鶴岡市と湯田川温泉
学童集団疎開へ
母は幼少の頃、江戸川区新小岩に住み第二松江国民学校に通学をしていた。戦局もいよいよ押し迫り、空襲を逃れ昭和19年夏から学童疎開をすることになった。疎開先は山形県鶴岡市湯田川温泉たみや旅館だった。
各地の小学校によって行き先はまちまちで、難しい時局がら、必ずしも物資が豊かとは限らず、疎開先によって生活条件に格差があったらしいが、少なくとも母が疎開したたみや旅館では大変お世話になったそうである。
三郷の花火大会を見て
さて、それから四十年後、竹ヶ花のリバブルマンションの友人S夫人から「三郷の花火を部屋から見ないか?」というお誘いがあり、母が伺ったそうだ。リバブルの上から見る花火の打ち上げ、それはそれは絶景で素晴らしかったそうだ。最後の方で仕掛け花火があり、煙がもくもくと立ち上がり空の底がアカネ色に染まった。母はこの仕掛け花火によって見た情景だけは、綺麗と即座に思えなかったらしい。
「東京の家が燃えちゃう、私の家が燃えちゃう」
それは昭和20年3月9日夜から10日未明に掛けての東京大空襲の日(東京下町が攻撃された)、学童集団疎開先だった鶴岡市から東京方面の空を見ると深夜で暗い筈の空があたかも夕焼けの様に明るく見えたという。先生からは「敵機や空襲を見てはいけない」と教えられていたので怒られるのを覚悟で東京の空を見たそうだ。
疎開先の子供たちみんなで「東京の家が燃えちゃう、私の家が燃えちゃう」と泣いたそうだ。その光景を思い出してしまい、にわかに綺麗だと思えなかったという。その話をS夫人に話したところ、朝NHKラジオで学童疎開についての思い出を募集しているから応募してみないかと言われ、応募する気になったそうだ。
NHKラジオ第一「今日も元気で」の“学童疎開の思い出”
NHKラジオ第一「今日も元気で」の“学童疎開の思い出”というコーナー。学童集団疎開先から帰る日の事を綴り応募した所、採用され1989(平成元)年8月19日放送された。
母の投稿
『♪長い月日を親切に、お世話になってありがとう、
お陰で元気な私らは、いよいよお家へ帰ります
♪あれは鳥海山ですよ、金峰山はあれですよ、
そうだ去年の夏の日に、僕らはみんなでやってきた、
♪汗でだくだく暑い日も、屋根まで雪の積もる日も、
お湯に入ればみな元気、なかよく勉強できました、
♪君は柿とり柿の木に、上からズドンと落ちたろう
僕らは田んぼのタニシ取り、ヒルにつかれて困ったよ
♪楽しい思い出どっさりと、僕らはリュックにつめました、
お家へ帰って母さんに、みんなお話するんです、
♪長い月日を親切に、お世話になってありがとう、
ご恩は決して忘れません。みなさん元気でさようなら』
戦争が終わり山形県鶴岡市湯田川温泉から東京へ帰る日、東京江戸川区第二松江国民学校の音楽の先生が作ったこの歌を村の方々の前で歌いました。
この歌を聴く限りでは寂しさや飢えひもじさ等、感じられませんが私たち小学生には長い一年数ヶ月でありました。国の命令とは言え学童を受け入れた旅館側も大変だったと思います。60人からの学童が生活するのですから、
私たちが東京に帰る頃には随分汚れてしまいました。然し先生に隠れ時々暖かい言葉やおやつを与えてくれ、面倒を見ていただきました。今更ながら感謝の気持ちでいっぱいです。
40年後のたみや旅館に宿泊
1983-4年の頃だったと思う。母がまだ中学生の妹を連れ、この湯田川温泉のたみや旅館に宿泊した事がある。私は同時に山形県の旅行中であった為、合流した。和風の建物で料理も素晴らしく良い旅館だった。ああ、母はここに疎開していたのかと思うと感慨深い物があった。
つるおかユースホステル
先述したように、私は母とたみや旅館に宿泊する前日だったか鶴岡にあったユースホステルに宿泊した。たくさんの宿泊客で賑わっていた。歴史をたどると、その後、このユースホステルは利用客が年々減り、1997年頃一旦閉館となったが、どうやら2000年に復活させたそうだが、2021年には再び閉館してしまったそうだ。
あのスタイルが若者に受けなくなったのか、それとも少子化の為なのか、それは分からない。ただ、事実として施設は減少傾向にあるらしい。ウィキペディアによると”1974年の最盛期には587施設とピークを迎えた。それ以降の施設は減少気味であり、2000年には332施設、2010年12月31日現在249施設、2013年では222施設まで減少している”となっている。
江戸川区と鶴岡市
江戸川区区長の記述によれば、当時、江戸川区から鶴岡市に疎開したのは約3700人の学童だったそうだ。電車で14時間もかかったんだそうです。昭和56年この江戸川区と鶴岡市は友好都市となり、どうやら鶴岡市役所の前に「学童疎開ゆかりの地」と記された記念碑があるそうです。機会があれば行ってみたい。
山形県鶴岡市について
鶴岡市と言えば小説家藤沢周平の生誕地である。藤沢氏の作品に”たそがれ清兵衛”という短編がある。この”たそがれ清兵衛”は山田洋次監督に映画化され、宮沢りえに真田広之が出演し、湯田川温泉の由豆佐売神社(ゆずさめじんじゃ)での神楽のシーンを使っていたそうだ。
学童集団疎開の色々
みんなわが子 科学映像館配信映画
これは戦後の1963年に全国農村映画協会によって製作された映画です。
NHK for Schoolより
記録映画があり興味深い
東京都渋谷区長谷戸小学校の場合
これは渋谷区長谷戸国民学校が静岡県の湖北の引佐町井伊谷龍潭寺に学童集団疎開をしていた時の様子(ヤノhiroさんのyoutubeを引用させていただいています)
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