ここ何処?松戸!シリーズ-2
ここに発表する写真はテラスモール松戸正面付近にある八ヶ崎スタジオ様からいただいた大切な写真です。八ヶ崎スタジオ様のご主人が、1969(昭和44)年に当時お住いだった葛飾区から、松戸までいらして、撮影された写真です。2024年現在とは道路の線形はそれほど変わらないものの、建っている建物はかなり違っていて、当時高層マンションだったものも、建て替えられていたり、現在公団としてある場所も当時は更地の工事前であったり、色々です。
本日はこの八ヶ崎スタジオ様からいただいた写真を中心に分析していきたいと思います。
写真 南部市場方面
写真-1
右の松戸綜合卸売市場の看板の右に大きな井桁に松のロゴマークがあり、卸売センター松戸と書かれている。このロゴは何とも言えないが、この土地を開発した松久総合開発のロゴではなかろうか?実はご意見が出まして、このロゴは松久ではないのではないかという議論になっています。いずれ書きますね。
写真-2
下の写真の左に京葉流通センター入口とあり、その下に白石建設株式会社とある。この白石建設は後述します。
さて、この二つの写真は同じ個所を撮影していて、稔台工業団地に通じる所謂産業道路の今でいえば、マカロニ市場と野菊野団地の間に信号付きの交差点があるが、そこから市場に通じる道と考えています。でももしかしたら、ここは北側ではないか?とのご意見がありましたので、私が西側と思うその根拠を示しますね。
写真-1の拡大図
先ずこの写真から分かる事として、道の先端に我々が気楽に買い物ができる黄色い壁の関連食品棟が見えます。この関連食品棟の屋根の妻面(屋根勾配が三角に見える面)が見えます。次に電線が途中で方向が変わっています。しかも左側を通っています。この視点を元に現在を表したGoogle Earthの画像にコメントを入れたものを張り付けます。
市場の北側の出入口(コモディイイダ横の道)
写真が見ずらいですが、北出入口から見ると関連食品棟の屋根は桁行側(屋根の長手方向)しか見えません。妻側(屋根勾配の三角が見える面)は見えない。
市場の西側の出入口(産業道路側に出る道)
この西側出入口から見ると関連食品棟の屋根の妻側(屋根勾配の三角が見える面)が見えます。つまり、写真-1の場所はこの情報だけでも西側であることが分かります。
斜面林
北側の出入口にはありませんが、西側の出入口は、写真左のマカロニ広場側の標高が数メートル高く、この西側出入口の道路に向けて、必然的に斜面林になっています。斜面林の場所は、特別の理由がない限り利用しずらい場所なので、マカロニ広場と市場が共同で何らかの開発をすれば別ですが、こういう場所はどうしても幸いに斜面林として残ります。
ただ、この場所は、以前は古い擁壁があったのですが、現在はマカロニ広場側とデザインの合わない擁壁が出来ています。多分これは、何らかのがけ崩れがあって、松戸市で、デザインをしない擁壁を作ってしまった様に見えます。
急場しのぎと思われる擁壁
この擁壁は、少なくとも2021年までは無く、古い時代に作った擁壁でしたが、現在のこの形になってしまいました。カッコ悪いですね。左の擁壁とも高さが合っていませんし、マカロニ広場側の駐車場の拡張とも思えない。多分、何らかの崖崩れが発生し、松戸市が擁壁を作って急場しのぎをしたのではないか?とみています。
ただ、えてしてこういう構築物が出来てしまいますと、簡単には造り替える事が出来なくなってしまって、後に誰かが擁壁を道路側まで作ってしまい、妙な施設を作ってしまうことが往々にしてありそうです。それが故に、後で後悔することになりますので、注意が必要です。こういう場所は急場しのぎをしないで、前もっと必ず計画が必要な場所です。
写真-3
スロープが見えて、その前方に京葉流通センターの妻面が見えている。この撮影者は南部市場から現在で言えばマミーマート方向に上るスロープがあるが、ほぼ上がり切った場所から撮影していると思われる。そして、手前の方が高台で、標高が6m~6.5mほど高い。
上はほぼ現在のストリートビューで坂道の上部から下を見おろしている。左の建物の先でガードレールが終わっているが、それと同じ場所ではなかろうかと考えている。2024年現在は坂道を降り切った辺りにロイヤルコーポというマンションが建っていて、京葉流通センターはけられて見えない。また、道路際の樹木も成長している様子がうかがえると思う。
写真-4 疑問のある写真
この写真が不可解で、ある疑問が湧いている。この写真-4は、写真-3と同様に前方に5棟並んだ京葉流通センターの妻面を若干斜め右から見ている。写真-3の撮影ポイントに近ければ、高台の上付近になる筈である。
しかしながら、写真-3の様なスロープがあるように見えないし、この写真-4はむしろ京葉流通センターの地盤よりも、この青果市場建設用地の立て看板の地盤の方が下がって見える。そこが不思議なポイントである。
ということは“京葉流通センターの反対側から見ているのではないか?”という推論が成り立つ。しかし、改めて地図上でみるとこの青果市場建設用地とされている場所は、将来野菊野団地が建つ場所ということになる。野菊野団地が建つ場所にわざわざ、青果市場用地という縦看板を立てるだろうか?この点が理解に苦しむポイントである。
つまり、絵にするとこのようになる。
分かりにくいだろうか?写真-3は写真下部の標高の高いポイントから撮影している。1969年当時はまだ、野菊野団地が無くて更地だった頃で、地盤は少し低めの場所。つまり写真中央上付近から京葉流通センターを撮影したのではないか?と考えているわけだ。ご理解できますか?
野菊野団地は竣工したのは、1975年3月で、写真4の撮影した1969年5月から数えると6年後に竣工している。ということは、あくまで私の推論、仮定に過ぎないが、この野菊野団地の場所は1969年の時点では、青果市場の土地として考えられていたのではななかろうか?と思っています。それが何らかの理由で、市場にはならなくなり、公団になってしまった。
実は以前から不思議に感じていたのは、1960年代に同じ街区内に市場と公団を混在させる計画にするのだろうか?ということでした。そして、野菊野団地がある事で市場の形が歪になっている様に見える。それが、私の根本的な疑問の一つでした。
写真-5
正面、中央左にある5階建ての団地風の建物が見えるが、これは産業道路の対面に建っている日立物流の寮である。そして中央奥のビルが日立物流の社宅二棟である。この写真-5はほぼ写真-3の反対側から撮影されていると考えてもよい写真だと思います。
これは2024年現在は、左側がポレスター松戸胡録台に建て替えられ、右側にゼファー松戸イムスに建て替えられている場所。標高は左が約20m,右が標高約26mに建設され、右奥の方が6mくらい高台に建っているのは50年前も今も同じようです。50年前はこの様な建物があったのですね。
日立運輸独身寮
1963(昭和38)年竣工、この写真はうしとらさんが探し出してくださいました。ありがとうございます。
日立運輸社宅
この写真はうしとらさんが探し出してくださいました。ありがとうございます。
写真-6
補足的ではあるが、後のマミーマートに上るスロープのサイドが写った写真も掲載する。
白石建設株式会社について
白石建設株式会社は、吉村順三先生、清家清先生、レーモンド事務所、菊竹清訓先生の事務所など、所謂アトリエ系の事務所の手掛ける建築を建設していた会社。そういう事務所でも市場の建物もやるのだなあ・・・と思った。
同社の建築作品という項目に
京葉流通センター
- 所在地 千葉県松戸市
- 設計監理 白石建設
- 延床面積 8,795.8m2
- 規模 地上2階 5棟
- 構造 RC造
- 竣工 1969年4月
となっている。という事は、このページの写真は1969年5月撮影なので、一か月前にこれらの5棟が竣工した事になる。
松戸綜合卸売市場
- 所在地 千葉県松戸市
- 設計監理 秋山建築設計事務所
(荷解場) 規模 地上1階
延床 1,728m2
(事務棟) 規模 地上2階
延床 1,384.48m2 - 構造 SRC造
京葉流通センター 7号棟・8号棟
これはいわゆる松久ハイツと言われている建物で、元々の発注者の松久総合開発の名前を関しているのであろう。
- 所在地 千葉県松戸市
- 設計監理 秋山建築設計事務所
- 延床面積 6,334m2
- 規模 地上2階、 地上4階
- 構造 RC造
- 竣工 1975年7月
成田市綜合流通センターも白石建設
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