4 松戸駅前通りと高砂通りの交差点角にあった菓子パン屋さん”羽場商店”について

ホシザキジュース販売機昔日の松戸
機機械名:オアシス 製造:ホシザキ電機 (写真は「自動販売機の文化史」集英社新書、著者:鷲巣力さん より)

「良く波場商店で菓子パンを買ったわ」

1962(昭和37)年松戸町

松戸一、二丁目の商店が広告主として、協信図工社に依頼、昭和36年10月完成し、無料配布された商店街マップ”松戸一、二丁目詳細図”

上の地図は、松戸一、二丁目の商店が広告主として、協信図工社に依頼、昭和36年10月完成し、無料配布された商店街マップです。

近所のカリスマ美容師でカットしていた時に、近所の金子さんの次女が昔を思い出し「良く波場商店で菓子パンを買ったわ」と言った。彼女は中部小学校に通っていたらしい。私の住む竹ヶ花は学区が入り混じっているらしく、中部小学校に行く生徒と北部小に行く生徒が混在していた。金子さんは殆ど目の前に住んでいるのに中部小学校、私は北部小学校。当時の中部小学校は現在の伊勢丹の場所にあった。幼稚園も併設されていて、松戸町商店のご子息が通っていたのだと思う。金子さんは金融関係の商売なので、人間関係で中部小学校に通わせたのかもしれない。それは分からない。

波場商店という菓子パン屋があった

菓子パン

いらすとやさんのイラスト

駅前通りと高砂通りの交差点に波場商店という菓子パン屋があった。その波場商店にジュース販売機があった。噴水型で機械の上部にドーム型のプラスティックの覆いがあって、その中でジュースが噴水のように噴き出してディスプレイしている。昔良く見かけたタイプだ。これを紙コップで飲む。今のように全自動ではなく一部手動だった。先ず紙コップを自分で取り出す→自分で紙コップをトレイの上に置く→お金を入れる→ボタンを押す→ジュースが出るとなる。

この当時のこの手の自動販売機は単純で牧歌的な機構だったらしい。私がジュースを飲みたくて親の同意も得ず、勝手に紙コップを抜き出しトレイに置くと、母が困ったように紙コップをお店の人に返していたのを覚えている。

冷えたジュースは氷冷冷蔵庫や井戸で冷やす

井戸

いらすとやさんのイラスト

自動販売機を初めて見たのは東京オリンピック開催の一、二年前だったと思う。至る所にコンビニがある現在と違い、当時冷えたジュースを飲む為には街の飲食店で(あれはバヤリースだったか?)飲むか、或いはパン屋さんの缶ジュースや米屋のプラッシーを買い、家の氷冷冷蔵庫や井戸で冷やして飲む。話しが脱線するが、母から「バヤリースの瓶を抱え、蓋を勢いよく叩くとビーン!と割れるような音がしたのよ。これは中が真空になっている証拠でジュースの保ちが良いんだなんて言っていたわ!」という話しを聞いた。

話しはさらに脱線してジュースと言えば渡辺のジュースの素もあった。ただ、渡辺のジュースの素はそうそうは買えなくて北部小学校前の吉岡文具店や北部堂で売っていた製造元不明の怪しげな粉ジュースを買い、掌に粉を乗せ舐め舐めしていたものだ。

ミカンは冬に食べるものなの・・・

オレンジジュース

いらすとやさんのイラス

ミカンを搾って飲む手もあったかもしれない。ただジュースはそもそも夏に飲みたくなるわけで、夏にはミカンなど売っていない。否、昭和39年以降であれば、駅前のアリタや遠州屋果物店には夏でも輸入オレンジがあったかもしれない。只相当高価だったに違いない。両親に連れられて日本橋高島屋で生ジュースを飲んだ事があった。でも、あれは全く別世界の飲み物だったと思う。

松戸駅西口区画整理後、波場さんはマーケット(飲み屋街)先の波場ビルに移り、パン屋さんはやめてしまった。その波場ビルも現在名称が変わり権利関係がよく分からなくなってしまった。お店で菓子パンを売っていた方は元気なのだろうか?

 

 

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