭和四)年から1944(昭和十九)年まで
- 「千葉農業専門学校」:1944(昭和十九)年から1951(昭和二十六)年まで
千葉大学園芸学部・大学院園芸学研究科 - Wikipedia
ロックガーデンの一部(高等園芸学校) 坂入書店
このロックガーデンは現在もあります。
温室之全景(高等園芸学校) 坂入書店
温室内熱帯植物ノ一部(高等園芸学校) 坂入書店
花卉園ノ一部 (高等園芸学校) 坂入書店
伊太利式庭園(高等園芸学校) 坂入書店
この伊太利亜式庭園の付近には現在大きなクスノキがあります。
仏蘭西式庭園(高等園芸学校)ー写真面 坂入書店
これは講堂の二階から撮影した写真と思われます。
仏蘭西式庭園(高等園芸学校)ー通信面 坂入書店
切手は田沢の1銭5厘、消印は丸形日付印 6.8.10と書かれている。通信欄は1/3と狭い。先ず郵便料金が1銭5厘だった時代は明治三十二年四月一日~昭和十二年三月三十一日までの間です。通信欄が1/3である事からこれは大正六年以前に作成された絵葉書と考えます。又、高等園芸学校という呼び名は大正三年以降昭和十九年まで。
従って、6.8.10とは大正六年八月十日の消印で絵葉書自体は大正三年~大正六年の間に作成販売されたものであると推定します。それにしても、香取郡久賀村 ◯◯早苗様で地番無しで届いてしまっている。しかも差出人も書かれていない。香取郡久賀村とは現在は佐原市に編入されている地名、これで届くとは大らかな時代。
関連ページ
その他の園芸学校の絵葉書もあります。少しずつアップロードしていきますね。
千葉高等園芸学校当時の絵葉書-その2 坂入書店発行
松戸市の現在の戸定ケ丘、戸定邸の隣に千葉大学園芸学部があります。1909(明治四十二)年に千葉県立園芸専門学校として創立され現在に至る場所です。ここは自然観察のグループと何度も参りましたが、非常に豊かな森に囲まれ珍しい樹木もある場所です。
ご協力
庭園の記憶―与謝野晶子の「松戸の丘」と園芸学校の絵画が2009年に出版されましたが、その書籍に所蔵している絵葉書をご協力させていただきました。
庭園の記憶―与謝野晶子の「松戸の丘」と園芸学校の絵画―千葉大学園芸学部創立100周年記念特別展
コメント
千葉大の園芸学部には、学園祭になると母や叔母に連れられて従弟たちと遊びに行っていた記憶があります。母や叔母は学園祭で売り出す学生たちが育てた苗木などの安売りが目当てだったようです。そこで買って実家の庭に植えた柿の木や柚子の木が立派に育ち、毎年収穫できるまでになっています。桃栗三年柿八年柚子の大馬鹿十八年といいますが、あれから月日が経ったことを実感します。
それはそれはお母様や叔母様の思い出がつまった樹木があるんですね。とても素敵な感じがします。一度お庭を拝見したいです。私は園芸学部に行きますと、何故か販売している生麹を買ってきて色々やっています。でも最近は行ってないですね!そういえば、妻を連れて園芸祭にいったら、本福寺の佐藤住職が来ていたっけ・・・