表の家

海外生活はたまらない スリランカ編21-25

25 プラザ合意とコロンボ生活 


ダイゴさんのキャラは面白い。単なる竹下さんの七光ではなさそうだ。独自の個性で売っている。竹下さんはそれほど印象のある人物ではなかったが、ダイゴさんのご活躍(?)で竹下さんのイメージも何となく滑稽(いや、失礼)以上に微笑ましく思えてくるのは私だけだろうか?

1985年9月22日私はスリランカの首都コロンボに常駐した。これと同日、当時の竹下元大蔵大臣がホテルプラザにおいてプラザ合意をした。レーガン大統領の頃のアメリカは所謂双子の赤字(貿易赤字&財政赤字)を抱えていて、その対策としてドル安円高政策が必要だった。それは後で知ったが、当時の私はプラザ合意が一体どういう意味を為すのか全く分からなかった。

当時、我々の給与から毎月五万円分の米ドルをコロンボの銀行に送金してもらっていた(給与の残りは貯金)。送金された五万円を現地の通貨ルピーに換算両替し我々が受け取る。常駐開始の頃、スリランカの通貨ルピーは約十円の価値だった。つまり、五万円であれば約五千ルピーを受け取る事になる。

これがある頃から急激に受け取る金額が変わり始めた。五千五百ルピー→六千ルピー→七千ルピー→八千ルピー→九千ルピー→一万ルピー→一万一千ルピーといった具合に毎月増えている訳で、受け取る側として嬉しくない筈はない。

為替の変化で毎月昇給していた事になる。私がコロンボ常駐した(=プラザ合意)頃は1US$=240円だったが、途中から約120円くらいまで上がっていることが分かった。プラザ合意の影響は時間の経過とともに私にも分かる形ではっきりと現れたのだ。そもそも食費はあまり必要のない状況であったが、外食が半額近くになるというのは強烈なインパクトがある。

著名建築家のジェフリーバウワ(Geoffrey Bawa)が設計したTritonホテル(在アフンガラ)。レジデンスビザ(滞在ビザ)を持っていれば350ルピーで宿泊出来たが、これも円換算2000円弱で日本のビジネスホテルよりも安く宿泊できるようになってしまった訳だ。財布の紐も緩くなるが、ここがコロンボの良いところで浪費する場所はカジノくらいしか無い。しかも私は当時、ツキまくり、勝っていた絶頂の頃だったので、余分なお金は必要なかった。残る使い道は「ユキ・クラブ」でボトルを入れる手、でもこれもたかが知れていた。

スリランカで生産されるものは安くなった。ドルに通貨をリンクしている国も同様。ただし、日本から輸入する食料品は値上がりした。日本から輸入する食料品も一ヶ月以上遅れて我々の手元に入る。先月仕入れた納豆を100ルピーで売るとすると、今月は100ルピーの価値が(円との比較を考えると)額面割れするので安く買える事になる。つまり、我々としては昨日の100ルピーは高くても、今日の100ルピーは安いという状況が発生する。

円高とはどういう事なのか肌で感じた。

24 銀座のママの店 


船長の店事件から暫くして、銀座でクラブ経営していたママがコロンボに特徴あるクラブを開店するという噂を聞いた。あれはどのあたりだったかな?海沿いのコロンボ3あたりだったか?ところが銀座ママはコロンボの不動産屋の詐欺にあい一千万円ほどの外貨を失ってしまったらしい。コロンボの不動産屋と言っても個人経営が多く信用ならないと聞いた事がある。

その後、‘銀座ママの店‘は何とかリベンジ、新たにオープンにこぎ着けた。この‘銀座ママの店‘の売りは接客に日本人女性を置くというスタイルだった。私はこりゃ高くつきそうだなあ〜と思ったが一度だけ行った。しかし、前評判の割に接客スタッフが少なくてどうしても又行きたくなるような魅力ある店とは思えなかった。妙に言い訳めいた謝り方をするので可哀相になってしまったが、つまらない店である事に変わりはなかった。

銀座ママはその後何度も見かけたが、見かけるたびに顔が暗くなっていたのを思い出す。そのうち、店を畳んで行方が分からなくなってしまった。あの銀座ママは果たして現役だろうか?

23 船長の店 


「クラブ・ユキ」の客は我々の現場関連は多かったが勿論その他、ジェトロや商社、自動車関連など様々だった。その中に船長というニックネームの男が居た。じっくり話し合った事が無いので実は正体不明である。その容姿は癖がありそうで何となく近寄りがたい印象。

店には二、三か月に一度現れた。航海毎に寄港し来店していたのだろうか?ある時からぷっつりと見かけなくなった。キャンディに住んでいるという噂もあったが良く分からなかった。そのうちにゴールフェースホテル前付近に日本人相手のパブを船長が開業準備中だという噂が流れた。「クラブ・ユキ」と同じタイプのクラブらしい。果たしてその噂は真実になった。店名は忘れたが、オープン間もなく立ち寄った。店内が暗く、活気もなく繰り返し立ち寄りたくなるような魅力が不足していた。よく見るとユキで働いていた女の子も引き抜かれていた。ボトルはキープしたが結局一回限りしか行かなかった。

その後`ある風評`が立った。コロンボ市政府はその`ある風評`に関しては非常にうるさい。営業許可に関わる。案外お堅い国なのだ。その`ある風評`から数か月も経たぬ間に、チンピラに襲撃され店がめちゃくちゃになったというニュースが入った。止むを得ず一時閉店。でも二度とオープンする事はなかった。何故そんな事になったのか分からないが、‘実行犯はチンピラだが首謀者は……‘という噂が流れた。それは私の知る人だったが、単なる噂であるしこれだけ時間が経っても怖くて書けない。私怨とだけ書いておく。いずれにしても船長も損害を蒙むり大変な事になったなあ……と同情した。

22 クラブ・ユキ Park road, Colombo 5  


当時(今から二十数年前)、コロンボのパーク・ロードに「クラブ・ユキ」という健全で明るいカウンターバーがあった。ママは「クマラトンガさん」、日本人男性をご主人に持っていた綺麗な人だった。ちなみにユキとはママ「クマラトンガさん」の娘(当時7歳くらい)の名前。何度か会ったことがある。

この「クラブ・ユキ」の敷地内に日本食料品店を併せて経営していた。ユキの日本食料品はありがたかった。随分助けられた。納豆や干物、インスタントラーメン、日本米など各種扱っていた。我々は少しずつ買った。さもないと直ぐに在庫の底をついてしまうから。

「クラブ・ユキ」店内に入ると手前がホールで広く、奥の左右の壁にカウンターが設置されていた。ホール左には十数人は入れるグループ客用のプライベートルームがあった。お店にはスリランカ人男性マネージャーが店を守り、接客の女の子が十数人居た。みんなスリランカ人だった。「ミス・チャンドリカ」はチーママで笑顔の可愛い娘だった。多分当時二十歳前後だったと思う。後に「ミス・チャンドリカ」は我が家の運転手「ワサンタ君」の妹であることを知った。「ミス・チャンドリカ」としてはあまり明かしたくない事実だったらしいが、知って以降何となく親しい感じがした。我が家の何人かで「ミス・チャンドリカ」の実家に遊びに行ったこともある。彼女の実家は意外にも大きくて綺麗な家だった(一般庶民は小さくて汚い家に住むのが普通と思っていたから)。

「クラブ・ユキ」ではカウンター越しに女の子が接客した。皆一様に「ウイスキーやブランデーの空ボトルが欲しい」と言った。当初販促の為と思ったが、実は家に持ち帰り飾りたいのだそうだ。ささやかな楽しみなのだろう。特にコニャックのブックは人気で皆「欲しい」という。店で一番安いお酒がジョニ黒で4〜5千円/ボトル程度だったと思う。ロイヤルサルート21年物の紺色巾着袋付きはちょっと高め。その他、アレキサンドル レオポルド1970 ルイ16世を入荷した時があってお店の中でもダントツで高級だったと思う。流石にルイ16世は飲んだことはない。マーテルやレミーマルタンのVSOPがせいぜいで、ブックは一度キープした事がある程度。

この頃が私にとってスコッチを飲んだ最後の頃だと思う。(1985年帰国後は何故かバーボン或いはテネシーウィスキー専門になった)
「クラブ・ユキ」はカウンターバーではあったが、カラオケもあった。カラオケで乗りの良い曲を歌う人があると、まるでディスコタイムの様になってお客さんもスタッフもみんな一斉に踊った。スティービー・ワンダーの「パートタイム・ラバー」がみんなが好むナンバーだった。
スティービー・ワンダーの「パートタイム・ラバー」
Call up, ring once, hang up the phone
To let me know you made it home
Don't want nothing to be wrong with part-time lover
If she's with me I'll blink the lights
To let you know tonight's the night
For me and you my part-time lover !

21 ポヤ・デーの蟹の秘密−満月の夜にはカニは食べない事


私のスリランカ常駐にあたり私の歓迎会が数度行われた。誠にありがたい事だ。今回はオーナー事務所のNさん主催だった。Nさんは中華料理のFlower Drum(フラワードラム)に連れて行って下さった。Flower Drumは現在でも同じ 26 Thurstan Road Colombo 3にあり、当時と変わらない。私が住んでいたDavidson Road Colombo 4から比較的近い場所だ。

フラワードラムでのメイン料理は蒸蟹(Steamed Whole Crab with Ginger)。塩,生姜、酒で蒸してあるだけのさっぱりした料理。所謂ワタリガニ系で大きい。両手に余るくらいの大きさはある。大きな皿に盛られてくる。Nさんはこれを「一人一杯にしよう」と言い一人一人に蟹一杯分の皿が置かれた。実に豪勢だ。

日本で一般的に珍重されるのは毛蟹、タラバ、ズワイでこれが高い。ワタリガニは大きいほど高級で、本当に立派なワタリガニは普段は見かけない(過去、高級料理屋で立派なのを食べたことがある)。

ところが日本のスーパーで見かけるワタリガニは冷凍で小さいものばかり。小さいワタリガニは本当に食べるところが少なくて、私の家ではみそ汁に入れて蟹汁の出汁として使う用途でしかない。中国や香港台湾などに行って蟹炒めを頼むとワタリガニらしき蟹が細かく砕いて食べやすい大きさにしたものを炒めて出てくる。

話しが横道に逸れたが、この遙か南方の国スリランカで、日本だったら高級料理屋で供されるような大きなワタリガニが蒸蟹として目の前に一杯分ど〜んと置かれている。至福の瞬間。今だったらと思わず値踏みしてしまうだろう。当時はそういう視点で見ていなかった。兎に角、食べ始めると無言になって、手をぐちゃぐちゃにして喰った。食べているNさんの顔を見たら蟹に見えたのが不思議だ(いや、失礼)

スリランカにPoya Day(ポヤ・デー、聖なる日)という祭日がある。これは毎月の満月の日に祭日になる。仏教徒はお酒を飲まない日らしいが、私はあまりそういう事は拘らず酒は飲んでいた。

ある日、こんな事を言われた。

「ポヤ・デーには蟹は食うな」
何故か?
「蟹の身が少なく貧弱だから勿体ない」

へぇ〜そんな馬鹿な……!今度確かめてみよう!と思っていたが滞在期間中(そもそも蟹が不味いと言われている日に誰も誘わない)、ポヤ・デーの蟹を確かめる事なく帰国してしまった。ただ、後年植物の勉強を通して自然に興味をもち、あの`ポヤ・デーの蟹`を考えてみた。

満月の日は一晩中明るい→蟹が寝ないで動き回る→身が痩せる。そんな事ではなかったのだろうか?ちなみにフラワードラムでは辛味蟹炒め(Singapore Chillie Crab )もよく食べた。フラワードラムは1982年オープンだったそうで、現在はブランチもあるらしい。
フラワードラム
http://www.flowerdrum.net/