表の家

昔日の松戸111-115



115南花島の鋏工場と私

北島和男さんとは千葉県の伝統的工芸品 下総鋏を作る方である。昭和13年生まれで、父親の北島平三郎の名を継ぐ二代目鋏鍛冶職人。
北島さんの名声はネットで調べると色々と出てくると思うので、あえて割愛させていただく。
これから書くのは、北島さんの工場(こうば)は私にとっての遊び場だった・・・という思い出である。

工場は家から歩いて5-6分の所にあった。子供の頃はそんなに素晴らしい工芸品を作っている工場だとはつゆほども知らなかった。
単なる鋏工場(はさみこうば)に過ぎなかった。
荒井ハムの工場正門前に急な坂がある。坂の反対側にあの工場があった。平屋で屋根はトタンでさび付いている。坂の途中で道路と工場の屋根が同じ高さになる接点があって、屋根に乗る事が出来る。

恐る恐る少し屋根に踏み込む。ぐっと足を突っ込みそうになるので、途中でやめて引っ込める。単なる子供の悪戯だが、工場にとっては良い迷惑だったろう。
同級生数人で歩いていた時に、Y君がI君を屋根の上にドーンと突いて押し出した(・・・考えてみれば悪い遊びだわ)。
I君が屋根の上でおっとっと・・・となってしまった直後、I君はY君に向かって「僕の親戚には警察が居るんだからな!」と脅した。これは多分、気の小さい人が使いそうな単なる”こけおどし”にすぎないと見透かしていたんだけれど・・・。

また、あの工場の出口付近の地面が赤かった。多分、鍛冶で形をなした鋏を仕上げに機械研磨をしていたのだと思う。その鉄粉が外の地面まで飛び出し、地面の上でそのまま、さび付いて赤くなっていたのだろう。近くに立つと錆びた鉄独特の臭いがした。
私は新しい鉄粉が出たときに、それを砂鉄として拾いに行った。厳密にはこれは鉄粉であって砂鉄ではないのだけれど、私には格好の遊び道具であった。

工場の道路向こうには荒井ハムがあった。小一の頃同級生だったJ君が敷地内に住んでいた。
ハムと言っても所謂屠殺場で、当時は食肉処理した際に出る動物の血をそのまま側溝に放流していた。これが何とも言えない臭いがした。また、荒井ハムのゲートには動物の慰霊碑があったが、荒井ハムが無くなると共に慰霊碑も消えた。あの慰霊碑は何処にいったのか?気になる。あの坂を下りるとH君とチー坊と呼ばれたS君が住んでいた。さらに先には駄菓子屋があったし、カジ坂方面に向かうとW君のブリキ工場があった。

香港から帰国して表の家を作り始めた頃、この工場を見に行ったらすでに無かった。どこかに引っ越しされたのだろうか?
ただ、北島さんは昭和13年生まれで76歳くらいになると思うので、かなりご高齢で健康には気を付けて頂きたいと思う。

小さい頃工場を遊び場にしてごめんなさいね!

PS:昭和13年生まれというとまつど飲み屋街の綱ちゃんと一緒の年齢だなあ・・・と思ったりする。

114 象牙彫師、根付け師 故天野松風さん

天野松風さんが2014年7月29日に享年96歳で他界された。
謹んで哀悼の意を捧げます。

天野さんは象牙彫師、根付け師としてその作品は県の伝統的工芸品として指定されていた。わが実家のある竹ヶ花で竹ヶ花連合会長を長い間されていた。近所の鈴荘さんの奥方が、竹ヶ花の文化人と称していた。
以前は我が家から歩いて一分も掛からない場所にお住まいだったが後に小金に引っ越した。雷電神社祭礼のときは必ず来ていた。
ただ、若い頃の私は、こういった地元の文化に全く無頓着だった。四十歳過ぎた頃、やっと気が付き始めたと言って良い。竹ヶ花についてそして松戸について関心を抱くようになり、表の家を作ってきた。その地元研究の延長に天野さんの大きな存在があった。
数年前私は良い出会いがあって、結婚し可愛い娘も生まれた。娘は三歳半だ。
結婚前の2009年10月に日本橋高島屋で日本の象牙彫刻展が開催され、天野さんの作品が出品されると聞き、婚約者だった当時の妻と一緒に作品を見て、そして天野さんにお会いした。私の天野さんのイメージは怖い人というイメージが強かったが、その時の天野さんを見たら歳のせいかすっかり好々爺になっていたように感じた。作品を見たらあまりに繊細な造りで、これが象牙なのかと驚いた。妻も非常に感心していた。
両面小根付け
我々が結婚するに当たり、記念に寝付けを一対作ってもらうことにした。それが上の写真で、両面小根付けと呼ぶ、片面には鬼が、もう片面には福が彫られている。これを以って鬼は外を守り、福は家を守るという意味らしい。結婚にあたり非常に最適な根付を作ってもらった。今でも大切にしている。
その後、天野さんには手紙を何度か書いた。それは昔の竹ヶ花についてである。私の生まれる前の話なので、貴重な話だ。何れ手紙を整理して、表の家に掲載することにしよう。そして数年後に私と妻と娘でシンガポールに行くことになった。そしてすっかり縁遠くなってしまった。ところが、昨年の暮れに突然訃報が届いた。天野さんは2014年7月29日に享年96歳で永眠された。非常に残念に思う。
読売まつど:1989年(平成元年)7月8日号に掲載された天野さんの記事を掲載したい。
象牙彫刻・根付け師 天野松風さん

「象牙ある限り彫り続ける」」 (注1:読売まつど:1989年(平成元年)7月8日号)

象牙彫刻、根付け師として、初めて「県伝統的工芸品」に指定されたが、「喜びよりも技術の保存という責任を感じます」 。根付けは、江戸時代から伝わる日本独特の装身具だが、ここ数年でアフリカ象が激減し、牙の輸入量もこれまでの一割に。材料の削減と後継者難に、技術が消滅する危機にある。「伝統工芸というのは、一度途絶えるとそこで終わってしまう。材料のある限り彫り続ける」と先細りでもわずかな望みを託す。

”;根付け師の名人”とうたわれた父喜久雄さん(号・松月)に師事して、この道四十年。「象牙を手にした時の感触がたまらない」という。象牙彫刻のみに使われる逆刃で、顔が入れ変わる「カラクリ変面」を伝承。今では「変面」技術を持つのはただ一人となった。

いまだに注文は多い。「長男は後を継ぎません。三代目の私で終わりです」と寂し気。市民民生委員と保護士も。本名康郎。71歳



113 スポーツスクエア松戸とワンダーマート


ワンダーマートの会員証(左)に同スタンプラリー(右)
竹ヶ花の新京成踏切付近(土屋家具センター斜め前)にスポーツスクエア松戸/セントラルスイムクラブ松戸があった。
現在はオーククリニックフォーミズ病院という産婦人科の病院がある場所。
セントラルスイムクラブは全国展開する水泳のクラブで、昭和63年ソウル五輪で100メートル背泳ぎで金メダルを取った鈴木大地が所属していたクラブ(ただし、松戸で練習した事があったかどうかは知らない・・・)と聞いた。
松戸ベスト100で積極的な発言をしていただいたMr. Tもこのクラブに通っていたそうです。
私の実家の目の前に住むSTさんもこのクラブに通っていたっけ・・・

そのクラブの左側がコンビニで最初はミニストップだったと思うが、最終的にはワンダーマートになった。
廃業間際の頃はコンビニよりもレンタルビデオがメインになってしまったように思う。勘違いかも知れないが・・・
ただ、このレンタルビデオ屋では思ったほど借りたことが無かった。どうしてなのか、あまり記憶にない。
ワンダーマートを現在ネットで検索しても会社情報などは出て来ない。

112そば処美寿可(根本)

根本商栄会に長く営業を続けていた美寿可そば屋さんは、数年前(2012年頃?)についに店をたたんでしまった。暫く、お店を開けていなかったが、その後建物を壊してしまった。
根本の清水講山開きの日にお会いした根本商栄会の某重鎮と話していたときに「どうやら売ってしまうらしいよ。残念だね・・・」と語っていた。
美寿可そば屋さん嶌根姓で、嶌根さんの確かご兄弟の内お兄さんが営業されていたと思う。弟さんは暖簾分けして旧水戸街道と国道六号線の交差点付近でそば屋を運営していたと思ったが、現在もお店を運営されているのかは分からない。
また金山神社の階段の欄干に嶌根春蔵の名前が刻まれているがこれは美寿可さんの事で清水講にも入っていたらしい。ご長男の代でも入っていたのかはよく分からない。

タイミング的に美寿可さんの目の前にマンションの現場が完成した頃に廃業した。現場の職人の利用で潤ったのではないか?と考えたのだが、どうやら最近の職人さんは高度成長、バブルの頃と違って、経済的にお堅いらしく、弁当持ちで来る人も多いと聞く。難しい世の中になったものだなあ・・・

昭和30-40年代、常磐線の複々線が開通する前は竹ヶ花の跨線橋の所には踏切があって、この旧水戸街道沿いは人の往来も多く商店街も流行っていた。当時、美寿可さんは丼物の盛りが良い(多い)と評判で、タクシーの運転手が良く利用していたのを覚えている。

それにしても、根本商栄会は本当に寂しくなってきた。何か打つ手は無いものか?

111 文房具屋と学校

以前は小学校、中学校の付近に文房具屋があるのは当たり前だったと思う。
北部小学校の旧正門近くには吉岡文房具店と北部堂があったし、我々の時代ではないが、後年、北部小学校のスイミングプール側の道路沿いにゆたか堂という文房具屋さんがあった。
ところが現在、北部小学校付近を散策してみても文房具屋さんが一軒も見あたらない。これは何故なのか?

また、我々が通っていた当時の上本郷の松戸市立第六中学校(現在、六中は千駄堀に移転し、跡地に松戸市立上本郷第二小学校がある)には正門前にナオミ文具店があったし、そこから50メートルも離れていない場所に安藤文具店があった。この安藤文具店は私の同級生の安藤君の家だった(安藤君は非常に優秀な生徒)。ナオミはサラダ煎餅を我々が買いやすい枚数にしてビニールに入れて売っていたので重宝した。

ところが現在、この松戸市立上本郷第二小学校の付近を歩いて見たが、一軒も文房具屋さんを見つけることが出来なかった。
これは何故なのだろうか?学校の近くにあれば必ず需要があると思うのだけど、それが無い理由がさっぱり分からない。コンビニで買うのだろうか?

松戸市立中部小学校の付近も案外無いが、青木商会さんが川向こうにある。ただ、松戸駅付近に向かえば他の学校よりは揃っている。松文堂さん(現存せず)、少し離れて中部堂さん(ただし中部小学校移転前は学校目の前にあった)。ダイエー内の文房具売り場(ダイエーは今後どうなるのか?)、アトレやイセタンの上階、松戸駅東口に木屋さんがある。

我々の頃は文房具の購入は、子供が親からお金をもらって、子供自身でノートや鉛筆を買うというイメージが強かったが、今は親が買い物ついでに揃えてしまうのだろうか?それとも子供が駅近くの大型店で買うのだろうか?それもまたイメージしがたい。不思議で仕方が無い。