つれづれなお話

お茶の話し:その3 その他のお茶

1985年から87年までスリランカの首都コロンボに常駐していた。毎日、現場のティーボーイが入れてくれる所謂ミルクティーが甘くて飲めたものではなかった。しかしながら、甘さを無し、ミルクも無しにしてもらうとタンニンが出すぎてただ苦いお茶だった。
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お茶の話:その2 中国茶

1987年頃、初めて美味しい中国茶に出会った。それは台湾台北で台湾産の烏龍茶だった。台湾の人たちはお茶好きで、事務所の中でも時間があれば卓を囲んでお茶を飲んでいる。複数用だけでなく、一人用の茶器もある。あれ以来ほぼ毎日お茶を飲むようになった。
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卵の話し

最近は卵が高くて買いづらくなった。シンガポールでは6個1000円程度売られているらしい。ただ、子供だった昭和の頃を考えると当時も高かった。香港での玉子かけご飯に始まり、玉子かけご飯について書いていたのだが、いつの間にか論点がずれたかも・・・
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復刻版:懐いたタガメ

タガメは文字通り田圃のカメムシで、似た生き物のゲンゴロウとは異なる。世の中変わったもので、このタガメを食する人たちもいる。中国、台湾、香港、シンガポールなどで私は色々な食べ物を食べてきたけれども、タガメはどうしても食べられない。蕁麻疹がでる
平潟

松戸市平潟、昭和の頃の家並み

松戸駅最寄りで、旧水戸街道から少し外れにあった平潟歓楽街。戦後、昭和30年頃から司法試験、受験勉強の施設となった。バブル崩壊の頃までは歓楽街の印象が残っている家並みが残っていた。当時の風景をラーメン77さんが撮影していたので、公開したい。
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復刻版:花火のお話-1

現在花火を買うにはスーパーマーケットに行くのが普通だと思う。我が松戸では、ダイエー、イトーヨーカ堂、マミーマートやジェーソンでも売っている。そんな大型店の無かった昭和の頃、夏が近づくと駄菓子屋、文房具屋で大小様々な花火が売っていた。くじでも買えた。
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私には”じじっ毛”がある

子供の頃よく聞いた言葉にじじっ毛という言葉がある。曾祖母が使っていた言葉だ。うなじの付近、つまり盆の窪に子供が三才まで毛を残し、残りは髪の毛を剃ってしまう。この残された毛がじじっ毛。子供が転びそうになると神様やご先祖様が摘まんで助けてくれる
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復刻版:「最近断酒中につきお誘いご遠慮願いします」・・・by ある男 より

一人でフラフラと居酒屋の暖簾をくぐるのが好きだった私、実は色々な要因で、外飲みしなくなってしまった。その為か、当時は松戸の夜の事情が良く耳に入ったけれど、今は全く入らなくなった。この傾向がコロナ禍でさらに加速された。もっとも家飲みも楽しい。
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フロッピーディスクの話し

1980年代までは記録メディアの種類はそうは多くなかったが、1990年代から色々なメディアが登場し、栄枯盛衰というのか、消えていったものも多い。当初はフロッピーディスクに頼っていたが、HDDがエラーでデータが消えてからはオンラインに頼る様に
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犬のお話-5 犬の気持ち

昭和の頃、空地を遊んでいるとよく放し飼いの犬に追いかけられた。番犬に吠えられる事も多かった。犬は集団行動の中で生きていく動物なので自分の仲間であるのか否やか真っ先に考えるのであろう。空地も少なくなり人間以外の生物が生きにくい世の中になった。