松戸の古絵葉書
昔の坂川、新坂川の古絵葉書
松戸町根本地先の水郷橋(根本橋の事)
根本橋は、渡邉幸三郎先生の昭和の松戸誌に従えば、昭和10年3月に開通したとされている。多分、この絵葉書は開通した直後の昭和10-12年に作成、発行されたものであろう。この絵葉書はちょうど根本橋から輝建設方向を見ている場所だと思う。当然この当時は輝建設もないし、川井自転車屋さんも無い。それどころか、その先の北部小学校まで見渡せる。坂川護岸は自然のままで手前の根本橋に通じる橋は欄干・フェンスまで無い。
北部小学校が根本橋付近から見えた!?それにしても手前には見事なくらい建物が無いなあ~
手前から平根橋、次はさかね橋、その次は登校橋*1
(*1元竹ヶ花在住の花房さんからのコメントによりますと、手前は平根橋、次は美寿可そば屋のところにある橋(坂根橋)、三番目は登校橋ではなかろうかとの事でした。誠にありがとうございます)
ちなみにこれは同じ場所の現況です(平成21年3月15日撮影)大きなマンションが建って北部小は見えません。随分この界隈も変わりましたね。
馬橋地先富士見橋付近全景
わずかに左にカーブしていることからすると、現在の馬橋駅付近から北方向を見ている絵葉書と思われる。ここは馬橋の西口側で、田園地帯が続いていた所です。一方、東口側は萬満寺もあり、古い街道沿いの街並みを残していますね!
鰭ヶ崎地先大堰枠
ここは堰枠(せきわく)と書かれている通り、用水・井路・分水などの所に仕掛ける懸樋(かけひ)の短く横の広いものである。つまり、坂川から分水して、新坂川に繋がる所を意味している。
現在の鰭ヶ崎地先大堰枠のあった同地
この写真は2004年8月7日に坂川の流川から撮影した。住宅がかなり建設されている。
赤圦樋門付近の全景
これは坂川の赤圦樋門の付近を撮影したもの。左の写真は左にカーブしているので、多分赤圦樋門を背に北側を見た写真。右の写真は江戸川と繋ぐ赤圦樋門の写真。
2021年5月現在の赤圦樋門付近
松戸風景 排水川の釣
風景の感じからすると、六間川かもしれない。
あとがき
この絵葉書は2009年頃、発表し、何度かの内容変更を経て、2021年8月にWordpressの新しいフォーマットに載せた。
写真絵葉書の著作権について
注:当サイトで掲載している写真絵葉書の著作権について
免責事項→”当サイトで掲載している写真絵葉書の著作権について”を御覧ください。この考え方に基づいて公開します。
コメント