2008年03月 の投稿ログ


645.金山神社の鬼  
名前:yuki    日付:3月14日(金) 20時47分
AK様
はじめまして。
すっかりお二人のお話にお邪魔するような形になってしまってスミマセン。
でも、愛する松戸の昔話に思いがけず参加させていただけてとても楽しいです♪

私の知ってる水元公園は整備された後のものだし、そういえば「21世紀の森」にもよく行きますが、あそこが以前どのようなところだったかなんて全く知りません。
新参者のような私ですが、こんな話はいかがでしょう?

題して「金山神社の鬼」
まだ平潟の方に住んでいたころなので多分3歳頃。近所の悪ガキの男の子と私と姉とではるばる金山神社まで来たことがあります。
3歳の足で子供だけで、かなり冒険だったと思います。
男の子はなかなか腕白な悪ガキだったので、ずいぶん無茶をして3人で神社の裏側まで回ってみました。
今のようにきれいじゃなかったと思います。草が子供の腰くらいまで生えていたと思います。
突然姉が「あぁっ!!鬼だーっ!!!」と叫んだので3人で一目散に逃げ出しました。
逃げる途中、行き先も知らないはずの母が、母親の感でしょうか、線路のあたりまで探しに来ていたところに遭遇して更にびっくり!!
私自身は鬼を見ていません。姉と男の子は見たそうです。
ちなみに姉はその手の話にあまり敏感ではないはずなのになぜか結構経験してるんですよね。
どちらかというと私の方が体質的に見えてもよさそうなのに…。
もしかして、ただの見間違いとかだったのかもしれないけど、それにしても金山神社の鬼ですよ!?見たかったなぁ、、、残念、悔しいですっ!!!

表の家さん、金山神社についても調べていらっしゃるようなので、もし他にも鬼の話が出てきたら教えてくださいね。



646.Re: 金山神社の鬼
名前:AK    日付:3月15日(土) 0時7分
yukiさん、こんばんわ

長○君、本当に懐かしい。一気に北部小学校のことを思い出しましたよ。貴女が提供された写真、しかと拝見させていただきました。文房具屋さんもなくなりましたね。校門出て新坂川の橋の手前で、型に土を入れる露天商や何やとよく出ていたのを覚えています。

金山神社ですが、残念ながら通りすがるだけで、一度も入ったことがありません。金山神社に、鬼が生息していたのでしょう。ないとは断言できませんから。霊感?については、幼いころの体験したことを、機会があれば、お話したいと思います。金山神社に関しては、表の家さんが詳しいと思います。そういえば、あの前にあったカネコ種苗さんもなくなりました。父が生前感心していました。どんな種でもまず揃えてあると。

神社といえば、先日も表の家さんにお聞きしたのですが、市役所の裏?奈良屋の手前?にあった長く続く医師団と鳥居の神社が妙に懐かしく記憶に残っています。頂上には、池がありたくさん亀がいました。あれはどこだったのかなぁ〜。

中学は六中でしたが、毎年冬にマラソン大会がありました。コースは校門から松戸市立病院の前の坂を下って戻るものでした。中3からスタートし、中2、中1と10分程度沖に、一斉スタートしました。今では信じてもらえないでしょうが、鬱蒼とした森で、なんと途中に水戸黄門に出てくるような「茶屋」がありました。駄菓屋ではありません、茶屋です^^。中学3年のとき、そこでわれわれは一服し、お菓子を食べたり飲んだりして。学校に戻ったら、すでに終了していました。朝礼台に立たされ謝罪させられた挙句、担任等の暖かいご指導で高校入試直前まで、罰として毎朝授業前に走らされました。あの千駄堀の森も、茶屋も今はありません。八景園という大きなへら鮒の釣堀もありません。なんか、人の手が加えられていない神秘的な雰囲気がありましたね。21世紀の森も、流山運動公園のように人手を加えるのは必要最小限にとどめ、自然の景観を生かしてほしかったですね。

金山神社の件は表の家さんにお任せします^^


648.Re: 金山神社の鬼
名前:表の家    日付:3月15日(土) 6時54分
Yukiさん、AKさん、こんにちは!
金山神社の鬼のお話はとても興味深く読ませて頂きました。
結論から申し上げますと、鬼の話は知りませんでした。
ただ、金山神社の裏側の道というのは獣道に近い状態で、特に数年前の線路側斜面林の伐採以前は、今よりもっと薄暗くてタヌキやキツネに化かされる事もあり得るような場所だったと思います。
私が産まれる以前の金山様の森は市役所や神明神社岩山稲荷などが一体になった鬱蒼とした山だったそうです。
現在の土屋家具の先タクシー会社の隣に池田弁天があります。
赤い鳥居がいくつも並んでいるのが特徴の場所です。
ここにまつわる怖い言い伝えなら、曾祖母から聞いたことがあります。その怖い言い伝えが為に「絶対に鳥居をくぐるな、あそこで遊ぶな」と常々言われ、池田弁天の境内には(確か!?)入ったことがありません。多分昔日の松戸で書いても驚くような内容では無いと思いますが、書いてしまうと早死にしそうな気がしていつもためらいます。
たたりが怖い。
あそこが強烈に霊感の強い場所らしいというのは岩瀬の某地主の方からも聞いたことがあります。

>市役所の裏?奈良屋の手前?にあった長く続く医師団(石段?)と鳥居の神社
先日のお話では「奈良屋付近で赤い鳥居が並んでいてそこをくぐりながら、石段を登るとそこに池があり、亀が泳いでいた」とのお話でしたが、元奈良屋付近で赤い鳥居が並んでいるのは池田弁天様だけです。ただし、平地であり鳥居と石段が一体ではない。
しかしながら、元々あの廻りは区画整理以前(昭和30年代)までは大きな水田や池のある場所で(それで多分、字池田で池田弁天というのでしょうけど)AKさんの越して来た頃、池田様廻りに点在する小さな池が残っていたのかもしれません。
同時に、市役所議会棟が出来る以前、池田様の赤い鳥居の正面側に市役所の台地に上る階段があって、その上で遊んだ記憶があります。
それぞれ違う場所にあったもの、つまり赤い鳥居+石段+池がミックスされたイメージとして記憶の中に残ってしまったのではないか?と思うのですがいかがでしょうか?
http://omotenouchi.jp/frame.htm


650.Re: 金山神社の鬼
名前:yuki    日付:3月16日(日) 20時21分
表の家さん、AKさん、こんばんは。
コメントありがとうございます。
「そんなアホな話…」と一笑に付されたらどうしよう???と一抹の不安を抱えつつの投稿でしたが、お二人のコメントを読んで嬉しくなりました。
AKさんの幼い頃の不思議なお話もいつか聞かせていただきたいです。

池田弁天というのは、確かにあの辺りで異彩を放っていますよね。
以前の職場で偶然、中学生まで金山神社の麓に住んでいたという方がいました。年齢的にはかなり上の方だったのであまり共通の地元話もできなかったのですが、表の家さんの書き込みを読んで、その方は金山神社と池田弁天が遊び場だったと言っていたのを思い出しました。
教えてあげたら驚くだろうなぁ、、、

松戸にも民話や昔からの言い伝えなどがあるはずですよね。
そんなのも追々発掘していけたらいいですね。


651.池田弁天の鳥居:訂正
名前:表の家    日付:3月16日(日) 21時14分
Original Size: 1600 x 1200, 172KB

神社、鎮守の森は本来畏れ多い場所、聖なる場所。
見えないものが見えてくる場所、或いは本当に神様や鬼が居るのかもしれない。そういう場所なのかもしれません。
私は金山神社が大好きで子供の頃から数えれば何百回も行っている筈です。お祭りの夜店も嘗ては賑やかだったのですが、現在、金山神社にまで夜店を並べる人もいないらしい。

本日池田弁天を歩いてきました。
私は赤い鳥居が並んでいるのが特徴と書きましたが、あれは勘違いだったようです。経年で色が落ちたとも思えません。一本もそれらしいのがありませんでした。
改めて訂正致します。
失礼しました。

となると赤い鳥居が並んでいるのは果たして何処だったのか?
yukiさん同様、AKさんも霊感があるのでは?
http://omotenouchi.jp/frame.htm



658.Re: 金山神社の鬼
名前:AK    日付:3月17日(月) 1時15分
yukiさん、表の家さんこんばんわ

yukiさん
信じていただけないでしょうがね私が経験した不思議なことをいつか書かせていただきます。まあ、期待していたのにたいしたことないなぁ〜と、一笑に付されるかもしれませんが。富士山といえば、北松戸駅前の福岡書店のビルの最上階にあった「岡野歯科」から、夕焼けに染まった真っ赤な富士山が拝めました。江戸川の土手も見えたような記憶があります。

表の家さん
私が子供のころに行った、まぶたに焼き付いているのは、くねくねと長い石段が赤い鳥居と共に続き、その頂上に大きな池があったという光景です。そして池にはたくさん亀がいた。やはり勘違いだったのでしょうか。とはいえ、なんとも名状し難い胸が「はらはら」すうーすうーするような感じがしたことは鮮明に記憶しています。

昨日NHKで歌番組を放送していましたが、ふっと夏川利身が頭をよぎり、先ほど聴きました。浜離宮ライブ版。「花」を聴いていると。何かが心に染み渡りジーンとしてきました。おかげさまで清清しい気持ちに慣れました。mietonさんのHPの写真は素晴らしい。水戸に行きたくなりましたよ^^


659.Re: 金山神社の鬼
名前:表の家    日付:3月17日(月) 7時16分
AKさんへ

>夏川
古謝美佐子 の`童神`なんてのも良い曲です。
機会があったらCDを見て下さい。多分AKさん好みです。

赤い鳥居+石段+池+たくさんの亀
これは謎ですね。暫く調べてみましょう。

>mietonさんのHPの写真
良い写真をとるよね!mietonさんのページはブログ形式になっているのでそれぞれの写真にコメントしてあげると喜ぶと思うよ。
http://omotenouchi.jp/frame.htm


661.Re: 金山神社の鬼
名前:表の家    日付:3月17日(月) 18時58分
池田弁天の鳥居が以前は赤かったのかどうか、再調査しないといけないと思いますが、さて、AKさんのかねてからの疑問である‘赤い鳥居、石段、竹やぶ、池、亀‘の存在の事なのですが、どうしても良く分からない。
ただ、私もあの界隈で池&亀というのはおぼろげながら記憶がある。
同時に子供の頃はもしかすると奈良屋横の新京成電鉄が単線で線路際を駅方面に歩く人も多かった。
又、今の議会棟のところは以前空き地のようになっていて、角エビの方まで簡単に行けた様に思う(確かではない)。
つまり子供の頃歩いた所は現在ある道から想像できないところを歩いていた可能性も否定出来ないという訳です。
従って、岩山稲荷は現在一見遠い場所ですが、以前は簡単にいける場所だったので、もしかするとAKさんの思い出は岩山稲荷だったかも???とも思ってます。
ただ、岩山稲荷頂上に亀の居る池があったかどうか、記憶があいまいで覚えてません。
http://omotenouchi.jp/frame.htm


662.Re: 金山神社の鬼
名前:AK    日付:3月17日(月) 22時33分
表の家さん
まことに申し訳ないですが、どうしても場所が特定できません。私の頭にあるのは、長い石段と赤い鳥居、頂上にお賽銭箱と池、、無数の亀、そしてその周辺が竹やぶだったということだけです。
表の家さんが指摘されたとおり、議会等建設の際、転居したかもしれませんね。あっ、それと鳥居の脇にのぼりというか旗が立っていたような記憶があります。

yukiさん
例の不思議な体験については、週末にでも投稿させてもらいますね。それと小根本に長く住んでいる橋○君は、松戸市役所の税務課に今でもいるそうです。彼は、1中出身です。


663.Re: 金山神社の鬼
名前:表の家    日付:3月17日(月) 22時56分
AKさんへ

>転居

いえ、転居とは取り合えず考えてません。
神社、仏閣等の転居は非常に目立ちますし、理由と歴史が残る行為です。
板碑程度のものでしたら遷座、合祀もありますが、鳥居があって石段があって亀の居る池があったとなれば、仮に遷座させたとしたら何らかの文献で分かるはずです。
歴史的にはあの周りに今でも残っているのは金山神社、神明神社、岩山稲荷、池田弁天ですが、
昭和30年代の地図を見てもそれ以外の社が見当たらない。
となると上に上げたうちの一つだった可能性は否定出来ません。

仮定:AKさんが登ったのは岩山稲荷だったかもしれない。

岩山稲荷は現在は角エビの横から登りますので、元奈良屋から近い場所という条件には一見して当たらないように感じます。イメージ的にも離れているように感じます。
然し、我々の子供の頃は新京成は単線で線路際を人が歩いており、奈良屋のところから簡単に岩山稲荷の方面に行けました。
線路でなくても、奈良屋裏の台地(現在議会棟)のところは原っぱになっていて、確かそこを通過すれば簡単に岩山稲荷に行けた(と思う)。
岩山稲荷の鳥居は赤い。石段を登るようになっている。竹やぶで囲まれていた可能性も高い場所です。
残るは池の存在であり、これが確認できれば、岩山稲荷に登ったという可能性が高いのではないだろうか?と推測している訳です。
岩山稲荷の後ろが元々どういう状態だったのか、今は住宅が迫っているかもしれませんが、40年前はもしかすると池があったかもしれません。

という仮定を考えていた訳です。
あくまで想像ですので間違っているかもしれません。
こういうのは地図で考えると案外答えが出るものなんですがね・・・
http://omotenouchi.jp/frame.htm


664.Re: 金山神社の鬼
名前:表の家    日付:3月18日(火) 12時44分
吉祥寺の御住職にでも聞いてみようかな・・・!
http://omotenouchi.jp/frame.htm


668.Re: 金山神社の鬼
名前:AK    日付:3月22日(土) 11時26分
yukiさん、表の家さん、こんにちは

大したことなかったなぁ〜と一笑に付されることだろうと思いますが、一応約束したことなので記させていただきます。

1.小学生の頃でしたが、下校途中橋のふもとで、なん奇妙なな感じがして、大きな石をのけて見ますと、1000円札がありました。

2.中学生の頃、夏疲れて昼間寝ていますと、なんか気分が重いといいますか、嫌な感じがしてきました。しばらくして蛍光灯から光線が発して、押入れのふすまに当り、それが反射して私の体に向かってきて、しばらくしびれて動けなくなりました。

3.高校生の頃、UFOがテレビなどのマスコミを通じてブームになりましたが、私も試しに毎晩「円盤よ、来たれ」と空に向かって、念じていました。すると、真夜中に2階の私が寝ている部屋の前にあるベランダで人の気配を感じ、雨戸をたたく音がしてました。怖くてしばらくじっとしていました。その後、気配がしなくなったので、あわてて妹に話、一緒に雨戸を開けてみました。すると、前の畑にあるマンションの屋上に、小さいきらきら光る人間のような形をしたものが、歩いているではありませんか。妹と一緒に見たので、錯覚ではありません。そうこうじっと見ていると、平べったいものがふわふわと空に浮かんでいて、屋上に降りました。そして、小さな人が、何人もその中に入っていきました。この日をを契機に、頻繁に空中に浮かんでいるのを見ました。

4.やはり高校生の頃ですが、金縛りは何回も経験していた。通常は、じっと我慢して時が過ぎるのを待っていたのですが、あるとき上に乗っかられているのがうっとおしくなって、身動きできないながらも必死になってもがいていますと、なにやら口の中に入ってきました。もごもごと。本当に気分が悪かった。

5.大学生の頃ですが、何かのきっかけで「人の心は読める」」「人の心を見つめる」との思いがしまして、時たまそのように念じていました。千代田線に乗っているとき、たまたま若い女性が乗ってきました。その女性が、向かいの席に座りましたが、私が「心の中を見つめる」「心の中を抉り取る」と念じていますと、その女性の顔が鬼のような鋭い形相に転じたのです。見えたのです。信じられませんが事実です。怖くなって、念をとくと、また元の若々しい普通の女性の顔に戻りました。それ以降、恐ろしくなって、念じるのはやらなくなりました。錯覚ではない確かに顔の形相が変わりました。目が釣りあがり、髪の毛が逆立ち、牙を剥き出した鋭い顔に。

何か気のせいだろうと言われればそれまでです。幻想が脳に生じ、それが脳の中で何かの作用をしたのだろうと買い割れればそれまでです。証明も再現もできませんから。もうひとつ、私のことではありませんが、高校時代の同級生が、透視ができました。常態としてではありませんが、体調がいいというか、なんと言うか、「おっ、きた」とか言った後、隣の教室の様子、私のかばんの中、はるか離れた体育館の様子・・・アトランダムに私たちが訪ねると、即座に答えました。隠れて文字を書いてたずねると、ずばり当たっていました。今想起すると、あれはみんなが妄想の中にいたのではないか、すべて大いなる幻想、錯覚だったのではないかとも思います。ちなみに彼は、ごく普通のサラリーマンをしていますが、今はそのようなことはできないそうです。

以上、とりとめもない話を長々と書き込んで失礼しました。


671.Re: 金山神社の鬼
名前:表の家    日付:3月25日(火) 11時6分
AKさん、
興味深いお話ありがとうございます。
初耳の話ばかりで驚きました。
特にNo.5の電車で正面に座った女性に念を掛けて、怖い形相になったというのは何となく古賀信一の漫画を思い出してしまい、怖くなりましたヨ
この超能力が今でもあれば、怖い物無し・・・という感じがしますが!
でも悪用はいけないよね
http://omotenouchi.jp/frame.htm


672.Re: 金山神社の鬼
名前:yuki    日付:3月25日(火) 20時45分
AK様、貴重なお話をありがとうございます。
たくさん経験してらっしゃるのですねぇ〜、、、うらやましいです。
この手の話って一人きりで体験すると「気のせい」と済ませて怖さを紛らすこともできる反面、「気のせい」で済まされてしまう淋しさもありますよね。
その点、自分以外の誰かが一緒だと「本当の事」として確認しあえるのが心強いし嬉しいですよね。
最後の透視のお話なんかは特にゾクゾクしますね。
それにしても、表の家さんの「古賀信一の漫画」は笑った!
「黒井ミサ」の顔が一瞬で浮かびました。

表の家さん、
吉祥寺の住職さんに確認することはできたのでしょうか?こちらも気になります。

金山神社、セブンイレブンの交差点あたりから見ると鳥が羽ばたく形に見えるのは私だけでしょうか?なんか鳳凰みたいでかっこいいです。


673.Re: 金山神社の鬼
名前:表の家    日付:3月26日(水) 12時50分
>「黒井ミサ」の顔が
そそそ、それと呪われた女の子が人形を飲み込む場面等もあったでしょ・・・!
あ〜思い出しただけで寒気がするぅ〜

>吉祥寺の住職さんに確認することはできたのでしょうか?
う〜ん!いつになるやら・・・以前‘消えた踏切‘を調査中、たまたまご住職と立ち話をした事がある程度なので、境内で偶然お会いできたら・・・と思ってます。

>金山神社、セブンイレブンの交差点あたりから見ると鳥が羽ばた
ん?それは初耳、今度確かめてみます
http://omotenouchi.jp/frame.htm


675.Re: 金山神社の鬼
名前:AK    日付:3月26日(水) 18時58分
すみません。間違えてしまいました。
yukiさん、表の家さん、こんにちわ
すべて幻想だったのかもしれません。
なぜならば、あれ以降同じ現象は起こりませんから。
あっ、話しはそれますがyukiさん、、MietonさんのHP一度いかれたらいかがですか。すばらしい写真の宝庫ですよー


676.Re: 金山神社の鬼
名前:表の家    日付:3月27日(木) 7時8分
Original Size: 1000 x 667, 51KB

>セブンイレブンの交差点あたりから見ると鳥が羽ばたく形

この角度ですか?
森全体?
それとも一つだけ飛び出しているクロマツかな?
http://omotenouchi.jp/frame.htm



677.Re: 金山神社の鬼
名前:yuki    日付:3月27日(木) 20時20分
そうです。この角度です。
森全体を見て、真中が頭でこの鳥自身が右上を見ています。両脇が左右それぞれの翼のはずなんですが、、、
こうして改めて写真で見るとそうでもないです。正直「あれっ!?」って思いました。
たぶん私が最初に認識した時はこれほど木が育っていなかったのだと思います。私の中では「火の鳥」の姿のまま共に歳月を過ごしてきたはずなのですが、いつの間にか変化していたのですねぇ。
それに以前は手前の3階建てがなかったので交差点からズバリ!「火の鳥」を拝むことができたんです。
う〜ん、、、判定は微妙なところですが、やはり私にとっては永遠に「火の鳥」ということで一人勝手に心の中でひれ伏し続けます。。。


678.Re: 金山神社の鬼
名前:表の家    日付:3月28日(金) 6時49分
yukiさんへ
金山神社の見え方は季節や時間帯でずいぶんと見え方が異なるかもしれません。上の写真は去年の11月4日午後3時50分撮影です。
鎮守の森なので常緑広葉樹が多いのですが、ところどころ落葉広葉樹(例えばムクノキ、ケヤキ)やイチョウなども混じり、さらに落葉(或いは落葉後)の季節であり何となく全体に冴えないイメージに見えるかもしれません。
これを4月以降の新緑の季節に午前中或いは南中している時に見ると鳥に見えるかもしれません。
もうすぐ新緑の季節に入るので時々観察してみましょう!!

ところで手前の三階建てが無い頃というと`かねこタネ屋`の不思議な建物のあった頃?
http://omotenouchi.jp/frame.htm


679.Re: 金山神社の鬼
名前:yuki    日付:3月31日(月) 20時23分
表の家さん、こんばんは。
「かねこタネ屋」さん覚えてます。あの時代、この地域では珍しいハイソな香り漂う大豪邸でしたよね。
表通りに面した2階に卓球台があったのに憧れて、早速親に卓球ラケットを買ってもらってテーブルでやってました。
大人になってからは、犬を散歩させてる奥様(若奥様?)と時々お会いしました。
奇麗な奥様と、可愛くてお利口さんの犬。
お金持ちの家では犬まで品がいいんだなぁ、と思ったりしました。

669.フキノトウを食べたのはワンちゃんでしょうか?  
名前:らーめん77    日付:3月25日(火) 0時8分
2枚目の問いかけがイイ感じですねえ。
私の幼稚園時代の通園の途中に、庭中タンポポが咲いている家があって、似たような張り紙がされていました。
「タンポポは、雑草なのか?観葉植物なのか?」という哲学的命題を幼稚園児につきつけてくれました。友達の間で話題になりました。
ガキはこういうの心奪われるんですよ、へたくそな絵の看板とか・・

こういう人にこそ、インターネットがうってつけ!て思うのですが、実際、自分で購入した電子辞書の操作法がわからなくなっている家人を見ると・・・「機会均等」とは残酷な言葉だ。(シリアスになってしまった)



670.Re: フキノトウを食べたのはワンちゃんでしょうか?
名前:表の家    日付:3月25日(火) 5時29分
>ガキはこういうの心奪われるんですよ、へたくそな絵の看板とか・・

言えますね。
私も童心に返ってグッとなってしまいました。

立ち止まって読まないと見ずらく、しかも表現が間接的過ぎて一度では理解できない。結果何度も見てしまう。
繰り返し見るうちに心奪われるという感じがします。

私はこのOさんの秀作を表彰してあげたい。
そして次作を密かに期待してます。
http://omotenouchi.jp/frame.htm

667.中国の青島に行きます  
名前:表の家    日付:3月19日(水) 3時35分
出張で19日から二泊三日で青島に行きます。
大変です。
http://omotenouchi.jp/frame.htm

665.堆肥の季節 & 昭和49年の北部小学校付近  
名前:らーめん77    日付:3月18日(火) 22時50分
>大変`良い`香りがする。
>堆肥である。

高校まで自転車で通っていたのですが、途中(和名ヶ谷)にありました。
「`良い`香り」ですか・・うーーん・・・どうでしょう?
雨が降ると湯気の量が増えた気がします。発酵してるんでしょうか?
(詳細不明)
帰りは、松戸ラドン温泉の谷津の反対側の急坂を登っていたのですが、坂の脇が養豚場で、ちょうど息が上がっているタイミングで養豚場の前を通過するので、これも何ともたまりませんでした。
坂を上がりきると畑が広がっていて、件の堆肥と肥だめがあったっけ。

その付近の畑の広がりは今も健在ですが、堆肥、肥だめ、養豚場は、いつの間にかなくなりました。

●北部小学校
全く同じ年の相模台小学校にもプレハブがありました。北部小学校の写真に写っている5棟のプレハブの内、右下の白っぽいものと同じだったと思います。建築現場にあるような壁面の質感の。
もっとも、プレハブが建ったのは、児童の数の急増のせいではなくて、木造校舎を壊して鉄筋に建て替えるという理由でしたが。

それよりも不思議だったのは、昭和34年創立の相模台小の木造校舎が昭和40年代の時点で、妙にボロかったこと。終戦直後の米軍の航空写真には、相模台小の敷地に何も写っていないから、兵舎の流用ではないみたいだし、余所から移動してくるにしては、異動元が見当もつかないし、そもそも屋根がスレートで兵舎ぽくないし。
未だに、謎が解けていません。
校舎がどれくらいボロかったかというと、6年生の時、友達を肩車して廊下を走っていて、床を踏み抜きました。
この謎の件については、今の内に当時を知る人を当たっておかないと、取り返しが付かなくなる事項だったりして・・
http://www1.ocn.ne.jp/~t1964/



666.Re: 堆肥の季節 & 昭和49年の北部小学校付近
名前:表の家    日付:3月19日(水) 3時34分
ラーメン77さんコメントありがとう

>>大変`良い`香りがする
>>うーーん・・・どうでしょう?

田舎の香水ですのでその辺はテキトーに捉えて下さいな!
そういえばここで良く発言してくれるAKさんと現代の和名ヶ谷を
歩いたときに「随分変わったぁ」と言ってましたっけ・・・

>相模台小学校
最初からぼろかったというのは松戸の七不思議にあたいしますね。
工兵学校の一部が使われたというのなら分かりますが、米軍の空中写真にも写っていないとなると確かに不思議だなあ・・・
相模台小学校の友達というのは殆どいないので聞きようがないというのが正直な所です。
誰かいないかなあ・・・
興味深いお話ありがと!!
http://omotenouchi.jp/frame.htm

652.(untitled)  
名前:yuki    日付:3月16日(日) 21時53分
えっっっ!?
赤い鳥居ないんですか???
私の記憶ではずらっと並んだ赤い鳥居があったような。今でも写真のように記憶に残っているし、1年以内にはあそこを歩いているはずだし、、、
でも、確かに表の家さんの写真には「赤い鳥居」ないですね。
おかしいなぁ。。。
鳥居だから「赤」と勝手に思い込んでいただけなのでしょうか?

金山神社の夜店、なんとなく覚えてます。
今はお祭りのお神輿と、大晦日から元旦にかけての初詣に行くくらいですね。今年の元旦には神社の一番上から富士山が見えました。
昔は北部小の3階からも見えたんですよね。富士山。
富士山の見える場所も少なくなりましたねぇ。
あと小学生の頃、根本の自宅の2階、2段ベッドの上からニューオータニの展望レストランが見えて、10:04に電気が消えるのを頑張って起きて見てたことを覚えてます。
だんだんと「松戸に空はない」になるのでしょうか…。



653.ごめんなさい
名前:yuki    日付:3月16日(日) 21時55分
下の話題につなげるつもりがぶった切ってしまいました。スミマセン。


654.続:金山神社の鬼
名前:表の家    日付:3月16日(日) 22時16分
>だんだんと「松戸に空はない」になるのでしょうか…

智恵子もびっくり松戸の空!
天国から松戸には街がないと言われないようにしないと・・・
富士山は北部小の三階から見えましたっけ?

後で、松戸ニューオータニの回転レストランインテリア写真の在処をお知らせします。
秘密の場所です。検索しても出てきませんよ。
http://omotenouchi.jp/frame.htm


657.Re: (untitled)
名前:yuki    日付:3月16日(日) 22時46分
お写真ありがとうございます。

うわぁ、、、懐かしいです!!
この展望レストラン、開店してすぐの頃、物珍しさで母と姉と3人で行ってみたことがあります。当時の値段でいくらだったか忘れましたが、コーヒー1杯で今の1000円くらいの感覚だったのではないかと思います。
3人で顔を見合せて一番安いコーヒーとか紅茶とかだけ飲んで早々に出てきたのを覚えています。
景色を楽しむ余裕はなかったような。。。
結婚式場というか宴会場には友人の結婚式の2次会とかで何度か行きましたが、この辺りではお安いところとして使っていたように思います。

北部小の富士山はもしかして4階建ての校舎だったかもしれません。
部活でめずらしく真っ暗になるまで練習されられた日があり、「こんな暗くて帰り怖いなぁ」なんて外を見たら、夕焼けの富士山のシルエット。心細くて悲しくなった…という記憶があります。


660.良かった!!
名前:表の家    日付:3月17日(月) 8時24分
喜んで頂いてなによりです。
椅子のデザインも随分古いのですけどね・・・
今はスパンカというレストラン名で東口伊東楽器店前、聖徳短大生涯学習館の最上階にあります。行ったことがありますか?私はまだない。
学校のある日に営業を合わせているので日曜日には営業していないと聞きましたけどね。
http://omotenouchi.jp/frame.htm

655.ご無沙汰してます(汗)  
名前:早紀    日付:3月16日(日) 22時22分
某SNSに久しぶりにログインして、足跡残していただいてたので、こちらにも久しぶりにお邪魔します。

SNSは、すっかりmixiメインに活動しているのですが、やっぱりログは残しておきたいので、放置プレイ状態です。mixiネームは、理華子で出ています。

ひょっとしたら、今年初めてのご挨拶かもしれないので、恐る恐る書き込みしています。
遅ればせながら、今年もよろしくお願いします。



656.Re: ご無沙汰してます(汗)
名前:表の家    日付:3月16日(日) 22時28分
早紀どの!
お久しぶりです。私もあの某SNSは殆ど行ってません。
お友達も殆ど日記を付けてませんしね・・・とほほ

最近、松戸在住の友人たちがmixiに参加したら?とのお誘いに
つい数週間前に登録しました。
でもあまり日記を書いてませんけどね。

私のmixiのHNは道草亭ぺんぺん草です。
よろしくね。
http://omotenouchi.jp/frame.htm

642.飲み屋あれこれー松戸は楽し  
名前:AK    日付:3月14日(金) 1時26分
昔日の松戸に書き込んでいる過程で、表の家さんと飲んだお店を、記憶がある限り、列挙したいという衝動に駆られました。
【西口】
大都会、治平、魚仙、田中屋(蕎麦屋ですが冷酒をよく飲んだので)、ルンルン、リド、名前を忘れたがダイエー近くのバー、新屋、三益屋、八の日が安い樋之口の飲み屋さん、京成車庫前のスナック、一休、松北堂並びの居酒屋、伊勢丹10階のしゃぶしゃぶ、ニュー大谷の回転レストラン、まだあると思いますが、思い出せません。
【東口】
庄屋、風俗ビルの奥にあったバー、韓国民族飲み屋?焼き鳥屋、公民館の近くの居酒屋、まだあると思いますが、思い出せません。

それにしても、よく飲んだものですね(笑い)



643.Re: 飲み屋あれこれー松戸は楽し
名前:表の家    日付:3月14日(金) 12時36分
AKさん懐かしいですね。
実に色々な店に行きました。
さて、ちょっとコメント:
【西口】
>魚仙
魚仙は知りません。これは魚処吉泉の事?

>名前を忘れたがダイエー近くのバー
リドと同じ時期だとすれば多分‘シャラント‘に間違いないと思います。
‘のみ屋あれこれ‘の記述どおり、‘シャラント‘があった当時、2階にはハワイチェーンがあった。この‘シャラント‘とハワイが店をたたんだ後にルンルンが入って商売を始めた。AKさんとはこのお店の変遷を跨いで共有した事になりますね。

>八の日が安い樋之口の飲み屋さん
これは何処だか覚えていない。大衆割烹吉野、やぐちおでん屋近くの店?

>京成車庫前のスナック
旧伊呂波店舗の隣の店ですね。スナックアラビアンだったかな?私は一度行っただけで、それっきりでした。元市会議員のKさんの事が話題になりましたね。

【東口】
>風俗ビルの奥にあったバー
これは当時のマザーグースの店舗です。非常に入りにくいビルでしたが、このマザーグース二階店舗は落ち着いた、隠れ家的な店でよく利用しました。
ダイニングバーという雰囲気でしたので、バーというイメージで覚えていらっしゃるのでは?現在は隣のビジネスホテルのビル1階で季節料理屋マザーグースとして営業。

>韓国民族飲み屋?
これは‘カズちゃん‘です。当時、韓国料理を出す居酒屋はここくらいのもので、松戸駅付近においては珍しい店でした。上に社会党の事務所の看板があった篠崎ビルの一階です。
現在も‘カズちゃん‘と同名の店が同所にありますが、これは店主が二代変わり当時の店主とは違います。当時の店主は別の場所で‘だいこん‘という店を営業してます。
先にAKさんが述べた‘風俗ビルの奥にあったバー‘のビル二階にあります。
この店は3月末閉店し店主は韓国に帰るそうです。
一度、マッコリにケジャン(カニ肉の辛みそ和え)で一杯やりませんか?
(ただし、ケジャンは生ものなので2日前に予約が必要)

>焼き鳥屋
東口のヤキトリ屋というのは何処の事なのか記憶無しです。
ただ、魚処吉泉に良く通っていた当時、約三年前‘アホウドリ‘という店には何度かいった事があります。若い店主と若い奥さんの二人で頑張っている店です。
そこの事でしょうか?

>公民館の近くの居酒屋
これは記憶無し。公民館近くのラーメン屋に誘われて、結局いきつけなかったというのはあったけど。
http://omotenouchi.jp/frame.htm


647.Re: 飲み屋あれこれー松戸は楽し
名前:AK    日付:3月15日(土) 0時23分
1. 魚仙ではなく、吉泉でした。

2. シャランドだと思います。

3. やぐちおでん屋の前のお店です。

4. スナックなんとかでした。

みますやで思い出しましたが、北部小学校近くの小便横丁の道路の両側にあった飲み屋さんも、秋○君とよく言ったなぁ〜。そこのママさんが、みますやの奥の座敷で酔っていたのを思い出しましたよ。

1. マザーグースでしょう。

2. かずちゃんですね。

3. アホウドリです。キャベツをバリバリと食べたのを覚えています。

そういえば、弁天会館入り口の角にあった囲炉裏端のた飲み屋さんも行ったなぁ。


649.Re: 飲み屋あれこれー松戸は楽し
名前:表の家    日付:3月15日(土) 7時14分
>弁天会館入り口の角にあった囲炉裏端のた飲み屋さん

`呑兵衛`というような名前ではなかったかなあ・・・
結構長く続いていた。
その後、酔舎小屋(字が違うかもしれない)に変わった。
お客の来店の時間帯が違うのか、少なくとも私が通りかかるときは客が居なくて、何となく人気のない店だった印象がある。
毎朝店前にビールのカートンラックが置いてあって、これが昨日の客の入り?と思いながら、通った。
その後、韓国居酒屋かずちゃんの二代目ママが独立した民俗村(韓国居酒屋)が出来た。これが確か去年閉店した。

変遷は確か下記のようだったと思います。
現在は行列の出来るラーメン屋さんです。

呑兵衛→酔舎小屋→民俗村→ラーメン屋
http://omotenouchi.jp/frame.htm

639.昔日の松戸、あれこれ  
名前:yuki    日付:3月10日(月) 20時17分
先日は北部小の写真を掲載していただき、ありがとうございました。
一休の北側の社宅は千葉相互銀行だったんですね?
ずーっと日本生命だと勘違いしていました。

↓のAK様との会話も大変興味深く読ませていただきました。
確かに商店の衰退は悲しいものがあります。が、当時は私たち住人も大型スーパーの進出を単純に喜びつつ、心のどこかでそれが松戸の繁栄のように勘違いしていたのかもしれません。
最近はこんなところにも???というようなわずかな隙間にさえもマンション、マンションで、さすがになんだかなぁ…という感じです。
松戸が「栄える」ということの本当の意味をしみじみ考えさせられました。

AK様とのお話の中で出てきた甘味屋さんは、時々同級生の女の子がお店の手伝いをしていたと思います。その子は確か○束さんというお名前だったと思います。
二軒長屋の長○さんは、一番下の男の子が上級生にいて、今で言ったらジャニーズ(?)みたいな感じの子でチョット女の子に人気があったようだったと記憶しています。

それと、「飲み屋あれこれ」に出てくる根本の「みます」さんは我が家も家族連れで行っていました。おじさんは話し好きな方で、おばさんは優しくて、家族連れでも安心なお店でしたよね。
私は漬物を食べなかったので味の素の記憶はないのですが、サラダにマヨネーズがかかっていたのを覚えています。「あ、マヨネーズはチョット…」となかなか言い出せなくて。
言い出せないままになってしまいましたが。。。



640.Re: 昔日の松戸、あれこれ
名前:表の家    日付:3月11日(火) 8時19分
Yukiさん
こちらこそ写真の提供をしていただき誠にありがとうございます。

>一休の北側の社宅は千葉相互銀行だったんですね?
はい、そうです。千葉相互銀行の社員寮です。`千葉相互銀行松戸第一寮`だったと思います。

>当時は私たち住人も大型スーパーの進出を単純に喜びつつ、
>心のどこかでそれが松戸の繁栄のように勘違いしていたのかもしれません。

実際、過去の文献を見ますと小売りの各商店会でも大型スーパー誘致をした方が良いと考える人も居たようです(開発側の意見が残っているだけかもしれませんが)。
例えば松戸駅東口商店会には、イト−ヨーカ堂の誘致を積極的に考えていた人達もいたようです。それは(開発側の意見に近いものだったのかもしれませんが)東口にも大型スーパーが出来れば人が流れてくる。そうなれば自然と東口の商店会も潤う。そういった商売に対する前向きな`西口に勝りたい`という良い意味の競争心があったようです。
最終的には東口付近の商店をイトーヨーカ堂内に取り込みポポロという名前のゾーンがありましたね。

>○束さんというお名前だったと思います。
ん?
それにしても年齢を超えて長○という人物でyukiさんと共通点が見いだせるというのも、地元ならでは・・・と申しますか、不思議な感じが致します。

先日、根本の「みます」跡に行ってみましたがみごとに普通の住宅になってましたね。
住宅街の居酒屋という位置付けが面白いと思ってました。
http://omotenouchi.jp/frame.htm


641.Re: 昔日の松戸、あれこれ
名前:AK    日付:3月14日(金) 1時2分
yukiさん、はじめまして

長○君の家には、何回か遊びに行きました。確かに弟さんは、兄の○美君と違って、スリムだったのを覚えています。食卓にマヨネーズとかいろんなものが置いてあったのには、びっくりした記憶があります。
三益屋さんには、表の家さんと何回か飲みに行きました。話好きの気のいいおじさんでしたね。松戸ホールの部長?の奥さんがたまたまいて、「ここはいいお店だから飲みに来てあげてね」と、話しかけられたのが印象に残っています。煎餅屋さんの隣のお好み焼き屋さんで、働いていました。これまた表の家さんと一緒でしたか(苦笑)。
松戸ホールといえば今のパチンコ屋と違い、人情がありましたね。地下には、長年昔ながらのチューリップの台が置いてあり、常連のおじちゃん、おばちゃんが遊んでいました。1000円程度で十分遊べ、タバコとかチョコなどと交換できました。あまりお金を使わずに遊ばしてくれていたということです。

破壊と創造、消滅と誕生は時の常。とはいえ、そこには一本温かい人の情があってほしいものです。すべて効率一本、これが当たり前のようになってしまいました。ラーメン屋はじめ居酒屋など、チェーン店の膨張。東口の珍来もなくなり日高になってしまいました。のんびり新聞など読んでいられた店でした。とてもじゃないですが、チェーン店の居酒屋には行く気がしません。やはり、のんびりと会話が楽しめるこじんまりしたお店がいいです。河野屋もなくなり、古くからあるラーメン屋で今残っているのは、西口の遊園くらいですか。

このHPに載っている水元公園は、われわれが小学生のころは、今のようにきれいに整備されていませんでした。もっと殺伐としていました。いったいどこらあたりで、ビン筒でバラタナゴを取ったのか、今となっては分かりません。きれいに整理するのがベストなのか、自然の形状のまま放置するのがいいのか、どうなのでしょうか。東京都で小金井と2ケ所?しかない水元青年の家も、石原都知事になって閉鎖してしまいました。学生時代、自主ゼミで利用したが、安くてよかったなー。
何かとりとめもないことを書いて、失礼いたしました。


644.Re: 昔日の松戸、あれこれ
名前:表の家    日付:3月14日(金) 12時36分
>東口の珍来もなくなり日高
伊藤楽器の前の店であれば、珍来ではなく‘味華‘ではないですか?

水元公園の何処でビン筒を使ったのか、私も記憶が定かではありません。
多分、そんなに奥までは行ってなくて、水産試験場付近だったと思いますが、今とは雰囲気が違うので良く分かりませんね。
http://omotenouchi.jp/frame.htm

637.松戸にあった射撃場  
名前:    日付:3月9日(日) 10時32分
雷電神社社殿の南東側の広大な平地、地形図から判断すると
かっては神社の境内だった様な気がします、社殿だけを
最小限にに残し、他は削り取られた形跡が読み取れます。
なんの為に掘削したのかが興味を引くところです。
今ではこの平地やかっての射撃場周辺は、区画整理事業で
新しい道路が整備され、街区がすっかり変貌したようです。



638.Re: 松戸にあった射撃場
名前:表の家    日付:3月9日(日) 13時42分
R様
コメント誠にありがとうございます。
こういった地図で考察するのはとても楽しい作業ですね。
昔の地図や空中写真を見ながらその土地を歩くのは実に楽しい。

>社殿だけを最小限にに残し、
>他は削り取られた形跡が読み取れます。

ええ、どうやら一部はその様です。

雷電神社及び裏手の吉井町の台地は少なくとも区画整理事業以前、戦後まもなくの頃、山は広範であり、同時に広い平地もあったようです。
さらに以前の江戸時代以前であれば全て山林だったかもしれません。
これは何とも言えません。
その他長くなりそうですので、つれづれ2008に空中写真入りで書きます。
あらためて興味を持って下さって御礼申し上げます。
http://omotenouchi.jp/frame.htm

625.昔日の松戸  
名前:AK    日付:3月6日(木) 0時57分
先日はパソコンセッティングしてくれてありがとう。
生酒持って帰るのを忘れていましたよ。
ところで、昔日の松戸を改めて拝読して痛感したことがあります。
それは決して過去に対するノスタルジアではなく、このままでいいのかという思いが湧き上がってきたということです。
「人が歩かなくなった街」「人の息遣い・気配がなくなった街」
松戸でいえば、ボックスヒルや伊勢丹など特定のところに人が集中し、一歩外に出るとがらんとして寂しい。車でピンポイントの移動。スーパーにしても然り、今は駐車場が備え付けてあり、車で行ってさっと買ってさっと帰る。人がゆっくり歩いていない。商店街が壊滅してしまったことが一番大きいというか、決定的要因。
これは何も松戸だけのことではなく、隣の金町、亀有などにも該当する。金町も巨大ビルができあのアーケードが廃れた。亀有も同じくイトーヨーカ堂の大きな建物ができ、その一点になってしまった。駅前の両側にあった果物屋や不動書店などすべて消滅し、大きな道路と交差点になり、人の姿があわただしくなった。さくら通りはあるが、かつてのにぎやかさはまったく鳴く、突き出れば環七にぶつかりハイそれまでよ。
要は人が行き来する、歩く、話す、立ち寄る、人を排除した街になってしまった。そんなに車が駅前まで通らなければならないのだろうか。
「人の呼吸が感じられない・存在しない道路、町並み」おそらく将来の子供たちにも、何らかの悪影響をもたらすことだろう。



626.Re: 昔日の松戸
名前:AK    日付:3月6日(木) 1時30分
かつて私の近所の商店街には、どおろを隔てて魚屋さんが三軒、八百屋さんが5軒、肉屋さんが5軒程度、集中してあった。人口密度が高いこともあったが、大きなスーパーがなく、これだけあっても、やっていけてたということです。
それが今は魚屋さんはゼロ、肉屋さんは焼き鳥専門の店が一軒、八百屋さんも一軒になりました。マルエツ、ベルクスができたためです。わが家では、魚は松戸私立病院にいく途中にある南花島か上本郷の魚屋さんで買っています。なぜならばスーパーの魚は不味い、魚屋さんのは旨いからです。一見スーパーは安くて便利そうですが、実は巨大な建物と駐車場、光熱費、従業員の人件費等々、決してコストは低くありません。それにいちいちビニールなどでパックにした無駄な包装、自然環境にもよくない。わたくしたちは、便利さと引き換えに、大切なものを失いつつあるのかもしれません。気づいたときは手遅れ。土手にしても然り、かつて土手に植わっていた桜並木などをすべて伐採し、コンクリートで固めてフェンスで囲い、人が川に触れなくなった。人が、土手から降りて釣りをしている光景が消滅してしまった。何が川に自然が戻ってきたですか。ただの江戸川に導くための用水路、人の気配がなくなってしまった。コンクリートを剥がし、土手に木を植え、釣りができる、土手で植物などを取れる、元の川浪に戻す、このようなことに税金を使って欲しい。人の息、呼吸、会話、動作、人の気配がなくなった街、将来重大な悪影響をもたらすことでしょう。


627.Re: 昔日の松戸
名前:表の家    日付:3月6日(木) 12時10分
AKさんへ
パソコンは問題ありませんか?
インストールしたオープンオフィスはフリーウェアにしては優れておりますので、是非文章や表の作成などに活用してください。
昔日の・・・、のみ屋あれこれ・・・シリーズは日常歴史を記録するつもりで書いてます。
今取り組んでいるのは‘金山神社について‘なんですが、図書館に行っても殆ど資料が無い。足で調べたり、少し別の角度から調べているので案外時間が掛かってます。
かれこれ調べ始めて一年近く経ちます。本当は去年の秋に発表するはずだったのです、納得のいかない部分があり頓挫してます。

川の再生の問題は時間が掛かると思います。
松戸神社前の坂川の例や根本橋下(新坂川)も実験的に土手の再生の実験をしている様で、少しずつ自然化が進んでいます。
確かに坂川・新坂川には生物が戻ってきています。
ただ、坂川・新坂川を見てもハヤ、オイカワ、ボラは確認できる様ですが、鮒、クチボソ、メダカ、タニシ、ドジョウなどは姿が見えません。
これは何故でしょう?

色々な要因があると思いますが:
農薬、工場廃水、家庭水雑排水で川が汚れたこと(昭和の頃)
農業と坂川・新坂川との関係が薄れた事。
田んぼとの水位が変わった(これにより坂川・新坂川から田んぼや谷津に産卵にいけなくなる)。
等だと思います。

鯉科の稚魚は一般的に泳ぎが下手らしくて、暫くの間は浅瀬でないと生きられないと聞きます。従って川と田んぼとの水位が変わり田んぼに入れないと産卵も出来ないし、仮に産卵できても、子供が流されてしまって正常に育たないという事が発生します。
又、海に出られない淡水魚は上流が汚れれば絶滅するしか道が残されていない事もあると思います。

そういう要因が重なり現在の坂川・新坂川があるのだと思います。

松戸神社の前の坂川は綺麗ですが、生物が意外に少ないですね。
上の理由もあるのでしょうか?
http://omotenouchi.jp/frame.htm


628.Re: 昔日の松戸
名前:AK    日付:3月6日(木) 20時29分
土手堤に草木がないこと、コンクリートブロックで覆われているためもなどが生息していないことも、重大な要因のひとつだと思います。そして、ご指摘のとおり、近隣の開発行為で鮒や鯉が産卵する浅瀬がなくなってしまったことも大きいと思います。
江東区の親水公園ではありませんが、水害等から水を敵視するのではなく、水に親しむ、川と共存していくというように、発想を転換しなければならないでしょう。
土手の復活、並木の植栽、コンクリートを剥がして堤にし、フェンスをはずして下に降りられる。生きた自然の勉強。今の子供たちは、鮒も、くちぼそも、タナゴも、雷魚も、おたまじゃくしも、蛙も、ザリガニも、デパートなどで買う以外、手に取った経験はないでしょう。殿様バッタ、イナゴ、カマキリ、おけら、こおろぎ、蝶ちょ・・・生き物に触れることで、生と死を学ぶ、といいいますか、「死」ということが、実感できないのでしょう。


629.Re: 昔日の松戸
名前:AK    日付:3月6日(木) 20時45分
古ヶ崎から江戸川に至るまでの見渡す限りの水田と用水路、もんと池、馬橋から北小金に至る間のうっそうとした足が生息していた沼地(現在の新松戸)、上本郷や千駄堀、和名ヶ谷のうっそうとした森、矢切から国分にかけての深閑とした雑木林、すべて一場の光景になってしまいました。
自然が消滅していくばかりではなく、それと同時に、同様に、わたくしたちの「街」も、大きく変容してしまいました。点から線という不連続な連続から、点から点という非連続な形状になってしまいました。
それを保管するものとして、公的・私的問わずコミュニティーが必要となるのかもしれませんね。


630.Re: 昔日の松戸
名前:表の家    日付:3月7日(金) 0時28分
AKさんが松戸に越してきた頃はすでに新坂川は魚の住める様な川ではありませんでしたが、土手はありましね。
AKさんの仰るとおり、確かに昭和40年代はまだまだ林も森も用水路も豊富にありましたが、将に風前の灯火だったのかもしれません。

>土手堤に草木がないこと
そうですね。
ただ、まだ部分的ですが実験的に草木を植える試みがされてますので、徐々に長い目で見守る事も必要かもしれません。

AKさんと小学生の頃、伝兵衛新田の方面に行きましたね!思い出します。
古ヶ崎のメガネザルさんも一緒でした。
メガネザルさんはどうしているでしょうね。
http://omotenouchi.jp/frame.htm


631.Re: 昔日の松戸
名前:表の家    日付:3月7日(金) 8時18分
小学生の頃「松戸市は東京のベッドタウン」と教えられました。
私の産まれた頃の松戸市の人口は7万人、小学校を卒業する頃が20万人、そして現在は48万人に手が届く人口です。
小学生当時は田畑や林をつぶし新しい住宅を開発する時代でしたが、現代は主要な商店がつぶれ街の根幹をなす部分にマンションが建ち並ぶ世の中になりました。
つまりベッドタウンと言っても田畑、林が消える時代から商店が消える時代になってきたという印象です。田畑がなくなる時代は長く続くじり貧の様な状態でしたので、気がついたらこんな風になっていた・・・という印象であり、実際の所辛さの実感をあからさまには感じませんでした。
ところが、1980年代後半から商店の力が衰え、街の主要な場所(商店が出来るべき場所)に次々にマンションが建ち並び、商店がなくなっていった。しかも短期間の間です。
松戸駅前通りの三和銀行のあった場所にもマンションが出来るそうですし、松戸公産跡にもマンションだそうです。根本の商店街もマンションだらけですね。
フランスの建築家コルビジェは「住宅は住むための機械である」と言いましたが、松戸は住むための機械装置ばかり立派になって、生活のための商業空間が大手にとってかわってはいるものの、小さい商店がそれに伴ってないのが残念で、ゴーストタウン化した旧水戸街道を歩いて帰るのが辛いと思う毎日です。
http://omotenouchi.jp/frame.htm


632.Re: 昔日の松戸
名前:AK    日付:3月8日(土) 0時8分
40年前松戸に引っ越してきました。江戸川を渡り水戸街道に入ると、「ようこそ松戸へ」と、道路をまたいでのぼりが何本も立つていたのを覚えています。そして右折して松戸駅に至るまでびっしりと道路の両側に小売店がありました。さらに右折せずに水戸街道を進むと、根元から竹の花にかけても、びっしりと小売店がありました。随分活気がある街だなぁ・・・これが第一印象でした。高砂通りはこれまた人と人がぶつかり合うほどのにぎやかさでした。松戸ボウルからスタートして長○君の家・・・本屋の辰正堂も小さなお店でした。中部小学校まで、金魚屋とかプラモデル屋とか、とにかくびっしりと小さなお店がありました。そして稲荷があり、そこを通り抜けると松戸神社、そして輝竜会館やバンビ、春雨橋一角の古いお店やでかいプラモデル屋、常盤会館、確か三和銀行の前には松の湯だったか?お風呂屋さんがあったような記憶があります。あの当時はまだ踏切があって、東西の往来が活発でした。今は高架道路と陸橋になり、完全に人の流れが切断されました。極言すれば歩いて移動できない状況にあります。
まずは江戸川の新葛飾橋を渡ってから竹の花の陸橋に至るまでの水戸街道の両側に、樹木を植えてほしいものです。できれば「しだれ柳」。そして竹の花の陸橋を超えて6号線にぶつかるまでの道路にも、しだれ柳を植えてほしい。桜や樫の木などはどこにでもある。日大病院から松戸駅に行くバス道路にしだれ柳が植わっていたが、夏日よけになり涼しい。ちょっこっとすわって休めるような小さなベンチも、一定距離ごとに設置する。とにかく、「人が歩きたくなる」街並みにしてほしい。貴重な税金を箱物から、自然の土手、木々が植わり休める歩道作り・・・こういう車という交通手段を持たないお年寄りや子供に優しい街にしてもらいたい。歩いて駅まで行きたくなる、歩きたくなる街造り、すべてはそこからでしょう。


634.Re: 昔日の松戸
名前:表の家    日付:3月8日(土) 11時13分
>長○君の家
彼の家は岩瀬方面に向かう所謂`開かずの踏切`と根本の交差点の中央付近にあり、ちょうど正面には塩谷刃物店(区画整理前の位置)があったと思う。その通りの北に松戸ボウルが納まっていた。
松戸駅西口の改造区画整理と踏切閉鎖に伴う跨線橋工事によって長○君一家は何処かに引っ越してしまった。あの界隈で道路工事をしていた頃長○君が残土、盛土の上で遊んでいたのを覚えている。区画整理後、高砂通りに長○君と同姓の甘物を扱う軽食堂があったけど、あれは彼のお父さんのお店だったのかどうか?

>三和銀行の前には松の湯
松の湯はどちらかというと中通りの映画館の松竹付近にあったと思う。
三和銀行は当初八嶋提灯屋さんの先、こんぴら通りに沿ってあり、高橋農具店の手前の小さな建物で、その後松戸駅前通りと旧水戸街道の交差点付近に移って大きいビルになった。私の記憶では三和銀行の両方の土地の前のその他の銭湯を含めその存在がどうも分からないなあ・・・

>「しだれ柳」
街路樹というのは人それぞれ好みがあるものですね。
確かに緑豊かな道路は良い物です。
ただ、私の参加するボランティアで役所の人との催しがあり質疑回答にて私が「旧水戸街道沿い松戸駅前から根本までの間はせっかく電柱の地下埋設で景観も改良されたのに何故街路樹を植えない?」と聞いた所、「実は地下埋設担当部署と街路樹の担当部署は異なっていて、地下埋設の担当部署の先行で進んだ為に、要するに歩道の中は埋設ピットでいっぱいになってしまい、街路樹を植えられないのです」との答えだった。
街の景観を良くする為に電線の地下埋設を行ったはずなのに、地下埋設をした途端「街路樹を植える土の部分は考えてなかった。そんなもの無いよ」と言うのは縦割組織の弊害と言いますか、何とも本末転倒であります。
http://omotenouchi.jp/frame.htm


635.Re: 昔日の松戸
名前:AK    日付:3月8日(土) 14時27分
長○君の家は、確か二軒長屋だったと思います。井戸があり飲んだ記憶があります。あの甘物屋は彼の弟さんがやっていたのではなかったでしょうか。名前が女の子と間違えられる○美だったからか、よく小林や小沼なんかにいじめられてたっけ。彼は1中に行きそれっきりです。

>松の湯はどちらかというと中通りの映画館の松竹付近にあったと思う。
ご指摘のとおりだと思います。映画館の並びにあったような記憶があります。

>要するに歩道の中は埋設ピットでいっぱいになってしまい、街路樹を植えられないのです」との答えだった。
まったく街の景観に配慮がない証左、何をかいわんやですね。以前、ルンルンのマスターが、道路の脇に小さな小川を作り、人が休める憩いの空間を作るなりしたら人の流れもゆったりとしたものになると話されていましたが、そのとおりだと思います。しだれ柳、小さな小川、
これだけでずいぶん街の雰囲気が変わる。はるか昔、君と旅行した津和野とまでは行かなくてもね。母の田舎の前橋も、昔は柳並木がずらっと続き、脇に川が流れていて風情がありました。灯りがともると幻想的でした。寂しいけど。


636.Re: 昔日の松戸
名前:表の家    日付:3月8日(土) 19時11分
>名前が女の子と間違えられる○
確かヒ○○だったかな?
顔は良く覚えてますよ。
30年近く会ってないね。

ルンルンのマスターが他界されて一年半くらいですね。
他人を怒れる大人が少なくなった昨今ですが、あのマスターは別格で私も随分怒鳴られました。何くそ!という気持ちになったものですが、腹は良い人で色々とアドバイスを戴いたり、人とのつながりの手助けをしてくださった。

>道路の脇に小さな小川を作り
面白い発想ですね。
戦前の松戸市は街全体がそもそもビオトープの様な場所だったそうです。
実際地下水も豊富だった(今は、開発により浸透する場所が少なくなったので何とも言えない)。
同時に地区によっては水の被害も多かった様です。
良い悪いは別にして、浸水と親水の同居だった訳です。
元々のビオトープに戻すのは不可能だとしても親水をテーマに、都市計画や街の活性化に繋げるというのも悪くないですね。
(ただし、松戸神社前の坂川はそんな試みがすでに行われています)

ヤナギは水が多い場所に生息し水とは相性が良いらしい。
江戸川の堤防内に樹木がたくさんありますが、その殆どはヤナギです。
ああいう場所に生えるのもヤナギの習性ですね。
話しによればヤナギの種子が落ちてそれが水で流され、水際で発芽しそのまま成長、成木になるという事を繰り返すそうです。その為に水面に対して直線状に繁殖していくらしいです。
http://omotenouchi.jp/frame.htm


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