表の家

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 つれづれ話の部屋
海外生活はたまらない 広州編21-25

25 ぬかるみの歩き方


雨雨、降れ降れ、母さんが♪ジャノメでお迎え嬉しいな

ピチピチ、チャプチャプ、ランランラン♪
(小学校唱歌より)

子供の頃は舗装してないところも少なくなかった。雨が降
ると水たまりが出来、どこからともなくアメンボーが現れ、道
がぬかるみズボンのふくらはぎが泥で汚れた。歩き方が下
手なのか気をつけて歩いてもそうなる。

ある時期からそういう事が少なくなった。別に歩き方が上手になった訳ではない。舗装した道路
が増えたからだ。故松本清市長が何らかの対談の中で曰く
松戸を日本一にしたい。僕は松戸の道路という道路を全て舗装したい。もしそうなっ
たら画期的だろう?そんな市は日本中探してもないはずだ……」


当時私は中学生。同級生の中でもそれが話題になるくらい大変な事だった。勿論故石橋與
市市長も松戸の道路舗装化については考えていただろうし、実際舗装化は進んでいた。た
だ、あそこまではっきりと宣言し我々に印象づけたという意味で故松本市長に軍配があがる。
舗装化以来、長靴を履く機会が無くなり裾も汚れにくくなった。長靴を履く機会がないどころ
か、そもそも長靴をここ数十年持っていない。

仕事で広州にいる。建築設計監理業務なので建設現場を歩く事になる。当然ながら建設
現場の中はぬかるみだらけだ。子供の頃からぬかるみを歩くのはそもそも下手だった。ゆっくり歩
いてもふくらはぎに泥が撥ね、革靴は泥だらけ。それがいやだから、大を漏らした子供のような
足を突っ張らせた歩き方になってしまう。それがどうも情けない。結局ホテルに帰ってから裾を拭
き、靴の外側を洗う。

24 海鮮料理屋とイエバエ


広州に限らず中国ではハエをたくさん見かける。昨日の海鮮料理屋にも写真のハエが見た。プライベートルームだったが少なくとも6匹はいた。外見から多分イエバエだろう。40年前夢の島で大発生したタイプと同様だと思う。海鮮料理屋なので仕方ないのかもしれない。イエバエがいるという事は、発生源である家畜や人の糞尿や生ゴミが晒されている環境が多いからなのであろう。イエバエはO157の媒介をすると言われている。

現在の日本の様にハエも住めないような状況が良いのか悪いのか何とも言えないが、どっちもどっちで、日本のようにあまりに過敏に清潔潔癖に走るというのもどうかと思う。そういえばあんなに部屋の中にたくさんハエがいたのに我々の食べ物には集らなかった。何故だろう?イエバエ達はみな、窓際で外を眺めていた。

23 広州の公安


再び広州にやってきた。時々暑さがぶり返すが日本はすでに秋の気候。そのつもりで広州に入ったがまだまだ暑かった。相変わらず昼夜ともに歓待でありがたいばかりだが胃がもたない。北方への出張と異なり白酒(パイチュウ)をガンガン薦められるわけでないので、まだ良いが、やはり油のきいた料理の連続では体にこたえる。

夕方、公安(中国の警察)が我々の事務所に来ていた。「我々の」と言っても施主の事務所だが……暫く何らかの打ち合わせをしていた。何の打合せかは知らない。中国の公安と言えば以前「泣く子も黙る」怖いイメージがあった。泥棒を捕まえて「公安を呼ぶぞ!」と言えば震え上がり大人しくなってしまうというのが相場だったらしい。

ところが本日見た公安の職員はニコニコして優しい。まさに「町のおまわりさん」だった。帰りがけの時間という事もあって事務所の女の子がパトカーをタクシー代わりにして帰って行った。信じられない。

「どうなっているの?」と事務所の事務の人に聞けば
「確かに公安と言えば昔は高圧的な存在でしたが最近は市民の為の警察に変わってきたんですよ」中国は思わぬところでどんどん変わっているようだ。

そういえば、権威主義的なイメージを持っていた空港の出入国や税関の係官が最近そうでもなくなっている。

22 中国の環境汚染


環境対策が常識になった昨今、いまだにJFEが海洋汚染を繰り返していたというニュースや石原産業が土壌埋め戻し材の不正処理で六価クロムを廃棄していたりで唖然とするばかり。汚染ははっきりとした形で明らかにされないと危機感を感じないのかもしれない。アスベストも過去現場の検査中吸っていたにちがいない。当時は危険だとは思っていなかった。

中国への出張は一月に一度弱ある。出張中は歓待されてありがたいけれど、毎日ではちょっと辟易気味という本音はすでに書いた。場所が変われば食も変わる。先日上海出張の際、大きな上海蟹を頂き「高いだろうなあ……」と思いつつ食べた。ありがとう。

長期滞在中に広州巡りをした。沙門を訪れると近くに川が流れていた。護岸はコンクリートで身近な川という感じではなく、水は汚れいかにもヘドロがたくさんといった印象。それにも増して臭い。昔の新坂川や隅田川並の臭いだった。全く廃水処理無しに海に流しているらしい。

素朴な疑問を感じた。
「こんなに汚染されていて、広州で海鮮料理など食べて大丈夫だろうか?」

この疑問は広州だけにとどまらない。中国全体の問題だと思う。果たして全土でどれだけ汚染度が進んでいるのか分からない。北京オリンピックに向け経済発展が目覚ましい。その反面犠牲にしている部分も大きいかもしれない。中国の四日市喘息、水俣病など起きない事を望む。

そういえば日本には中国産の魚介類が多いのだと聞く。安価なものは大抵、スーパーや回転寿司屋、チェーン店の居酒屋に出荷されるらしい。例えば赤貝は大連産が良く入るらしいが、採れる時はヘドロ混じりでとても食べ物とは思えない状態らしい。それを綺麗に洗って売る。大連は工業都市だ。それを考えると不安がよぎる。

そういえば今は無き松戸駅西口の回転寿司屋でトリ貝を食べたら、臭くてかなわなかった。通常の寿司屋で食べる生のトリガイとは雲泥の差。あれは種類が違っていたのか、それとも汚染されていたのか、今でも分からない。

上海で建築デザインをしている人に中国のアスベスト問題を聞いてみた。
「正直な話全く手つかずですね」

21 人間らしい生活とパソコン


再び広州に訪れた。前回の長期滞在程ではないが一週間を超える滞在だった。勿論パソコン持参だったが不覚にも電源ケーブルを忘れてしまい使い物にならない。結局荷物を重くするだけの存在になってしまった。東京におけるパソコンとにらめっこの毎日から解放され広州では二十数年前と変わらないパソコン無しの生活が続いた。

パソコン生活が当然になってしまっている日常において、突然、無パソコン生活に突入することは全く想像出来なかった。最初は非常に困った。ところが、いざ慣れてくると元々自分自身が持っていた人間らしい生活(大げさかな?)を取り戻したような気分に浸れた。

パソコンは文明の利器かもしれない。必要不可欠な道具だと思いがちだが案外そうでも無いということに気がつく。仕事で外地に行くと夕方6時頃までがっちり働き、夕飯はその後すぐに食べ、ホテルに到着するのは午後9時過ぎ、少し呑んだビールと一日の疲れで午後10時前には就寝。実に健康的な生活だ。

東京での勤務は午後9時過ぎは帰宅事件とは言えず宵の口でしかない。まだまだ働ける。そして一日中パソコンとにらめっこしている。11時〜12時過ぎに帰宅して、再び自分のパソコンを起動、場合によって午前一時頃までSNSのチェックをする。これは全く健康的ではない。

広州に来て折角人間らしい生活に戻ったのだから帰国しても維持したいと思うが、そうは問屋が卸さない。再び自分にとっての現実に戻っていく……