81 住宅街にあったおでん屋さんー樋野口の谷口、根本の堀江食堂、そして“やきそば○ま○ろ”

おでん昔日の松戸
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おでんはどこでも手に入るようになった

現在`おでん`を食べたくなったら、コンビニにいけば用が足せる。スーパーに行けばレトルトパックのおでんもあるし、秋葉原名物おでん缶なんてのもある。おでんは冬というイメージはあるが、他にいくらでも魅力的な食べ物、お菓子がある昨今、子供がおでんに群がる光景はすでに過去の風景かもしれない。

かつて表の家では軽食堂を営業していた。
店名は“やきそば○ま○ろ”。

我が家のお店

我が家のお店、立っているのは母です

老若男女たくさん来ていた

夏はかき氷がメイン、冬になると焼きそば、おでんを提供した。当時、おでんの顧客は大人だけでなく子供も大切な対象だった。子供が立ち寄るおでん屋さんで有名なのは、北部小学校旧正門付近の堀江食堂のおでん、そして根本の川光物産裏手川向こうにある谷口さんの食堂(昔日の松戸を読んでくださる読者の方から平潟の千壇家旅館付近にもおでん屋さんがあったとのお話を伺ったが、残念ながら私は行った事がなかった)。

このふたつは比較的味が似ていて、濃い口醤油で甘い味付けだった。子供には味噌田楽が人気だったと思う。母によれば小根本の栄久さんのご主人は出前の途中で、表の家のおでんのつゆをいただきに来ていたとの話しをきいたことがあったっけ!又、山長そば屋の親父さんは出前の途中で我が食堂に現れ、おでんのつゆをいただいていったのだとか・・・

“やきそば○ま○ろ”のおでんの味は塩味でサッパリ系だった

甘いおでんが主流だった当時、表の家の軽食堂“やきそば○ま○ろ”のおでんは今にしてみれば大人向けの味で昆布ベースの塩味でさっぱり系、べとべとしていない。当時は珍しい味だったのではないかと思う。実際、塩味のおでんを覚えたくて母は東京のおでん屋さんに何度も通って食べたそうだ。今では塩味おでんの方が一般的で珍しくなくなった。

塩味だから子供への人気は無かったかと言えば、そうでもなく小学校下校時間になるとたくさん児童が集まってきた。近所の初田さんの次男さんは白ちくわが好きだったらしい。残念ながら私は白ちくわは駄目・・・

当時は人工着色した駄菓子屋の粉ジュースに夢中になったと同時に、塩味のおでんも好んで食べたと言うことは好奇心旺盛と同時に案外おませだったのかもしれない。或いは単なる食欲旺盛だったという事か・・・?

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