つれづれなお話

レジャー

水元公園と私

水元公園の広さはWikiでは76.7ha(他の資料だと87.9ha, 86.2haなど様々)で都内五番目の大きさ。松戸の"21世紀の森と広場"約50.5haであり、水元公園は、その約1.5倍の広さを有する。東京都でこんなに大きな公園はすごい
つれづれなお話

現代餃子考

私は台湾で初めて水餃子のお店に入り食べた時、これが水餃子なんだと思った。そして20個は食べたと思う。あの日以来、私は水餃子が好きになった。勿論焼き餃子も好きだが、もし中華レストランに行って、手頃に水餃子が食べられるなら,私は水餃子を注文した
松戸行脚

金山神社と清水講-金山神社を支えた人々

金山神社は大変魅力のある場所で、奥が深く私の大好きな神社の一つです。その神社の魅力について独自の調査を行い、独断と偏見でこのページを作ってみました。もし間違っている部分等、ご意見、ご指摘がありましたらご一報いただけましたらありがたいです。
つれづれなお話

続:コンピューターとの出会い-インターネット編

コンピュータは素晴らしい進化を遂げてきた。とても追いつけるものとは思わないが、気がつくとドンドン変化、進化している。特に通信面では恐ろしいくらいの変化を遂げている。この回ではコンピュータ通信、インターネットについての経験や思ったことについて
つれづれなお話

コンピューターとの出会い

コンピュータは素晴らしい進化を遂げてきた。とても追いつけるものとは思わないが、気がつくとドンドン変化、進化している。子供の頃はコンピュータとは電子計算機だと思っていたが、用途が広がり、色々な分野で使われる。スマホ、自動車、家電、その他・・・
つれづれなお話

上海で見つけたエビ料理、子供の頃松戸で捕まえたアレだった

上海のレストランで見つけた十三香清水龍蝦のポスター!これは何だ?と思って見たら、それはザリガニ料理だった。ザリガニは子供の頃のイメージがあり、いまだに触手が伸びませんが、実は非常に美味しいんだそうです。某有名野球選手も高級伊勢海老と間違えた
つれづれなお話

ポケットベルから携帯電話、スマホへと随分変化したなあ・・・

ポケベルの時代は殆ど興味がなかった。あるのは知っていたが、買おうとまでは思わなかった。時代的にそれほど、コミュニケーションの必要性が今よりも無かったのか、大切にしていなかったのか、良くわからない。ただ、携帯電話が一般的になってきた頃飛びついた
つれづれなお話

油条(ユウティァオ)の事

初めて油条を食べたのは神楽坂のバラエティスタンド食堂街(通称バラスタ)だった。その中の一軒に中華粥のお店が有り、入ったらハマった。店主曰く「この油条を入れて食べると美味しいですよ!」おお、そういうものか!と思い食べたものだ。私はリピーターに
昔日の松戸

ジュークボックスの思い出-微巣登路@北松戸駅前

北松戸駅東口駅前の喫茶店”微巣登路(ビストロ)”。ここにはレトロなジュークボックスがある。今では使えないみたいだけれど・・・音楽を聞くにも便利な時代になった。昭和少年だった私には今でもあのメカニカルな動きから奏でるジュークボックスが大好きだ。
つれづれなお話

京団扇と江戸団扇

北部小に通う娘から「房州団扇が無いか?」と問われ、実家に置いてあった房州団扇を手渡した。この房州団扇は有数の産地である房州の女竹で作られ、先端を細かく割って骨にして作る。柄が丸いので両手のひらでくるくると回す。柄のあり方が京団扇と全く違う。