101 大きく変化した松戸と竹ケ花の喫茶ゲート

喫茶店昔日の松戸
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大きく変化した松戸駅周辺

昭和三十年代の衛星都市化政策によって松戸は変わった。山林が切り開かれ多くの田畑が埋め立てられ区画整理され、新しい町ができて人口が増えた。北松戸や松飛台は工場誘致によっても変わった。然し物心ついた私にとって一番大きな変化を実感したのは昭和四十年台だったと思う。それは:

  • 複々線の開通及び松戸駅の新駅舎が完成した1971(昭和四十六)年
  • 松戸駅西口の区画整理事業の完成1973(昭和四十八)年

(注:松戸駅西口の区画整理事業の完成と書いたが現在のダイエー付近の区画整理は未完)

1966(昭和41)年松戸駅周辺 (1)

国土地理院の空中写真 1966(昭和41)年松戸駅周辺 より

上写真は国土地理院の空中写真で昭和41年の松戸駅周辺

1979(昭和54)年松戸駅周辺

国土地理院の空中写真、1979(昭和54)年松戸駅周辺を利用しています

下の写真は国土地理院の空中写真より1979(昭和54)年松戸駅周辺を見ています。つまりこちらは1966年の写真からみて、13年後の姿という事になります。

1966年と1979年の街の変化として大きな特徴は

  • 松戸駅舎が大きくなった事
  • 松戸駅前通りの周辺の建築密度が変わって、大きめの建物が建っている事
  • 伊勢丹が完成し、伊勢丹通りが出来た事
  • ゴチャゴチャしていた高砂通りがスッキリしてしまった事
  • ダイエーが出来て、周辺の建物がかなり減った事
  • 伊勢丹西側のブロックはあまり変わっていない事
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暫くの間は松戸駅西口はビルが建ち揃わず、すき歯状態で、特に遊技場の”トキワ”からダイエー方面に掛けては、青空駐車場や空き地が目立った。この下写真の頃、昭和五十三~五十四年には、テレビゲームの「スペースインベーダー」が流行し始め、松戸駅付近にゲームセンターが林立し始めた。バラックのような安普請で空き地に建つゲームセンターもあった。

とにかく店名にインベーダーと書けば人が集まってきた時代だったと思う。私は天の邪鬼で流行に無頓着なところがあり、残念ながら、あの「スペースインベーダー」には夢中にならなかった。このゲームに関しては松戸駅周辺にとどまらず、他の地域に広がっていった。

竹ヶ花のリバブルマンション一階にあった喫茶「ゲート」

話が前後する。竹ヶ花のリバブルマンションは1974年(昭和四十九)年に竣工した。東急不動産により鈴木材木屋(スズソウ)さんの土地を等価交換で建設。竣工直後だったか数年後だったか忘れたが、リバブルの一階に喫茶「ゲート」がオープン。鈴木材木屋さんの持ち物件で、その鈴木材木屋さんの奥様の妹さんが経営していた。私が浜松に常駐していた1982(昭和五十七)年頃に始めて入った。

ヤキサンドイッチ

いらすとやさんのイラスト素材

店主の一族は浜松出身で、私も浜松好き。浜松の話をしたくてお店に行った。喫茶「ゲート」のヤキサンドが人気メニューでよく食べた。近所でも評判で母はそれなら家で作ろうと焼きサンド用の道具を買ってきて良く作ってくれた。

テレビゲーム機のテーブルが何台かあった

喫茶「ゲート」にはテレビゲームが何台か置いてあった。当時すでに下火になっていた「スペースインベーダー」が置いてありその時始めてプレイした。私は実に時代遅れだったと思う。

その他タイトーの「アクロバット」(シーソーに乗ったピエロが空の上を動く風船を割るゲーム)等があり、私はこの風船割りゲームに嵌った。妹を連れてこの「アクロバット」をプレイしに行った事もあったが、結局妹の方が上手になった。その他ラリーXもあった。このラリーXも妹の方が上手だった。

やがて仕事の関係で台湾に行くようになり松戸を離れた。バブルが崩壊し1990(平成二)年頃に松戸に戻ってきた頃はすでに喫茶「ゲート」は無く。テナントで不動産屋(センチュリー21山一ハウス)になっていた。その後、センチュリー21山一ハウスには色々とお世話になった。

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