昔日の松戸

昔日の松戸

昭和の松戸のプールと水泳

松戸のプールについて、昭和初期の頃、昭和40年代以降に分けて考えてみた。私が小学生の頃は夏は暑いので、ただ水に入りたい一心でプールに入っていた記憶がある。今は、泳法の習得に重点が置かれている様だ。松戸にはどんなプールがあったのか振り返える。
松戸の残像

根本英数塾:松戸駅東口

昭和30-40年代は子供が多かった。小学校を増やしていく時代だった。同時にある人は受験の為、ある人は落ちこぼれない為、塾に通った。私が通ったのは、松戸駅東口から扇屋のあった道を北に歩いた所にあった根本英数塾だった。一中の生徒が多かった。
昔日の松戸

北松戸工業団地の緑地の今昔

昭和の頃は公害が大きな問題になり、工場は工場立地法という法律で緑地を作る事を求められた。ところが北松戸工業団地の緑化は理想通り進んでいない。そこで松戸市で昭和37年発行の工場適地案内書と共に、新坂川と共に北松戸工業団地の緑化を考えてみた。
昔日の松戸

山﨑努さんと松戸、日経新聞”私の履歴書”

日経新聞"私の履歴書"で令和四年八月一日から松戸市出身の俳優、山﨑努さんの連載が始まった。私の大好きな松戸の風景が描かれていて、非常に懐かしくなった。古い地図を引っ張り出し、ああだ、こうだ始め、豆腐屋さんの付近を歩いたりしてみた。
昔日の松戸

松脂(マツヤニ)と禁じられた遊び

昭和40年代通った小学校で松脂(まつやに)遊びが流行った、松脂を細かく砕いた松脂をズボンにつけて指でつまみ引っ張るとキュッキュッと音がする。そんな松脂について、どうして松脂があったのか、どういう背景があったのか、自分なりに過去を振り返った。
昔日の松戸

昭和11年発行古しおり:伸び行く松戸:松戸付近ハイキング

昭和11年発行古しおり”伸び行く松戸”という松戸に関する栞の情報が豊富で非常に多かったため、いくつかのカテゴリーに分けてアップロードする事にしました。今回sは、その一つの松戸付近ハイキングです。園芸学校、江戸川、桜堤、柴又帝釈天などについて、触れています。
松戸のお宝

昭和11年発行古ちらし:伸び行く松戸(概要編)

1936(昭和11)年12月5日松戸町役場によって発行された”伸び行く松戸”という栞がある。松戸の町並みが鳥瞰式で書かれていて見ていて面白い。東京側ではあるが、江戸川堤桜も描かれている。裏面松戸の解説は情報量も多く何回かに分けて投稿したい。
昭和の松戸を歩く

拓銀松戸支店のちらし

1971(昭和46)年頃配られた北海道拓殖銀行松戸支店の出店案内の広告を自宅で見つけました。この広告を読み込んでいくとその当時の松戸の町が見えてきます。懐かしいお店もあります。これを2022年3月現在の視点から当時の広告をみていきたいと思う
昔日の松戸

昭和11年発行古しおり:伸び行く松戸:松戸釣り場案内

昭和11年発行古しおり”伸び行く松戸”の情報が豊富で非常に多かったため、いくつかのカテゴリーに分けてアップロードする事にしました。今回は、その一つの釣場案内です。納屋川岸、赤圦樋門、排水機場、排水掘、合川、坂川、六間川について、触れています
昔日の松戸

松戸市下矢切にかつて存在した国際射撃場(国際射撃倶楽部)

終戦後米軍によって占領されると銃砲類禁止令が発令され、事実上銃砲は持てなくなったが、数年後には競技射撃に関しては緩和され、昭和30年代松戸市には身近な場所に少なくとも二つの射撃場が出来た。この章では下矢切にあった国際射撃倶楽部について述べる