37 松戸の映画産業を支えた松戸常磐館の記録

常磐館昔日の松戸
常磐館

在りし日の松戸常盤館

外観と森本喜芳さん(森本興業、森本吉太郎さんのご子息)

外観と森本喜芳さん(森本興業、森本吉太郎さんのご子息)

すでに閉館(1992年8月28日閉館)している松戸常盤館を背景に閉館直前まで支配人をされていた森本喜芳さん(森本興業、森本吉太郎さんのご子息)、撮影日1993年6月27日、つまりこの写真は閉館して一年近く経った頃に撮影された様だ。この後、この常盤館は取り壊され、後に藤和シティコープ松戸本町(マンション)が建設された。写真提供はまつど観光大使をされているI女史、ひみつ堂に伺うとお会いできます。

松戸には映画館が一つもなくなってしまった

映画館

いらすとやさんのイラスト

2021年現在、松戸駅付近には映画館がない。最後に残った映画館と言えば、後発のシネマサンシャインだったが、2013年1月31日閉館してしまった。以前には複数の映画館があった。春雨橋の輝竜会館、私は入ったことがなかったが中通り(現ふれあい通り)の松竹館、そして常磐館。馴染みの映画館として怪獣物を多く放映していた輝竜会館。アーバンヒル松戸にはサンリオ劇場、東口の弁天会館には成人向けの映画館もあった。

近所のタッチャンに連れて行ってもらった

昭和3,40年の頃、夏休みの間は常磐館で鉄腕アトムを上映する事もあった。当時すでに映画業界は下火になっていたものの、娯楽の王者は映画館である事に変わらなかった。当時は高度成長期のまっただ中で、父はサラリーマン、母は自営する軽食堂で忙しく、子供を映画に連れて行く精神的な余裕はない。仕方ないので近所の年上のお兄さん(タッチャン)に連れて行ってもらった事もある。

かつての松戸常磐館と森本喜芳さんを訪ねて

常磐館は旧水戸街道に面し奥まって鎮座し、大きな映画館ではなく庶民の映画館だった。アルミパネル様の材料縦貼り外壁で建物の左右両端は何となく局面になり、色の濃い腰板が貼られ、全体としてモダンで柔らかい印象を与えた。そして入り口近くには料金パネルがあった。

客席を後ろからステージ方面(写真提供I女史)

客席を後ろからステージ方面(写真提供I女史) 緞帳には松戸自動車教習所の広告が・・・

客席後方を見る(写真提供I女史)

客席後方を見る(写真提供I女史)

入口ホールと森本さん(写真提供I女史)

入口ホールと森本さん(写真提供I女史)

映写室(写真提供I女史)

映写室(写真提供I女史)

事務所(写真提供I女史)

事務所(写真提供I女史)

森本喜芳さん、関宿そば屋座敷にて

森本喜芳さん、関宿そば屋座敷にて(写真提供I女史)

本喜芳さんとI女史

森本喜芳さんとI女史、関宿そば屋座敷にて(写真提供I女史) Iさん若い!この当時の私は、松戸の文化には全く向いていなかった。Iさんは当時から松戸への愛が強かったんだなあ・・・と感じた。

Iさん若い!この当時の私は、松戸の歴史・文化方面には全く向いていなかった。Iさんは当時から松戸への愛が強かったんだなあ・・・と感じた。三井良尚氏の松戸今昔物語によれば

「大正時代のこと松戸神社の近くに「松技館」という寄席があって、三丁目の方面は賑やかだが、一丁目にも客足を引くような娯楽設備があったら、こっちももっと賑やかになるだろうというので、地元の商店街の有志が力を合わせ、大正十二年の関東大震災の直後に、ここに活動写真館「常盤館」を建てたそうです」

と書かれている。

「松登」について

「松登」をご存じだろうか?大関にまで昇進した松戸出身力士。父から話しだけはよく聞いていたが「松登」は私が物心つく前に他界したので、実際に見ているわけではない。三井良尚氏の松戸今昔物語によればこの常磐館はトーキーが出来る以前、無声映画を放映し活動弁士が活躍していた。その活動弁士の一人が高砂通りにあったカフェー栄楽の親父で、そのカフェー永楽の親父の一人息子が松戸の力士「松登」だった。

松登

松登

 

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