昔日の松戸

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松戸市制5周年昭和23年
昔日の松戸

水上勉氏と下矢切の旧居

常磐線で松戸に帰ってくる際に、松戸側を眺めると矢切地区の斜面林が見え、ほっとした気持ちになるのは私だけだろうか?そんな矢切に水上勉さんが昭和32年から二年間住んでいた事について、そこでの生活について、分かる範囲でビジュアル化してみようと思う。
昔日の松戸

昭和の松戸駅周辺の風景ー2

昭和30-40年代の松戸駅周辺の風景を撮影してくださっていた方がいた。これは非常にありがたい事で、そのご厚意に甘え、写真を少しずつであるが、公開し嘗ての松戸駅周辺の今回は東口の風景を懐かしみながら、現在と比較し楽しんでみたい。そのパート2。
昔日の松戸

昭和の松戸駅周辺の風景ー1

昭和30-40年代の松戸駅周辺の風景を撮影してくださっていた方がいた。これは非常にありがたい事で、そのご厚意に甘え、写真を少しずつであるが、公開し嘗ての松戸駅周辺の今回は東口の風景を懐かしみながら、現在と比較し楽しんでみたい。そのパート1。
レジャー&スポーツ

東京五輪1964の頃の記憶

私が小学生低学年の頃、東京五輪1964が開催された。当時は我が家にテレビもなく、見る術が無かったが、ある日学校の教室にテレビが設置された。オリンピックを見ることができ嬉しかった。当時の世相や我が家の事などを思い出しながら書いてみたい。
昭和の松戸を歩く

松戸にゆかりのあるラーメン店-2

松戸にゆかりのあるラーメン店を書いてきた。それはラーメンだけに特化したお店と、中華食堂としてラーメンを出している大きな二つのケースがあるが、前回の書き込みで書ききれなかったチェーン店、珍来とゆうえんについて、補足的に書いてみたいと思う。
昭和の松戸を歩く

松戸にゆかりのあるラーメン店-1

生まれて初めて食べた味噌ラーメンは、サッポロ一番味噌ラーメンだった。小6か中一の頃だった。それ以来味噌ラーメンにはまり、色々なラーメンを食べた。今回は松戸にゆかりのあるラーメン屋、ラーメチェーン、ラーメン寺子屋などについて書き記しておきたい
昔日の松戸

松戸市栄町の商店街(栄町3丁目編)3-Gゾーン 仲掘通り

昭和40年代初頭出現した新興エリア、松戸市栄町。古ヶ崎と北松戸工場地帯に挟まれた陸の孤島的なゾーン。同級生によると栄町の商店街で商売を始めていた人達は東京下町の商店街の人達が移り住んできた人も少なくないらしい。栄町仲堀通り3-Gゾーンについて
昭和の松戸を歩く

松戸のらーめん屋さんの思い出(主に昭和の頃)

松戸で生まれ育った私が本格的なラーメンを食べたのは高校生の頃で、らーめん太郎だった。ニンニクの香るコクのある味噌ラーメンが大好きだったし、一口餃子もこれまた美味しかった。ラーメン太郎やその他の周辺の情報も含めて、思い出しながら書いてみた。
昔日の松戸

松戸市栄町の商店街(栄町3丁目編)3-Cゾーン 中央通り

昭和40年代初頭出現した新興エリア、松戸市栄町。古ヶ崎と北松戸工場地帯に挟まれた陸の孤島的なゾーン。同級生によると栄町の商店街で商売を始めていた人達は東京下町の商店街の人達が移り住んできた人も少なくないらしい。今回は栄町三丁目3-Cゾーン。
昭和の松戸を歩く

松戸市栄町の商店街(栄町3丁目編)3-Dゾーン 中央通り

昭和40年代初頭出現した新興エリア、松戸市栄町。古ヶ崎と北松戸工場地帯に挟まれた陸の孤島的なゾーン。同級生によると栄町の商店街で商売を始めていた人達は東京下町の商店街の人達が移り住んできた人も少なくないらしい。今回は栄町三丁目3-Dゾーン。