108 古ヶ崎以北の風景、自然の宝庫”横六間川”とHA君

六間川昔日の松戸
六間川

松戸市の横六間川の魅力

どぶ川と化した一級河川の坂川、新坂川での魚捕りに魅力は無くなっても、江戸川や伝兵衛新田付近の水田地帯ではまだまだ獲物の棲息する環境が残っていた。特に面白いポイントは横六間川付近だったと思う。六間川は古ヶ崎五叉路付近で坂川から分岐し江戸川方面に流れ堤防手前で、北上し江戸川と並行に流れる川であるが、横六間川とは六間川分岐する川。

国土地理院の空中写真を用いて、1966(昭和41)年と2019(令和元)年それぞれにおける横六間周辺の土地利用の変化について比較をしてみた。

2019年の横六間周辺

国土地理院の空中写真2019年

上の写真は国土地理院の空中写真、2019年から転載している。ほぼ現在の状況に近いと思う。江戸川、六間川、横六間川との間の関係を確認お願いします。

1966年横六間付近

国土地理院の空中写真1966年より

この写真は私がまだ小学4年生の頃の同じ場所、国土地理院の空中写真1966年である。私が横六間で遊んでいた頃、つまり1965-1966年頃は日本大学歯科学部も県立馬橋高も旭町小学校も無かった。ご覧の通りである。周りは田畑ばかり・・・、現在でも旭町小学校と馬橋高の間に水路があるが、これは田畑の用水路である。

この用水路と横六間が接する場所に水門跡があるが、この水門近くに四つ手網をおけば、いやというほど鮒やクチボソが採れた良いポイントだった。我が同級生も多分この付近が雷魚の銀座ではないか?と述べていた。

タケスはいねか!

横六間川はちょうど伝兵衛新田付近でT字型に直角合流する川である。横六間川の近くには同級生のW君(通称タケス君)が住んでいた。同級生のSYさんによれば、タケスの家に遊びに行くと、お母さんが「タケスはいねか・・・」と言っていたそうだ。

あの界隈は今日現在も田畑が健在な場所で松戸に残された貴重な田園風景の一つ。当時、用水路に四つ手網を仕掛ければ大抵何らかの獲物が掛かった。県立松戸馬橋高校と市立旭町小学校の間を流れる水路から横六間に注いでいる箇所がある。この用水路の水門の付近はマブナの稚魚の宝庫だった(上写真参照)。このポイントもHA君の誘導により知った場所だった。

破傷風に気をつけよう

擦り傷

いらすとやさんのイラスト

昭和40年頃北部小では「破傷風に気をつけよう!」と注意されたものだ。破傷風の菌は土の中に居るので、転んで怪我をしても軽視してはいけない・・・と。千駄堀に住む知人のおばあちゃんが転んで怪我をして破傷風で他界した話も聞いたことがあり、怖かった。怖いとは思うが、遊びたい気持ちが優先していた。

四つ手網を用水路の中に仕掛け、上流から素足で魚を追い込むなんて事は平気でやっていた。用水路には大抵、葦が生えていて、その葦の葉で擦り傷を負った事は一度や二度ではなかった。

主水池はプロ向きの釣り場

主水池

主水池

HA君に連れて行かれた極めつけは主水池だと思う。主水池は現在まこも池と称されている。元々はその土地の地主の池で、タナゴの宝庫だった。多分タイリクバラタナゴだったと思う。主水池にはヘラブナ師が多く、水の音を立てる四つ手網は使いづらかった。せいぜいビンドウを使うのが関の山だった。

タナゴ師にヘラブナ師

釣り

いらすとやさんのイラスト

又、タナゴを釣る人も居た。タナゴ専用のハリスもある。タナゴは口が小さいので極細と呼ばれる針を使う。その極細に赤虫をちょん掛けして釣るのだが、正直難しい。

ヘラブナ専門のヘラブナ師と呼ばれる人達が居た。彼らは独特の行李の様なものを背負ってやってくる。餌は練り餌で浮子は細長いへら浮子を使う。ヘラブナ師のおじさんの持つ竿はいかにも高級な感じのする竿だった。多分、当時の松戸の釣具屋でも数万円はしたのではないか?と思う。ヘラブナ師に憧れたこともあったが、所詮四つ手網出身の私には高嶺の花だった。

ページトップの写真は現在の横六間川(坂川との接点付近)

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