12 昭和、松戸にあった幼稚園、保育園。根本山吉祥寺横の根本保育園

根本保育園昔日の松戸
根本保育園

松戸駅周辺にあった幼稚園、保育園

第一次ベビーブームが昭和二十二年から二十四年頃で、第二次ベビーブームが昭和四十五年から四十九年頃であるとすれば私はその谷間に産まれた事になる。私が幼稚園に入る頃は第一次ベビーブームによって幼稚園の不足はなかったと思うが、はたしてどうだろうか?

中部小学校附属幼稚園は1919(大正8)年創立で歴史ある幼稚園(2009年廃園)、坂川沿い善照寺の裏の文華幼稚園、現イトーヨーカドー建設前には1950(昭和25)創立の聖ミカエル幼稚園があった(現在は松戸市立市民会館近くにある。又、1965(昭和40)年北部幼稚園が出来た。

私が作務衣や浴衣を購入した松戸駅西口の岡田屋さんのご主人は聖ミカエル幼稚園ご出身らしい。又、加藤履物店のかっちゃんは文華幼稚園と聞いた事があった。輝竜会館に行く時は必ず坂川沿いを歩いたが、その際文華幼稚園で園児が元気に遊ぶ姿が見られたものだった。

在りし日の根本保育園の園児たち

根本保育園

根本保育園

私は根本保育園で三年保育。根本山吉祥寺お墓北側にあった根本保育園に通うには、金山神社の境内を通り踏切を渡り、内山医院や納豆屋さんの路地を通る。根本保育園の土地は吉祥寺からの借地。南花島、根本、竹ヶ花に住んでいる友人の多くはこの根本保育園に通っていた。近所に住んでいるススムちゃん、南花島のミエちゃん(故人)、金山神社付近に住んでいたカズミちゃんは同級生。一年先輩として竹ヶ花の材木屋のソウちゃん、そしてシロちゃん等。

上の写真は根本保育園内で、下端左が実川くん、その右が長塚くん、長塚くんの背中で首を乗り出してこちらを見ているのがカズミちゃん、その上で舌をペロッと出しているのが、サワコちゃん・・・・ああ、きりがない。私もいるけれどさあ、どれが私かな?

保母さんは川村先生。とても綺麗な先生という思い出がある。当時、私はいたずらっ子で、この川村先生には相当面倒を掛けた。

学芸会はみものだった


ページトップ写真参照。一年に一度講堂で学芸会(お遊戯会)が催され父兄が参観する。演題は浦島太郎、金太郎、桃太郎のような物語。私はそもそも演技力など一切無く二年目までは端役で金太郎の熊役をやった。分相応である。 熊役は金太郎と相撲をとって投げられるだけの役、誰でも出来る。ただ、中には熊役であるのに関わらず主人公の金太郎を投げてしまう子も現れ、これが父兄の爆笑を呼ぶ。

ページトップの写真は金太郎が演じられまさにこれから相撲をとるところ。この中に私が熊役で出てます。分かるかな?演技力のない私だったが、流石に先生も三年目は桃太郎の主役を与えてくれた。桃太郎はそもそも材木屋のソウちゃんが演じた由緒正しき役。お遊戯会の花形。しかもソウちゃんは裕福な家庭なので特注衣装も持っていて特別に格好良い桃太郎だった。

私も桃太郎演じたよ

桃太郎

いらすとやのイラスト

私の三年目に材木屋のソウちゃんが卒業、その特注衣装をソウちゃんの家から借り受け桃太郎を演技することになった。端役の経験しかない私は腰巾着からキビ団子が中々出なくて両親や先生をハラハラさせた。

根本保育園はいつしか廃園。いつだったか、川村先生が家を訪ねてきた。見れば単なるおばさんに過ぎなかった。彼女は単なる保険の外交員になっていた。かつての教え子の家を勧誘して回っているのだろう。可哀そうだが保険の外交員は余程でない限り歓迎されない。先生の素敵なイメージが化石になってしまった!

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