昔日の松戸

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昭和の松戸を歩く

松戸にゆかりのあるラーメン店-2

松戸にゆかりのあるラーメン店を書いてきた。それはラーメンだけに特化したお店と、中華食堂としてラーメンを出している大きな二つのケースがあるが、前回の書き込みで書ききれなかったチェーン店、珍来とゆうえんについて、補足的に書いてみたいと思う。
昭和の松戸を歩く

松戸にゆかりのあるラーメン店-1

生まれて初めて食べた味噌ラーメンは、サッポロ一番味噌ラーメンだった。小6か中一の頃だった。それ以来味噌ラーメンにはまり、色々なラーメンを食べた。今回は松戸にゆかりのあるラーメン屋、ラーメチェーン、ラーメン寺子屋などについて書き記しておきたい
昔日の松戸

松戸市栄町の商店街(栄町3丁目編)3-Gゾーン 仲掘通り

昭和40年代初頭出現した新興エリア、松戸市栄町。古ヶ崎と北松戸工場地帯に挟まれた陸の孤島的なゾーン。同級生によると栄町の商店街で商売を始めていた人達は東京下町の商店街の人達が移り住んできた人も少なくないらしい。栄町仲堀通り3-Gゾーンについて
昭和の松戸を歩く

松戸のらーめん屋さんの思い出(主に昭和の頃)

松戸で生まれ育った私が本格的なラーメンを食べたのは高校生の頃で、らーめん太郎だった。ニンニクの香るコクのある味噌ラーメンが大好きだったし、一口餃子もこれまた美味しかった。ラーメン太郎やその他の周辺の情報も含めて、思い出しながら書いてみた。
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松戸市栄町の商店街(栄町3丁目編)3-Cゾーン 中央通り

昭和40年代初頭出現した新興エリア、松戸市栄町。古ヶ崎と北松戸工場地帯に挟まれた陸の孤島的なゾーン。同級生によると栄町の商店街で商売を始めていた人達は東京下町の商店街の人達が移り住んできた人も少なくないらしい。今回は栄町三丁目3-Cゾーン。
昭和の松戸を歩く

松戸市栄町の商店街(栄町3丁目編)3-Dゾーン 中央通り

昭和40年代初頭出現した新興エリア、松戸市栄町。古ヶ崎と北松戸工場地帯に挟まれた陸の孤島的なゾーン。同級生によると栄町の商店街で商売を始めていた人達は東京下町の商店街の人達が移り住んできた人も少なくないらしい。今回は栄町三丁目3-Dゾーン。
地域の隙間史検証

秋本勝造翁 『松戸名代”久寿餅”始末記』を読んで

故秋本勝造先生が残した松戸の歴史を綴ってある秋本勝造翁『ふるさと松戸を語る』例会卓話全集に書かれた一文、『松戸名代"久寿餅”始末記』は自分にとって身近な根本や小根本、古ヶ崎について書かれている。これについて気が付いた点などを列記する。
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昭和の松戸のプールと水泳

松戸のプールについて、昭和初期の頃、昭和40年代以降に分けて考えてみた。私が小学生の頃は夏は暑いので、ただ水に入りたい一心でプールに入っていた記憶がある。今は、泳法の習得に重点が置かれている様だ。松戸にはどんなプールがあったのか振り返える。
松戸の残像

根本英数塾:松戸駅東口

昭和30-40年代は子供が多かった。小学校を増やしていく時代だった。同時にある人は受験の為、ある人は落ちこぼれない為、塾に通った。私が通ったのは、松戸駅東口から扇屋のあった道を北に歩いた所にあった根本英数塾だった。一中の生徒が多かった。
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北松戸工業団地の緑地の今昔

昭和の頃は公害が大きな問題になり、工場は工場立地法という法律で緑地を作る事を求められた。ところが北松戸工業団地の緑化は理想通り進んでいない。そこで松戸市で昭和37年発行の工場適地案内書と共に、新坂川と共に北松戸工業団地の緑化を考えてみた。