100 松戸市新坂川の汚染と影響を受けた生物達

1979(昭和54)年北部小学校周辺昔日の松戸
国土地理院の空中写真 1979(昭和54)年北部小学校周辺 より

新坂川の汚れ

私が物心ついた昭和三十~四十年代は日本中が大きく変わる歴史的な時代だった。現代でこそ環境問題、自然志向、街並み保存の考え方は声高に騒がれるが、当時勿論そう言った主張があったにしても、多分少数派であったに違いない。水俣病やイタイタイ病を引き起こした公害問題は起こってはならない事で、非難されこそはすれ、当然肯定されるべき問題ではない。

ただ、もっと身近な問題として、例えば新坂川の汚れに対しては、正直な所あきらめに近いものがあって、私一人ではどうにもならないという消極的な考えしか持ってなかった。

ページトップの写真は国土地理院の空中写真1979年の松戸市立北部小学校付近の様子です。川が流れていますが、これは新坂川で、川岸には緑が残っています。これはまだ、コンクリートの護岸工事が進んでいないエリアを表しています。2021年現在この周辺はすっかりコンクリート護岸の状態ですね。

新坂川ではメソッコ(うなぎの稚魚)、シジミが採れた

うなぎ

いらすとやさんのイラスト

綺麗な川の方が勿論良いに決まっている。松戸の古老から「昔新坂川ではシジミが捕れて食べたんだ」、「うなぎが捕れた」、「泳いだ」と聞くと羨ましかった。私のが小学生の頃はクチボソやドジョウなどは居た。しかしながら、とても泳ぐような綺麗さは無かった。そして北松戸の工場が出来た頃から工場下流域は完全に生物の住めない川になった。

シジミと言っても淡水で生息するマシジミだったと思う。我々がスーパーで購入して食べるのはヤマトシジミ。

新坂川汚染の主因は生活排水

水質検査

いらすとやさんのイラスト

当初この新坂川汚染の主原因は北松戸工場排水と考えられていたが、徐々に家庭排水が汚染原因に変わりつつあり、市民全員が川を汚す主犯格で、明確に訴える叩くべき敵がいない状態になっていたと思う。河川汚染の原因があいまい(実は自分たちが原因)で市民全員が川の汚れを何とかしようと立ち上がる程、自分自身の問題として深刻に考える人は少なかったのではないか?と考えている(勿論動いていた人は居た)。

高度成長過渡期としての`松戸市発展・繁栄の影のやむを得ない犠牲`に妥協せざるを得ない、否、経済的に豊かになりつつある自分たちにとって、懐古的牧歌的生活だけでは飽き足らない、むしろ、世の中が変わる事に何かワクワクした予感、明るい未来を感じた・・・そういう人も少なくなかったのではないか?勿論、川沿いの住人にとってはかなり迷惑だったと思うけれど・・・

川の汚染で直接的犠牲を受けたのは水中生物

ドジョウ

いらすとやさんのイラスト

この為淡水生物は大きな犠牲を強いられた。一般にコイ科の魚(フナ、メダカ、ハヤなど)を始めマシジミ、ドジョウは淡水でしか生きられない。つまり海を経て他の川に行く方法を持たない。という事は一度川が汚れると上流でしか棲息できない。上流が汚れればその水域に於いては絶滅しか無くなる。

新坂川のBODは下がったが、戻った魚は放流した鯉と遡上してくるボラ

鯉

新坂川は確かに昭和三十~四十年代よりも確実にBODも下がり汚染も減少した。しかしながら果たして実質的な生態系環境として戻っていると言えるのだろうか?淡水魚は水質が綺麗になった途端、川に簡単に戻ってこられる訳ではない。昭和五十年代前半に新坂川放流したと言われている鯉は局所的にたくさんいるし、海から上がってくるボラも見かける。以前の様に新坂川にドジョッコ、フナッコは居るんだろうか?今度四つ手網で魚獲りしてみようかな?

釣具屋さんも減った

四つ手網

四つ手網

そういえば松戸には釣り道具屋さんも激減したし、四つ手網を売っている店を探すのも一苦労だなあ・・・てんぐ屋(魚七の隣)、小西屋釣具店(旧水戸街道沿い)、浮見堂(平潟湯付近の新坂川沿い)もみんな消えた。かなり後発組で現在のツタヤの場所(松戸駅前通り)にあった上州屋釣具店もなくなった。そうそう、本町一平橋手前のヨコカワさんの処では四つ手網売っているかな?

それとも今はネット販売の時代なのかな?

 

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