150 昭和39年の東京オリンピックの頃

オリンピック昔日の松戸
いらすとやさんのイラストです

松戸に住んでいるのに昭和39年の東京オリンピックを見にいかなかった

当時はまだ小2の頃で、同級生の中には東京オリンピックを見に行くと宣言している子もいたが、私にはそういう予定はなかった。母が自宅で自営業の飲食店を経営していたし、父は夜遅くまで働いていた。見に行こうという話題さえでなかった。ただ、後述するがペプシコーラのオリンピックフェアのポスターを見ると何となく行ってみたいという希望は持っていた。

京屋百貨店の社長によって東京オリンピックが見られた

オリンピック

Free-PhotosによるPixabayからの画像

東京オリンピック開催の1964(昭和39)年はまだ小学校二年生の時だったが、当時すでにカラーテレビの時代と言われた。テレビの時代(白黒テレビ)と言われたのは、1959年(昭和34年)の皇太子殿下の結婚式の時だと思う。ただ、1964年の頃一般家庭で白黒テレビさえ無い家も少なくなかったと思う。我が生家にもオリンピックの年はテレビはなかった。

ところが、松戸駅近くの京屋百貨店の社長が北部小学校の教室にテレビを寄付していただいた事で、学校でオリンピックを見る事が出来た。教室でどの競技を見たのかは覚えていないが、開会式は教室で見た記憶がある。聖火台に立つ人、飛行機が空に丸を描きオリンピックの五輪マークを象るなどだ。全部白黒映像だったが私の想像力には十分役立った。

ペプシコーラのキャンペーン

東京五輪キャンペーン

東京五輪キャンペーン1964年ペプシコーラ広告

それよりもテレビそのものが嬉しくて、すごいと思った。当時我が母は自宅の敷地の一部に軽食堂店を建て、営業していた。かき氷、やきそばの他、ペプシコーラも提供していた。当時ペプシコーラは王冠の裏にオリンピックのフィギャーが当たるくじがあり、その場で当たったのか或いは王冠を送るともらえたのかは定かではないが、そのフィギュアーが(多分見本だったかもしれないが)我がお店にも展示してあった。象牙色のフィギャーで良く出来たものだった。

東京五輪切手

五輪切手

五輪切手

また、当時切手収集が流行っていて、私も集めていた。最初の一枚は自宅に届いた封書からはがした使用済みの桜柄の普通切手で、その後も同じような使用済みの切手だけだった。それでも私は嬉しかったが、近所に住んでいた房総白浜出身のお兄さんが私を不憫に思ったのか、自分のコレクションの一部をストックブックも合わせて分けてくれた。

ある日を境に突然コレクションが豊富になってしまった訳だ。この中に東京オリンピックの菱形の競技切手が含まれていて、ストックブックに入れても安定しなかった。私は嬉しくて嬉しくて毎日眺めていたものだった。

同級生はオリンピックを見に行ったらしい

そういえば南花島に同級生の網谷君が住んでいた。彼は学校で喧嘩係をしていた。これは喧嘩の仲裁役なのだが、女の子にも人気があり、近所に住む同級生の女のに迫られ、何だと思って聞いたら「網谷君の家に一緒に遊びに行こう」だって・・・!それってなんかねえ・・・その網谷君はお父さんと一緒に東京オリンピックに行くと言っていた。

実際に行ったのかどうかははっきり覚えていないが、実に羨ましいと思った。後に、市川崑監督の製作した東京オリンピックの映画を見て、五輪の飛行機雲はあんなにも色鮮やかな青空に描かれていた事を知った。

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