54 竹ケ花と松戸米穀の倉庫

昔日の松戸

1963(昭和38)年の竹ケ花の様子

上は国土地理院の空中写真(1963年)をleafletで眺めたものです。左上の端に見えるのが松戸市立北部小学校。その横に流れる新坂川、その横に上から下左角に降りている長いラインが常磐線。その常磐線にクネッと曲がりながら交差しているのが旧水戸街道、クネッと曲がるところは竹ケ花の踏切。旧水戸街道に斜めに接続して写真下中央付近まで降りているのが松戸市道。

その松戸市道と常磐線の三角地帯に白く大きく見えるのが東葛土木事務所。東葛土木事務所の斜め上対面にあるのが松戸米穀の倉庫です。また、東葛土木事務所から道路を挟んで斜め右下が竹ケ湯で、たくさんの人が利用していました。この当時は東京オリンピック前年で小さい建物ばかり。北部小学校の周りも田畑が多いのが分かると思います。松戸市道は昭和33-4年頃に出来た通りで、市役所の完成に合わせて作られました。

古井戸と水の豊かな地区-竹ヶ花拾石台“でも述べましたが松戸市道が出来る前この倉庫周辺は砂採山の様になっていたと父から聞きました。画像をマウスで上下左右に動かす事が出来ますので、周囲の状況もどうか見てください。いかがでしょうか?

竹ケ花にあった松戸米穀倉庫

俵

いらすとやさんのイラスト

松戸市道の現在住宅が建ち並んでいるところには、つい最近まで松戸米穀倉庫があった。手持ちのアルバムを見ると少なくとも昭和三十年代初期には倉庫が写っている。この松戸米穀倉庫を近所では通称「倉庫」と言った。倉庫は二棟あり一棟が300m2くらいの大きさだった。

当初は大木さんご家族が住んで管理していた為、単に「大木さん」或いは「大木さんの倉庫」とも言った。大木さんは現在北松戸付近に倉庫を運営している様だ。敷地内には倉庫を管理する木造二階建ての建物があった。一階は事務所及び住まいとして使われ、二階には和室があり間借り出来た。

いわば木賃アパートという形か?ヨネノさんが倉庫側に住み、道路側には田中さん夫妻が住んでいた。田中さんのご主人は確かトラックの運転手をしていた。

道路側の木賃アパートには色々な人が間借りした

その後田中さんは引っ越して、道路側の部屋にFさんが住んだ。Fさんは幼い頃私の切手蒐集をいきなり豊富にしてくださった人だ。Fさんについてはいずれ改めて書きたい。木賃アパートは風呂無し、共同便所、流しも共同だったが、当時としては良くある形だったし、近くに竹ケ湯もあったので便利だった。昭和四十年代のフォークソングで、南こうせつの「神田川」がある。

三帖一間の下宿に住んで横町の風呂屋に行き、寒い中で赤い手ぬぐいをマフラーにして恋人が風呂から出てくるのを待っている場面があるが、これは当時としては普通の風景だった。

ページトップの写真:正面の大きな建物が倉庫。左に一部写っている建物が管理する人の住んでいた木造の建物。中央で長いタモ網を持っているのは私

コメント

タイトルとURLをコピーしました