表の家

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 つれづれ話の部屋
海外生活はたまらない スリランカ編11-15

15 「ビル・プリーズ!」


コロンボ滞在も半年を超え英語の勉強に奮闘し、一人立ちして
ホテルのバーで一杯頂く事が出来るようになった頃のお話。日本
では食後キャッシャーでお金を払うことが一般的だが、英語圏では
食後、食事をしたそのテーブルで支払う。これはテーブルを担当し
ていた従業員へのチップと密接に関係しているのかもしれない。

さて、テーブルで支払いをする時にボーイに向かって
「Bill please!」 又は 「Check Please!」
と言う。
そうするとボーイは分かったという振りをしてInvoice(請求書)を持ってくる。客は内容を確認
しinvoiceの入れ物にお金を包んで渡す。ボーイは一度キャッシャーに戻り、おつりと共に再びテ
ーブルに戻る。おつりを取り、残額をチップとして残してボーイに直接渡す或いはテーブルに置
く。彼らはそれを要領よく自分のポケットに入れる。

私の先輩K氏は「Bill Please!」を多用していた。私もこれに習い「Bill Please!」を使った。
ただ、billのLの発音は難しくて、今でも正確に発音できない。私は冗談で「bill pleaseなん
て言って、ビールが来たらどうしようか? ワッハッハ!」

友人は「あはは、まさか!」なんて会話していた。

ところがその`まさか`がある日現実となった。

私はホテル・オベロイのアトリウム(大きな吹き抜け空間)ラウンジでビールを飲んでいた。大瓶だ
ったのでお腹がいっぱいになり、もう帰ろうと思いボーイに「Bill Please!」と告げた。中々ボーイ
が戻ってこないのでおかしいなと思ったら、何ともう一本大瓶のビールを持ってきてしまった。ボー
イに「違うよ、そうじゃない。Checkだよ。Billだ。ビールじゃない」と言った。
ただ、蓋を開けてしまっていたこともあり、こういう場合の損失はバーテンが負わないとならないと
したら、あまりに可哀想で、私の発音の問題もあったかもしれないと観念して飲むことにした。す
っかりお腹がパンパンになったのは言うまでもない。

この一件で「Bill Please!」に懲りて以降、全て「Check Please!」に替えた。
注:ホテル・オベロイ(Hotel Lanka Oberoi)は現在
シナモングランドコロンボ(Cinnamon Grand Colombo)という名称になっているようだ。
http://www.cinnamonhotels.com/index.htm

14 テロと爆弾


スリランカは爆弾テロが日常茶飯事。標的は大抵、繁華街の不特定多数の人が入る施設やバスで、自宅にいるかぎり爆弾の被害に遭う事は先ず無かったが、住宅街でも爆弾の音を聞くこともあった。
常駐していた先輩K氏宅へお食事に呼ばれた際、すぐ近くのホテルで爆発した音を聞いたことがあった。ただこの当時我々もすっかりテロに鈍感になってしまっていて、外に出てみることさえしなかった。

我々の仕事場付近のTelecommunication office(電話局)が爆破されたときは大騒ぎになった。ドカ〜ンという音と共に我々が勤務中のプレファブ・オフィスが揺さぶられた。当初はトラックが我々の事務所の建物にぶつかった程度に軽く考えていた。ところが外の様子が違う。数分後に現場の中にいた職人達が一斉に「うわ〜!」と逃げ出し始めた。この時始めてただならぬ事が起きたことに気が付いた。Telecommunication officeの爆破だったが、curfew(夜間外出禁止令)は発令はされなかった。

私の家で雇っていた門番「バンダー」君には兵隊の弟があり我が家にも遊びに来たこともあった。ところが、テロの取り締まりの為スリランカ北部に進軍し、帰ってきたときは片足を失っていた。
我々は運転手「ワサンタ」さんの車で外食に出かける。我々の食事中、運転手には自由時間を与える。タバコもよし、車で食事に行くもよしとしていた。さてある日、我々が食事を終え外に出ると運転手が耳を押さえてうめいている。
「どうした?」と聞くと「鼓膜が破れた」という。
運転中たまたま爆発現場の横を通ったらしく、窓を開けていたため、まともに爆発音を聞いてしまったらしい。実際は鼓膜は破れていなかったが運転不可能になってしまったらしく、会社から禁止されていた運転を私がやむを得ずして家まで帰った。こんな話を書いていると枚挙にいとまがない。

コロンボに赴任して翌春、先輩K氏一家及び、「K氏知人のN氏(日商岩井勤務)一家と地上最後の楽園モルディブに旅行した三泊四日程度だったと思う。とても楽しい旅行だった。その一週間後の同じ曜日の同じ便、つまり1986年5月3日エアランカ(モリディブの首都マレー行き)がコロンボ国際空港内において爆破された。この時ばかりは驚いた。

13 テレックスでチャット


現場事務所にはファックスの他にテレックスがあった。テレックスは国際回線で文章をやり取りする方法で一昔前までは一般的な通信手段だった。海外とのやりとりが多い商社勤務の人と名刺をいただくとテレックス番号が書かれていた。例えば Telex:22040 KENSE CE のような感じだ。

内容のこみいった図面はファックスで送信するが「いついつ空港に到着するから迎えに来て」や「○月○日から二泊するからどこかホテルのアレンジをしてね」というような文章で済むような内容はテレックスを使用した。文字数が増えればそれだけ通信費が増すのでなるべくテレックス用に省略した言葉を使う。
would は wd, you は y, regardsはrgdsと云った感じで独特の省略をしていく。テレックス文を指南するテキストブックも売っていたし、それを買って勉強した事もある。物産のテレックス文を見たら「We wa ……」で始まる日本語と英語が一緒になった独特の文体で非常に興味を惹いた。

ある日現場事務所のテレックスと弊社のシンガポールの事務所のテレックスと国際回線で通信している場面を見ていた。古いタイプでは先ずオペレーターがテープを鑽孔して通信文を作成していき、出来上がったら読み込ませ通信させるが、このテレックスではテープに鑽孔させる段階が省略されて画面上で確認するタイプだった。それはオペレータの女の子がモニターを睨みながら次から次へとタイピングし、通信相手と文章を交わしていくタイプのテレックスだった。

それはニフティサーブや現在のインターネットでも頻繁に使われる「チャット」と変わらない機能だった。好奇心旺盛な私は面白いと思った。そして私もいつかこういう事(チャット)が出来るようになりたいと……

(歴史的に調べると日本ではこの時期すでに通信自由化されていた。それまでのカプラでなくモデムを使うことが出来るようになった。そしてパソコン通信のPC-VANやらNIFTY-SERVEが立ち上がっていた時代)

12 コース@ロイヤルコロンボゴルフクラブ


さて、練習だけでは面白くない。たまにはコースにも出たくなる。コースは18ホール、練習場もあった。メンバーでなくてもコースは早朝出がけに電話すれば予約出来た。料金はグリーンフィーなど1ラウンドで3000〜4000円(日曜日)もあれば十分だった。

キャディーは腰巻(サラン)にシャツ、裸足の格好で付いてくる。浮浪者様でとてもキャディには見えない。又、「コーチ」と自称する青年が「雇え!」とばかりついてくる。
コースは変化に富んでいて非常に面白かった。
そうそう、コースの途中でフェアウエーがだだっ広く牛がたくさん寝ている所があった。牛を何とか避けようとして打っても、私のテクニック不足で牛の方向に飛んでしまう。気がつくと、そのまま牛の糞の中にボールが埋没してしまい、どうにも情けない気持ちになる。

9ホールだっと思ったが、池を跨ぐホールがあって、ボール拾いのおじさんが池の縁に座り池ポチャを待っている。ボールが落ちたかと思うとそのおじさんは颯爽と立ち上がり池の中に入っていく。入り方が独特で河童様。落ちたポイントにたどり着き、霞ヶ浦の蜆採り、タンカイ採りの如く足底をくねくねとツイストして探す。探し当てると親指と人差し指の間に挟んで拾い上げる。回収率は案外高く確か8割以上は探してくれたと思う。拾い賃が確か5ルピー(50円)程度だった。

一種のショーを見物しているような気持ちにさせられる。終始のんびり待っていても他のプレーヤーに迷惑が掛かるわけではない。仮に次のプレーヤーが来たら追い越してもらえばいいだけだ。ただ、コース全般に手入れが悪くブッシュが異様に多い。ブッシュに打ち込んだ場合自分でボールを探そうとするとキャディに止められる。キャディーは「キングコブラが居るから危険だ。我々が探すからあなたは新たなボールでプレイしていてくれ……」などと云われる。キングコブラが居ては敵わないので任せるが、どうも納得のいかないときもある。(このゴルフ場で本当にコブラを見たことは一度も無かったが、知人の中で草の中から首を出したイグアナをコブラと見間違え飛び上がってしまったらしい)

又、キャディのボール回収率は決して優秀ではない。中々見つからないで終わるのだ。自分の腕が未熟であることも大きな原因だが、ブッシュ、OB、池ポチャを繰り返すと20個程のボールがあっという間に無くなってしまう。それでも何とか8ホールが終わり9ホールに移動する辺りでボールが残り少なくなり心配になる。その私の気持ちを見透かしたように、何処からともなくボール売りの少年少女が突如として現れる。勿論ロストボール売りだが、良くボールを見ると先程私が無くしたボールが入っている事があって、腹が立つ事も少なくない。

プレイしている最中にドリンクバーがあり、一休みしてライムジュースを飲んだ。清涼感があり美味しいライムジュース、いくら飲んでもトイレに行きたくなることがない。どうやら小水になる手前で全て汗になって発散してしまうらしい。

コロンボのコースで二つのコースがクロスして(跨いで)いるところがある。人はこれを「コミュニケーションコース」と呼んだ。イギリスのジェントルマンのスポーツらしく「クロスするときはお互いに譲り合い、挨拶を忘れず仲良くコミュニケーションしよう」という事らしい。そもそもこのような造りは危ないかもしれない。イギリスならではだろうが日本のコースでは先ず見たことが無かった。

11 打放し練習@ロイヤルコロンボゴルフクラブ


子供の頃から球技一般不得意だったが、コロンボに来たらゴルフを覚えようと思っていた。初めて打ち放し練習場に行ったのは学生の頃だったが、シューズを買ってまで練習したのは浜松常駐の時だった。そのシューズをコロンボで使う為持参したが結論から言えば無駄だった。
ゴルフ場は我々の住まいから比較的近い場所にあった。車で十数分程度だと思う。ここはスリランカでもっとも歴史あるゴルフ場で「ザ・ロイヤル・コロンボ・ゴルフクラブ」1879年の創業だ。

「ザ・ロイヤル・コロンボ・ゴルフクラブ」
http://www.rcgcsl.com/

私のような下っ端は先ず打放し練習場で練習する。打放し練習場と云っても日本のそれとは違いかなり原始的。

1:廻りを囲うネットが無い(敷地が広いので囲う必要がない)。
2:全て地面から打つ(そもそもたくさんの客が来るわけではないので二階席なんてものは作らない)。
3:ボールは持参しなければならない(つまり貸しボールは無い)。
4:ボールの回収は人海戦術(これがかなり面白い)。


ボールを忘れた場合はプロショップに行きロストボールを必要なだけ購入する。打放しに新しいボールは不要。ロストボールで十分。新しいボールは何故か紛失する。練習場に向かうと何処からともなく子供達が現れ囲まれる。彼らはボールの拾い屋さん(回収係)「僕を使ってくれ」と積極的だがかなりうるさい。拾い賃相場は平均して20¢/個程度(当時のレートで2円/個)

練習場に到着する前に拾い屋さんが決定する。練習場は案外広く、奥行きは百数十メートルはあり、雑草に近い芝が生え、正面奥は広葉樹林。打ち始めようとすると「コーチを雇え」と語りかける少年が現れる。コーチ代金は数十ルピーでどうという事はないが雇ってみると結構勉強になる。

打ち始めると練習場の奥の方に構えている拾い屋さんが拾ってくれる。打つ我々が下手だと拾い屋さんは右往左往して拾うことになる。その為彼らの拾うスピードに併せてこちらも打つ。ボールを実に器用に拾う。屈むことなく足の指ですくい上げ後ろ手に手の指に挟んでいく。目は次のボールを追っている。指と指の間に全て埋まり手の甲であと二つ、合計十個になると戻ってくる。「これで十個ね」という感じで確認し、再び練習場の奥に戻っていく。

コーチも口を出す事に余念がない。我々をなめきった目で見ながら「マスターヘッドアップ」と何度も言い腹が立つ。コーチは裸足で半ズボン真っ黒い顔をして「こんな奴にゴルフが分かるのか?」と思いがち。ところがとんでもないくらい彼らは上手なのだ。なめてはいけない。一度、あまりうるさいので腹が立ち「それならお前が打ってみろ」とクラブを持たせた事がある。そうしたら、ボールは二百五十ヤードは軽々跳び何処に落ちたのか分からなくなってしまった。実は彼らはキャディー助手を目指す、セミプロ級の腕を持つ連中なのだ。